「昭和天皇は平和主義者で、戦争になったのは政府の決定に従う立憲君主だったから」「自分はどうなってもいいからとマッカーサーに直訴し国民を救おうとした」――。これら保守派史観を検証・批判。史料の解釈に異論はあるかもしれないが、しっかり根拠を示す論陣と燃えるような怒り、ときにのぞくユーモアで読ませる。
<抜粋>
大日本帝国憲法は天皇大権を規定しており、「君臨すれども統治せず」という英国流の議員内閣制の憲法ではない。…絶対的大権を天皇に保持させた「英国の憲法とは根本に於て相違がある」憲法だった。(p.61)
昭和天皇が「私の身はどうなろうと構わないから、国民を作ってほしい」といって降伏した、という真っ赤なウソの作り話は…マッカーサーとの会見についてのリアルタイムの記録には全く無いものである。(p.132)
東条〔英機〕や木戸幸一ら股肱の臣を死刑、終身刑に処し、昭和天皇は免罪した「戦争裁判」である東京裁判…に対して、昭和天皇はあらためて心からの感謝の意を、日本から去るマッカーサーに伝えたのだった。(p.221)
〔弟の〕高松宮は天皇が「裸の王様」であることをよく知っていた。昭和天皇が本心から対英米開戦し、宮(や近衛)の早期和平提案にも耳を貸さず、いたずらに国民の犠牲を激増させたことをよく知っていた。(p.244)
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