2016-06-21

古川隆久『昭和史』



国家主義による惨禍

膨大な犠牲者を出し敗れた昭和の戦争の原因は、国民は国家のためにあるとする明治以来の国家主義にあったと正しく指摘。従軍慰安婦問題、南京虐殺事件は日本軍の短期的で狭い視野がもたらしたと喝破する。天皇の戦争責任についての見解がやや穏当すぎる気もするが、開戦を最高責任者として承認した責任、降伏が遅れ戦禍を拡大させた責任は明記する。

<抜粋>
この戦争〔=日中戦争〕を神聖な戦争と意義づけたことは、日本内部での戦争に対する冷静で客観的な検討の余地を封じ、日本の中国側への譲歩をむずかしくし、戦争を長期化させる結果を招いた。(p.143)
 
従軍慰安婦問題の核心は、日本軍の兵士の待遇にある。一度出征すると一年以上も戦場にとどめられた。…常に短期的な視野で、余裕のない精一杯背伸びした戦いをし続けたつけが慰安婦問題という重い問題を引き起こしたのである。(p.148)
 
松井石根中支那方面軍兼上海派派遣軍司令官は…上海戦苦戦の不名誉を挽回しようとした…南京事件は、兵士の気持ちより自分の名誉を優先したエリート軍人の視野の狭さにより兵士たちが無理を強いられたことが招いた悲劇だった。(p.148)
 
〔昭和天皇は〕降伏という大事な決断をした…。戦争による問題の解決という方向性をしぶしぶとはいえ最高責任者として承認し、全面降伏を避けるために一撃講和論に賛成して惨禍を拡大することに加担したことも事実である。(p.369)

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