それは「反中」言論人の主張を見ればわかる。2010年に出版され、最近また本屋で平積みされている三橋貴明『中国がなくても、日本経済はまったく心配ない!』(ワック)で、著者の三橋はシナの共産主義体制を非難する一方で、自由の抑圧に羨望を隠しきれない。
三橋は「そもそも中国共産党は『国民を豊かにする』ことを目標に国民経済について考えない」と述べ、彼らが考えているのは統計上の経済成長率を達成することのみだと批判する。
ところが自分自身、シナに劣らず、統計上の経済成長率を高めることばかり考えている。ケインズが広めたマクロ経済学の教義を疑いもせず、公共投資はGDP(国内総生産)を直接増やす効果があるので、現在のような不況時には政府は積極的に「財政出動」すべきだと力説する。
たしかに公共投資は数字の上でGDPを増やす効果がある。だがそれは計算式がそうなっているからにすぎない。どのような投資をおこなうかは、国民の自由な選択でなく、政治判断で決まるから、国民の多数が真に求めるサービスを供給できない。だから国民を豊かにしない。しかも原資は税金である。
つまり公共投資とは、国民から強制的に取り上げた財産を政府が都合よくばらまく行為であり、自由主義の価値観とは相容れない。そのような行為を推奨する三橋の思考は、共産主義のシナ政府と本質的に変わらない。
実際、三橋はシナの全体主義を心底忌まわしいとは考えていない。そうでなければ、シナ政府が銀行に融資拡大を強制したことについて「正直……聞いた瞬間、著者は思わず『この手があったか!』と膝を打ってしまった」と軽薄にも書いたり、政府が公共投資を増やすと野党やマスコミがすぐ無駄遣いだと批判する日本と違い、一九三〇年代のナチスドイツや現在のシナでは「誰かがケチをつけようものなら、何か理由をでっちあげ、逮捕収監してしまえば済む話」と羨ましそうに述べたりはできまい。
公共投資を熱心に説いたマクロ経済学の祖ケインズは、ナチス支配下で出版された主著『一般理論』ドイツ語版への序文で、自分の理論は自由主義国よりも「全体主義国の条件にずっと適合しやすい」と記した。教祖自身があけすけに認めるとおり、経済への政府の介入を当然と考える思想は、自由主義に反する。ケインズ流の介入思想のいかがわしさに鈍感な日本人に、シナの共産主義を笑う資格はない。
(2012年11月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)
>>騎士コラム
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