金銭蔑視が生んだ別人説
金儲けの好きな人物は嫌われやすい。とりわけ文化人から目の敵にされる。もし自国最大の文豪が商売熱心で蓄財に励む人物だったと言われたら、何とか否定したいと考えるだろう。本書によれば、シェイクスピア別人説の背景には、そうした心理がある。
シェイクスピアは故郷で大きな屋敷を買うほど金持ちになった。劇作家だったからではない。超一流劇団の株主だったからだ。役者としての取り分を合わせると年収150~200ポンド。新作を年3本書いても18ポンドにしかならない。
戯曲を出版して儲けたわけでもない。当時は著作権がなく、出版して儲かるのは出版者だけ。作者は関係なかった。シェイクスピアにとって戯曲はテレビの台本のようなものだったと著者。本にして売るより、次の番組を作るほうが儲かる。
本業で「常に儲けを考えていた」シェイクスピアは、蓄財にも抜け目がなかった。不作が続いた時期、自宅の蔵に麦芽を大量に溜め込んだ。さらなる値上げを狙ったとみられる。不動産に次々に投資。その一方で、税金をたびたび滞納した。
19世紀初めのロマン主義とともに、英国で熱狂的シェイクスピア崇拝が起こる。われらが偉大なシェイクスピアが金銭にせこい田舎者だったはずはない――。哲学者や貴族がその正体とする別人説の背後には、英雄崇拝と金銭蔑視がある。
ロマン主義の批評家カーライルは「インドを失うともシェイクスピアを失うなかれ!」と叫び、シェイクスピアの正体は哲学者ベーコンだと主張する米国人女性を支援した。しかしベーコンの硬い文体とシェイクスピアの柔らかな文体は明らかに違っていた。
論争はまだ決着していないが、英雄としてのシェイクスピアより、本書が描く商魂たくましいシェイクスピアに人間臭さと魅力を感じる。
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