2022-10-18

ノーベル経済学賞を廃止せよ

経済教育財団(FEE)ライティングフェロー、ピーター・ヤコブセン
(2022年10月11日)

1974年、オーストリアの経済学者ハイエクが「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」(通称「ノーベル経済学賞」)を受賞した。

ハイエクの受賞とそれに続く受賞スピーチは、多くの点で注目されたが、最も重要な洞察は、スピーチの冒頭にあったかもしれない。

「もし私がノーベル経済学賞を創設するかどうか相談されたなら、断固として反対するよう勧めたはずだ」とハイエクは言った。

ハイエクはこの賞に反対する理由を二つ挙げている。第一に、この賞が「科学的流行の揺らぎ」を助長することに懸念を示した。もっとも、ハイエク自身の考えがいかに流行っていないかを考えれば、この問題はさほど深刻ではないはずだとジョークを交えて述べている。

ハイエクの反対理由は、主に二つ目の理由によるものだった。

「ノーベル賞は、経済学において人が持つべきでない権威を個人に与えるものだ」とハイエクは述べている。

私は大学院で経済学を専攻していたとき、ジョージ・メイソン大学の経済学と哲学の教授であるピーター・ベトケ博士のもとで学ぶ機会に恵まれた。ベトケの教師としての価値は、無限に続くと思われる格言のリストにある。私のお気に入りは、「経済学者は黒板を見る時間を減らし、窓の外を眺める時間を増やすべきだ」というものだ。

言い換えれば、経済学者は文明と行動の研究者である。人は経済法則や事実が自分の住む世界でどのように観察されうるかに関心がある。

一方、形式的な経済学の多くは、黒板に書かれた抽象的で論理的整合性のある方程式の集合であり、エレガントではあるが、普通の人々が直面する知識や誘因の問題を無視している。

このような知識や誘因の問題、現実の人々、現実の制度を除外すると、黒板に書いた方程式を現実の世界に誤って適用してしまいがちになる。

例えば、黒板の方程式は、金融市場の暴落を防ぐには、預金者や投資家の信頼を高めるために、銀行に資金を注入する必要があると示したとしよう。いくつかの方程式を使って最適な救済額を計算すれば、金融危機は回避される。

経済を黒板の上にきれいにまとめられると信じる専門家は、現実の経済をいじくり回し、黒板に書かれたことと一致させたくなるのだ。

しかし、現実の世界はそうではない。窓の外を見れば、金融機関が救済を期待することで、よりリスクの高い行動を取るように仕向けられていることがわかる。金融機関の中には、救済を口実に、競争を排除するような規制を求めるところもあるかもしれない。

黒板の外には、複雑な問題が山積している。

ベトケ博士は二人の共著者との論文で、「高僧の地位を拒否し、卑しい哲学者の地位を受け入れて初めて、経済学者は傲慢による破滅から経済学を救うチャンスを手にする」と述べている。

経済学者が本領を発揮するのは、窓の外を眺め、文明を研究するときである。これは複雑な方程式や政府の政策に関わる地位よりも、華やかさに欠けるかもしれない。しかし、地位を得ても魂を失ったら、この職業に何の利益をもたらすのだろうか。

ハイエクが気づいていたように、ノーベル賞の華やかさは、経済学者が高僧であるという考えを強めかねない。それなら最善の道は、ノーベル経済学賞を廃止し、代わりに経済学者が皆、外に存在する現実の世界を見ることのできる、窓のあるオフィスに入るようにすることだ。

(次より抄訳)
Abolish the Economics Nobel Prize - Foundation for Economic Education [LINK]

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