2017-02-28
神取道宏『ミクロ経済学の力』
「共同体の論理」の限界
「企業は営利でなく公共性を追求せよ」「自己利益のためではなく、みんなのために働こう」「貧富の差をなくし、平等な社会に」。どれも心情に強く訴える。人類が好む「共同体の論理」に基づくからだ。だが実行すれば経済は破綻する。
著者は「共同体の論理」と「市場の論理」の違いを強調する。共同体の論理は家族や友人、隣人など顔の見える人の助け合いを支える。公共心を重視し、自己利益の追求を嫌う。先史時代から共同体で長く暮らした人間の身についた考えだ。
一方、市場の論理は比較的最近登場した。「誰を、どうやって助けようか?」などと考える代わりに、市場で成立している価格を見ながら自己の利益を追求する。すると社会全体として、顔の見えない膨大な数の人の助け合いが可能になる。
利己心の追求を許す市場の論理は、共同体の論理に親しんだ人間には受け入れにくい。そこで一部の人々は、共同体の論理を経済全体の運営に使おうとした。それが社会主義だ。しかし結果は巨大な非効率が生まれ、経済は行き詰まった。
著者が言うとおり「他人への思いやり、公共心といった道徳律が機能する範囲は、われわれが常識で想像するよりもずっと狭かった」。世間の常識に反する真理を説く経済学は「陰鬱な科学」と嫌われる。だが、そこにこそ存在意義がある。
あえて異論を挟めば、著者が肯定する外部性や公共財の理論もまた、外見こそ洗練されているものの、本質は共同体の論理の産物であり、経済の運営にはなじまない。それでも、共同体の論理の限界をはっきり述べた本書の価値は高い。
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