権力の下僕
近代経済学は政府の重商主義に対する批判から出発した。その出自からもわかるように本来、経済学の本領は権力批判にある。ところが今ではほとんど見る影もない。数学の濫用で「科学的」な外見をつくろい、政府の権威付けに重宝される下僕に成り下がった。
これは決して素人の暴言ではない。経済学者の著者は同様の批判を展開する。現代では「新しい数学が登場すると、すぐさまそれらを使って論文を書くのが経済学者の生業」であり、経済学は人文学と絶縁し、「数学の僕」と化したと嘆く。
物理学も数式を多用するが、理論と現実が直結する。しかし経済学は
理論と現実が乖離し、現実の経済を分析するという本来の使命を「もはや果たし得ない」。このままでは国立大経済学部は廃止・転換されても仕方ないとまで著者は言う。
そんなお粗末な経済学にも需要はある。政府の審議会で、計量経済モデルを用いた予測結果が重宝されるのだ。計量経済学を専門とする著者によれば、予測結果はモデルの作り方で好きに操作できる。だがマスコミは「科学的」と信じ込む。
ピケティや
スティグリッツ、
クルーグマンらを経済学者として高く評価する著者の意見には、必ずしも同意できない。しかし経済学が存在意義を問われているという厳しい認識はそのとおりだし、批判精神の復権を訴える態度にも共感する。
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