2022-10-23

サッチャーの伝説

歴史家、ブルース・バートレット
(2011年7月5日)

米国の共和党は、英国のマーガレット・サッチャー元首相を尊敬してきた。1979年のサッチャーの当選は、共和党にとって大きな喜びであり、自分たちの考えが上向きであることの証左であり、1980年に世界的な保守化の流れの中でロナルド・レーガンが米大統領に選ばれることへの確信を高めた。

サッチャー氏は、1990年に首相・保守党党首の座を追われて以来、米国の右派の間でその名声は高まる一方である。特に今がそうだ。

サッチャー氏は英国政治史に燦然と輝く人物であり、賞賛に値するが、その政権時代に関する保守派の伝説は、事実と食い違っている。伝説では、サッチャー氏はレーガン以上に盛んに減税と福祉国家の縮小を推進したとされている。しかし、それは事実ではない。

この表が示すように、英国の国内総生産(GDP)に占める税金の割合は、サッチャー氏の最初の7年間にむしろ急増し、その後数年間は減少している。しかし、最後の7年間は、就任当時よりもかなり高くなっている。歳出も最初の7年間は増加し、その後は減少した。

サッチャー氏の税制を知る者にとっては、この数字は驚くべきものではない。就任早々、個人所得税の最高税率を83%から60%に引き下げたが、基本税率は33%から30%にしか下がらなかった。そして1980年には25%の軽減税率が廃止され、30%が最低税率となった。

さらに重要なことに、サッチャー氏は1979年の減税の代償として、付加価値税を8%から15%にほぼ倍増させた。サッチャー氏がとんでもない間違いを犯していると考えた者の中に、米経済学者アーサー・ラッファーがいた。1979年8月20日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙に寄稿したラッファーは、「片方の手で取り、もう片方の手で与える」とサッチャー氏を叱責している。

「サッチャー予算は、経済的影響の少ないところで税率を下げ、経済活動に直接影響を及ぼすところで税率を上げている」とラッファーは訴えた。

米作家ジョージ・ギルダーは、ベストセラー『富と貧困』の英国版(1982年)の序文で、減税も歳出削減もできなかったとしてサッチャー氏を強く批判している。「サッチャー政策の正味の効果は、事実上すべての納税者に対する大幅な増税であった」

サッチャー氏は、第二次世界大戦後に国有化された多くの産業や企業を民営化し、労働者階級の大部分が住んでいた英国の公営住宅の多くを売却したが、英国の福祉国家の規模を縮小することはほとんどしなかった。

とりわけサッチャー氏は、他の保守党員と同様、すべての英国人に国民健康保険を提供する国民医療制度(NHS)を強く支持した。

英財政研究所が英国の長期の歳出傾向を調べたところ、サッチャー氏は、戦後増加を続けてきた歳出をほぼ横ばいにした。これには多くの政治的努力を必要とした。保守党が議会を支配し、英国の首相は米国の大統領よりも憲法上の制約がはるかに少ないにもかかわらずである。しかしサッチャー時代の終わりに、福祉国家はまだ無傷だった。

フィナンシャル・タイムズ紙のコラムニスト、マーティン・ウルフ氏はこう語った。「すべての偉大な政治家と同様、サッチャーはイデオローグ(理論家)ではなくプラグマティスト(実践者)であり、戦う相手を慎重に選んだ。福祉国家を正面から攻撃すれば、党が選挙で不利になるとわかっていた」

ウルフ氏によれば、サッチャー氏は減税よりも財政安定と赤字削減をはるかに重視しており、(政府の)債務不履行が「賢明だという考えは、彼女にとっては非常識だっただろう」という。

サッチャー氏はレーガンと同じく、国を保守的な方向に進めた。しかしサッチャー氏の財政における功績は、今日の共和党員の多くが考えているよりもはるかに控えめなものだった。

サッチャー氏から学ぶべきことは、強力なリーダーが議会を完全に支配していても、政府の規模を縮小することは非常に困難であり、そのためには何年もの苦闘が必要で、結局はあまり縮小しない、ということだろう。

(次より抄訳)
Bruce Bartlett: The Legend of Margaret Thatcher - The New York Times [LINK]

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