ロシアというと、旧ソ連時代の冷たく無機質なイメージがいまだに拭いきれない。しかし社会主義に支配される以前のロシアは、商人が活躍する商業国家の一面もあった。北方領土問題も商人流の柔軟な発想が解決の鍵になるかもしれない。
本書はロシア商人の印象深い記述がある。ロシア最古の町の一つ、ノヴゴロドは国際交易都市だった。ノヴゴロド商人の交易範囲は北ヨーロッパの多くの都市に及ぶ。黒テンなどの良質の毛皮や蝋を売り、毛織物や銀などの貴金属を買った。
首都ペテルブルクが官僚と軍人の街であるのに対し、古くからの経済の中心地であるモスクワは商人の街だった。他方でモスクワは教会の街でもあった。19世紀末に500を超える教会があったが、その多くは商人たちの手で建設された。
モスクワ商人が支援したのは教会建立だけではない。貧しい市民・花嫁への寄付、養老院や看護院の建設・維持のほか、極貧の両親の子供や孤児のための奨学金などもあった。その後の社会主義革命より、はるかに人間的な弱者救済だろう。
日露の接触も商人から始まる。1702年、ピョートル大帝は漂流した大坂の商人「デンベイ(伝兵衛)」を引見。18世紀末、ラッコなどを求めてカムチャッカから千島諸島を南下したロシア人商人たちが、蝦夷地で松前藩の役人と会う。
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