2024-12-16

荘子の自由放任主義

荘子は、姓は荘、名は周。中国の戦国時代、宋の蒙(河南省)に生まれた。蒙の漆園の番人をしていたという。楚の国王が宰相の地位を与えようとしたが固辞し、悠々自適の自由人としての生活を選んだと伝えられる。老子とともに道家を代表する思想家だ。小国寡民の政治を理想とした老子に対し、荘子は一切の政治的配慮を捨て、超然として実存的な自由を説く違いがある。

荘子 内篇

著書とされる『荘子』(引用は原則、池田知久訳による。表記を一部変更。カッコ内は篇名)は、奇想天外な比喩や寓話に富む。とりわけ巻頭に置かれた「大鵬」の寓話は、はなはだスケールが大きく、大いなる自由を説く荘子にふさわしい。

「北の彼方、暗い海に魚がいる。その名を鯤(こん)と言う。鯤の大きさのほどは、何千里あるのか計り知ることができない。やがて変身して鳥となり、その名を鵬(ほう)と言う。鵬の背平は、何千里とも計り知ることができないほどだ。一度奮い立って飛び上がると、広げた翼は天空深く垂れ込めた雲のよう。この鳥が、海のうねりそめる頃、南の彼方、暗い海に渡っていこうとする。南の暗い海とは、天の果ての池である。……鵬が南の暗い海に渡っていくありさまは、三千里に及ぶ海面を激しく羽撃ち、つむじ風を羽ばたき起こして九万里の高みに舞い上がり、ここを去って6カ月飛び続け、そうして初めて一息つくのである」

蝉と小鳩がこれを笑って言う。「俺たちは勢いこんで飛び立ち、楡(にれ)・枋(まゆみ)に止まろうとするけれど、そこまで届かず地面に引き戻されてしまう時だってある。九万里もの高みに舞い上がり、さらに南を目指すなんてことをして、何になるのだろう」(逍遥遊)

これに対し、荘子は「小さな知恵は大きな知恵に及ばない」とコメントする。愚者は「飛ぶことにどんな利益があるか。疲れるだけ損だ」と言うが、賢者にとっては、力を尽くして飛ぶこと自体が生きることなのだ。

そんな荘子は政治について、政府が人々の生活に介入せず、自由に任せるよう説いた。「もしも君子が、やむをえず天下に君臨するようなことになった場合、無為(何もしない)でいるのが最もよい。為政者が無為であって、初めて人々はそれぞれの性命の自然な形に落ち着くことができるのである」(在宥)。中国思想学者の池田知久氏は「前漢初期のレッセ・フェール政策を述べた文章」だと指摘する。

近代経済学の祖とされる英国のアダム・スミスは『国富論』(1776年)で、個人が自分の利益に従って行動すれば、「見えない手」に導かれて社会の利益が促進されると説いた。荘子は近代西洋のスミスにはるかに先立つ古代東洋で、同様のレッセフェール(自由放任主義)思想を抱いていた。

経済・社会の自由な発展をこざかしい人為によって妨げれば、深刻な弊害を招く。そう解釈できる寓話がある。「南の海を治める帝を儵(しゅく)、すなわちはかない人のしわざと言い、北の海を治める帝を忽(こつ)、すなわち束の間の命と言い、中央を治める帝を渾沌、すなわち入り乱れた無秩序と言う。ある時、儵と忽が、渾沌の治める土地で思いがけず出会ったが、渾沌は彼らを大変手厚くもてなした」

そこで儵と忽は、渾沌の好意にお礼をしようと相談した。「人間は、誰にも七つの竅(あな)が具わっていて、視たり聴いたり食ったり息したりしているのに、独り渾沌だけに竅がない。一つ竅を鑿(ほ)ってやろうではないか」。こうして、一日に一竅ずつ鑿っていったところ、「七日目に渾沌は死んでしまった」(応帝王)。

自由に任せるのとは逆に、人民を重税などで苦しめる権力者に対しては、荘子は厳しい目を向けた。そうした権力者は泥棒と変わらないとして、「帯の止め金を掠め取った程度のかっぱらいは、死刑に処せられるが、国を盗んだ大泥棒となると、諸侯までのし上がる」(胠篋)と断じる。

権力者を盗賊と同一視する考えは、他の思想家にもある。たとえば、古代キリスト教最大の神学者アウグスティヌスが著書『神の国』に記した逸話によれば、アレクサンドロス大王が捕らえた海賊は、大王に対し「私は小さな舟で荒らすので海賊と呼ばれ、陛下は大艦隊で荒らすので皇帝と呼ばれるだけ」と答えたという。アウグスティヌスは「この答えはまったく適切で真実を衝いている」と評した。荘子と同意見だ。経済学者マレー・ロスバードは「荘子はおそらく、国家を巨大な盗賊とみなした最初の理論家だった」と述べる。

冒頭で述べたように、荘子は政治権力に仕えることを嫌った。あるとき川のほとりで独り釣り糸を垂れていると、楚の国王が二人の使者を立て、国の政治を司る宰相になってほしいと頼んだ。すると荘子は釣竿を手にしたまま、振り向きもせず、こう尋ねた。「聞くところによると、その国には死んで三千年にもなるという神聖な亀がいて、王はこれを袱紗(ふくさ)で包み竹箱に収めて、先祖の廟堂(みたまや)の中に大切にしまっておられるとか。ところでお尋ねするが、この亀にしてみれば、殺されて甲羅を残して大切にされたかっただろうか、それとも生き長らえて尻尾を泥の中に引きずっていたかっただろうか」

二人の使者は口をそろえて、「それは、やはり生き長らえて尻尾を泥の中に引きずっていたかったでしょう」と答えた。すると荘子は言った。「帰って下さい。私も尻尾を泥の中に引きずっていたいと思うのです」(秋水)。自由を愛する荘子らしいエピソードだ。

あるとき荘子は夢の中で、ひらひらと舞う胡蝶(蝶)となった。荘周(荘子の本名)であることを忘れ、ふっと目が覚めると、きょろきょろと見回す荘周である。荘子は言う。「荘周が夢見て胡蝶となったのか、それとも胡蝶が夢見て荘周となったのか。真実のほどはわからない」(斉物論)

この寓話が物語るように、人生とは、もしかすると大いなる夢かもしれない。そうだとすれば、死を恐れる必要はない。『荘子』の巻末に近い列御寇篇によれば、荘子は臨終の際、手厚く葬りたいという弟子たちの申し出を退け、葬礼に必要な品々はこの天地や日月に星々、地上の万物などで十分だと答えたそうだ。

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