民間企業が不祥事を起こすと、メディアや言論人はすぐに「政府は規制を強化しろ」と騒ぐ。しかし、そんな主張はお笑いぐさでしかない。この小説で描かれるとおり、規制する政府と規制される業界はなれ合いの関係にあるからだ。
金融庁の銀行に対する検査は抜き打ちが前提だが、実際には事前に情報が漏れ、銀行は資料の隠蔽など数カ月に及ぶ「準備」をする。金融庁はそれには見て見ぬふりをしてきた。「要するに茶番である」と銀行員経験のある作者は書く。
2004年、旧UFJ銀行(小説では「AFJ銀行」)の資料隠蔽で元副頭取らが逮捕され、有罪判決を受けた。あたかも金融庁の手柄のような報道に作者は、何十年も隠されてきた資料を今頃見つけたと胸を張るのは滑稽だと批判する。
資料隠蔽はたしかに違法である。しかしそもそも、経営の健全性は銀行自身に任せればよい。不健全な銀行は淘汰されるだけだ。前作『オレたちバブル入行組』で作者が書いたとおり、北海道拓殖銀や長銀が倒産しても何も起きなかった。
本作の二大悪役のうち、大和田常務は自分の不正が悪だと自覚している。しかし金融庁の黒崎検査官は、銀行内の派閥争いへの加担は悪だと承知していても、監督行政そのものが税金の無駄遣いという自覚はない。だから、より救いがたい。
監督官庁が正義の味方などでない現実を、本作は教えてくれる。ただし、登場人物がマンガ的すぎるところは惜しまれる。黒崎検査官がある人物の娘の婚約者であることが土壇場で明かされるが、彼はいつもオネエ言葉で話しているから、女性と当たり前に結婚するのは唐突に感じる。
0 件のコメント:
コメントを投稿