2022-10-14

知識人と社会主義

経済学者、フリードリヒ・ハイエク
(1949年)

すべての民主主義国、とりわけ米国では、知識人が政治に及ぼす影響はごくわずかだという強い信念に支配されている。たしかに、知識人がその時々の問題に関して独特の意見を意思決定に及ぼす力、大衆と意見が異なる問題について投票行動を左右する度合いについては、そうだろう。しかし、より長い目で見れば、民主主義諸国で、知識人が今日ほど大きな影響力を行使したことはない。この力は世論を形成することによって行使される。

最近の歴史に照らすと、他人の思想を受け売りする専門家たちのこの決定的な力が、いまなお一般に認識されていないのは、いささか不思議なことである。過去百年間の西側世界における政治の動向が、最も明確な証拠となる。いつ、どこであれ、社会主義が初めから労働者階級の運動であったことはない。社会主義は決して、労働者階級の利益が必然的に要求する、明白な悪に対する明白な救済策ではない。社会主義は理論家の構築物であり、長い間、知識人だけが精通していたある種の傾向をもった抽象的観念をもとに生まれたものである。そして知識人による長期にわたる説得の結果、労働者階級は社会主義を自らの綱領として採用するようになったのである。

社会主義に向かった国はどこでも、社会主義が政治に決定的な影響を及ぼすようになるよりもかなり前に、社会主義の理想が活動的な知識人たちの思考を支配した時期があった。ドイツではこの段階は十九世紀末に訪れ、英国とフランスでは第一次世界大戦のころだった。一見したところ、米国は第二次世界大戦後、この段階に達したように見える。計画的指令経済体制の考えが、かつてドイツや英国の知識人の間でもてはやされたように、米国の知識人の間でも強く支持されている。経験上、いったんこの段階に到達すれば、現在、知識人に支持されている考えがその後に政治を支配する力となるのは時間の問題である。

科学者や学者の評判でさえも知識人階級によって作られ、実際の業績の真価とはほとんど関係のない事柄について知識人が抱く見解にどれほど左右されているか、門外漢の人々はおそらく気づいていないだろう。そしてここで議論している問題にとってとくに重要なのは、どの学者も、知識人が「進歩的」と見なす政治的見解をもっているという理由だけで、偉大な科学者として不当に大衆の評価を得た人物の例を、自分の専門分野から挙げることができるということだ。これに対し、保守的な学者に政治的な理由で科学者として不当に高い偽りの評価が与えられた例を、私はこれまで一度も見たことがない。

知識人が科学者の評判をつくりだすことがとくに重要となるのは、専門家の研究結果が他の専門家に利用されることによって決まるのではなく、大衆の政治判断によって決まるような研究分野である。社会主義や保護主義といった学説の発展に対し経済学者がとってきた態度ほど、それをよく示すものはない。

社会主義(あるいは保護主義)に好意的な経済学者が、同業者から認められていた時代はおそらくなかっただろう。これほど高い割合で社会主義(あるいは保護主義)に反対している研究者集団は他にないとさえ言えるだろう。近年、社会主義的な社会改革への関心から経済学を職業に選んだ人が少なくないことを考えれば、この点はいっそう興味深い。ところが、知識人が取り上げ広めるのは、専門家の間で主流となっている見解ではなく、少数派の見解、それもその専門家としての地位がやや疑わしい人々の見解なのである。

(次より抄訳)
Why Intellectuals Fall for Socialism | Mises Wire [LINK]

(参考)
『社会主義と戦争』(ハイエク全集 第2期)尾近裕幸訳、春秋社

0 件のコメント: