2024-04-28

語られないジェノサイド

ジェノサイド(集団殺害)とは、「国民的、人種的、民族的または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われた」(ジェノサイド条約第2条)行為を指す。ナチス・ドイツが600万を超えるユダヤ人を組織的に殺害したホロコーストを契機として第二次世界大戦後に結ばれ、ジェノサイドという残虐行為を二度と繰り返さないという国際社会の決意を表すとされる。しかしこの言葉は、政治の都合によって利用されたり、無視されたりする。
朝日新聞は4月13日、イスラエル軍の攻撃が続くパレスチナ自治区ガザで、長年イスラエルの占領政策を批判してきた、パレスチナ人の人権活動家で弁護士のラジ・スラーニ氏のインタビューを載せた。ガザで3万3000人以上が犠牲になった今回の戦闘はジェノサイドだと同氏は明言する。

スラーニ氏の主張はおおむねポイントをついている。①昨年10月7日にガザの抵抗組織ハマスが攻撃を始めたからといって一般のパレスチナ人が死んでもいいはずはない②イスラエル軍は長年にわたり占領しているガザやパレスチナ自治区ヨルダン川西岸で多くの市民を殺してきた③ガザに降り注ぐ爆弾の多くは米国から供給されたもの——といった指摘だ。

しかしその中で、うなずけない発言があった。「ロシアによるウクライナの占領に西側社会が団結して反対し、ウクライナの支援に団結した」という箇所だ。

大手メディアは言及を避けているが、このブログで何度も書いてきたように、ウクライナ戦争とは、ロシアが一方的にウクライナに攻め込み、占領したという単純な話ではない。

政治学者の大崎巌氏も最近出版した著書で、「(2014年にウクライナで起こった)マイダン・クーデター後の8年間、米国・NATO(北大西洋条約機構)に支えられたポロシェンコ・ゼレンスキー両政権は、ロシア系ウクライナ人のロシア語を使用する権利を奪い続け、自治の拡大と生存権を求めて闘っていたロシア語話者の自国民をテロリストと呼んで弾圧・攻撃・虐殺し続けた」(『ウクライナ危機と<北方領土>』)と指摘する。

2022年2月に始まったロシアの軍事行動には、虐殺されるロシア系ウクライナ人を救うという目的があった。目的が立派でも所詮戦争は生命や財産の侵害だという問題はあるにせよ、少なくとも大手メディアが書き立てるような、領土欲に燃えるロシアが無実のウクライナを一方的に侵略したという単純な構図ではない。

マイダン・クーデターから2023年4月下旬までに、ウクライナ政府側は東部ドンバスで5000人を超える民間人を虐殺したとされる。大崎氏は現在のガザ危機と対比し、「(イスラエルの)ネタニヤフ政権が行なっていることは、2014年のクーデター後にポロシェンコ・ゼレンスキー両政権がドンバスで行ったことと同様、選民思想による他集団へのジェノサイドという犯罪行為だ」と批判する。

ところが朝日が掲載したスラーニ氏のウクライナ戦争に関する発言には、そうした視点がまったくない。同氏自身、「この(ガザでの)ジェノサイドは昨年10月7日に始まったわけではない」と述べ、イスラエル軍によるパレスチナ人の虐殺はその前から長年続いてきたと強調しておきながら、ウクライナ政府によるロシア系住民の虐殺が2022年2月以前から長年続いてきた事実は無視している。

朝日としても、ガザとドンバスの人々はどちらもジェノサイドの犠牲者だという真実を語られては、ロシアを一方的に悪者扱いする日頃の報道と矛盾し、都合が悪いだろう。朝日などリベラル派メディアはいつも、弱者に寄り添う姿勢を強調するが、どうやらその弱者の中に、政治的に都合のよくない存在であるロシア系ウクライナ人は含まれないようだ。

政治的に都合のよくないジェノサイドが語られない一方で、政治的に都合がよいジェノサイドは大いに喧伝される。それどころか、存在しないジェノサイドまででっち上げられる。

米国務省は今月、各国の2023年の人権状況を評価した年次報告書を公表した。報告書は中国について、新疆ウイグル自治区で、イスラム教徒の多いウイグル族やその他の民族的・宗教的少数派に「ジェノサイドや人道に対する罪」が起きたと指摘した。朝日新聞によれば、報告書の公表にあわせて記者会見したブリンケン米国務長官は、ウイグル族について「ジェノサイドと人道に対する罪の犠牲者」だと言及し、「責任を負う政府に直接、深い懸念を表明し続ける」と述べた。

このウイグル族に対する「ジェノサイド」とは果たして本当なのか、かねて疑問が持たれている。大手メディアの報道などによれば、中国政府はウイグル族を強制収容所に入れ、虐殺、拷問、洗脳、強制労働、強制不妊手術などを行っており、これがジェノサイドにあたるという。

これに対して中国政府は否定し、反論がなされている。①100万~200万人とされるウイグル族収容者の大半はすでに出所②ウイグル族収容者に対し行っているのは有用な労働技能の訓練③中国の脱過激化プログラムは2006年の国連グローバル・テロ対策戦略と一致し仏英米豪と類似④中東のイスラム諸国やイスラム教徒の多い東南アジア諸国にも同様の脱過激化プログラムがある——などだ。脱過激化プログラムとは、過激なイスラム主義思想を除去して元テロ実行犯受刑者を悔悛させ、寛容なイスラム理解を精神に移植する教育・訓練を指す。中国がテロ組織に指定するウイグル独立派組織「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)」の元メンバーなどが対象とみられる。

2019年7月上旬、欧米21カ国と日本が国連人権理事会で、新疆ウイグル自治区におけるウイグル族弾圧の疑いで中国を批判する共同声明を発表したところ、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の37カ国が独自の書簡で中国を擁護した。署名した半数近くがイスラム教徒の多い国だった。元豪外交官ジョン・メナデュー氏が運営するウェブサイトの記事は「中東、アフリカ、中央アジア、東南アジア全体で、新疆ウイグル自治区でのイスラム過激派の拘束に関する虚偽・誇張された主張に引っかかったイスラム諸国はひとつもない」と書く

最近、ロイター通信の報道により、米トランプ政権下の2019年以降、米中央情報局(CIA)が中国の国際的な評判を落とすための秘密作戦を展開していたことが暴露された。この作戦の一環としてウイグル族弾圧の偽情報が流布されたのではないかとの見方もされている。

あきれたことに、ブリンケン国務長官は記者会見で中国の「ジェノサイド」を非難した数日後に訪中し、虐殺犯であるはずの習近平国家主席とがっちり握手を交わした。どうやら米政府自身、中国の「ジェノサイド」が本当だとは信じていないのだろう。他国をありもしない罪で罵りながら、イスラエルによる正真正銘のジェノサイドに資金・兵器支援で加担するその面の皮の厚さには、ほとほと恐れ入る。だが政府にしろメディアにしろ、言葉を都合に合わせて利用する者は、やがて誰からも信用されなくなるだろう。

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