藤井非三四『陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人』(集英社新書)は、戦前の陸軍、海軍が国防という任務を果たすうえでいかに欠陥を抱えた組織だったかを、多くの具体例を挙げて明らかにする。
たとえば人事。平時はもちろん、戦時になっても年功序列、学校の成績を重んじ、信賞必罰がなされない。海軍で主戦力となった空母機動部隊の司令長官には、航空に暗い南雲忠一ではなく、航空育ちで積極果敢な山口多聞を起用すべきだったと今も語られる。しかし「それはまったく無理な話だ」。なぜなら「南雲は海軍兵学校三十六期、山口は四十期、四期も若い者を後任として補職することは、制度的にあり得ないし、当時はそう発想すること自体、妄想として片付けられた」からである。
たとえば組織。陸海軍の連携がとれていなかったことは有名である。陸軍の輸送船団の護衛には海軍が当たったが、どちらの指揮官が全体の指揮権を握るかあいまいで、情報の共有も不十分だった。その結果招いた「信じられないような椿事」の一つが、バタビア沖海戦での同士討ちである。味方である海軍の魚雷誤射により陸軍の輸送船団四隻が沈没し、陸軍司令官の今村均中将が海中に投げ出され三時間漂流した。「統一指揮の下に行動すれば、情報を共有することができて、錯誤が避けられる」はずだったと藤井は指摘する。
これらの欠陥には、程度の差はあれ、外国にも共通なものが少なくない。たとえば陸軍と海軍の反目は日本に限らない。
民間企業でも、硬直した人事や官僚的な組織など政府の軍隊と似た欠陥が生じる場合はある。しかし政府の軍隊と決定的に異なるのは、そのような欠陥を克服できない企業は、満足できるサービスを提供できずに顧客から見放される点である。政府の場合、どれほど低劣なサービスでも、顧客である国民から見放される気遣いはなく、殿様商売に胡座をかいていられる。
近代国家が成立する以前のヨーロッパでは、国防のかなりの部分は傭兵や私掠船といった民間武力集団によって担われた。日本の武士も古くは傭兵的性格が濃かった。国防は政府にしかできないという考えは、かつて国鉄や電電公社の民営化に反対した左翼の主張と同じく、誤った思い込みにすぎない。
(2014年6月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)
>>騎士コラム
2 件のコメント:
外国と比べて、自国軍の運営方法が下手だった(=敗戦した)からといって、独立国が自国軍をすべて民営化して他人の指揮に任せることは危ない。もしそうすれば、その軍隊がクーデタを起こし政府を倒す危険が高い。
国家と自由主義の位置関係(=国家間の自由主義と国家内の自由主義)を現実的に考え直されてはどうか。
クーデターを起こして以前の政府に取って代われば、それはもう民間の防衛会社ではなく、政府です。
市民にとっての危険は民間の防衛会社ではなく、政府という存在にあることがわかります。
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