2022-10-14

偽りの金本位制

経済学者、ジョセフ・サレルノ
(2021年5月28日)

歴史上、貨幣の自由を体現したのが金本位制である。金本位制が最も栄えた時代は、偶然にも19世紀である。古典的自由主義が君臨し、かつてないほどの物質的進歩と国家間の平和的関係の世紀であった。しかし金本位制に代表される貨幣の自由は、古典的自由主義時代の他の多くの自由とともに、第一次世界大戦によって悲惨な結末を迎えることになった。

金本位制下の政府や商業銀行は、長期では通貨供給量に対して大きな影響力を持たなかった。19世紀に起こった大規模なインフレは、戦時中に起こったものだけである。戦争にかかる膨大な費用を国民に隠すために、増税ではなく、紙幣を印刷することでその費用を賄ったのである。

第一次世界大戦が勃発すると、数週間のうちに、すべての交戦国が金本位制から離脱した。言うまでもなく、戦争が終わる頃には、これらの国々の不換紙幣は、程度の差こそあれ、インフレに見舞われていた。特に、1923年に頂点に達したドイツのハイパーインフレは最悪であった。1920年代には、自国通貨を正常化し、国民の信頼を回復するために、各国とも金本位制を復活させる。

しかし1920年代の金本位制は、古典的な金本位制とは根本的に違っていた。例えば英中央銀行のイングランド銀行は、ポンドを高価でかさばる金塊と交換するだけだった。金塊は主に国際貿易の支払いに使われた。

米ドルは建前上、正真正銘の金貨と交換可能だったが、銀行はもはや金貨ではなく、米連邦準備銀行(中央銀行)が発行する銀行券(紙幣)で準備金を保有していた。すべての金準備は、法律により連邦準備銀行の手に集中され、銀行は小切手の現金化、当座預金や普通預金の引き出しの支払いに連邦準備銀行券を使うことが奨励された。このため1920 年代に金貨はほとんど一般に流通せず、各国民は中央銀行の借用書(紙幣)をドル、フラン、ポンドなどの究極の実体として見るようになった。

19世紀には金本位制が非常にうまく機能していたことを、多少不本意ではあるが、多くの人が認めている。しかし同時に、金本位制は1920年代から1930年代にかけて突然崩壊し、この崩壊が世界恐慌を引き起こしたと主張される。通貨の自由は、1930年代の悲劇的な出来事のせいで永久に信用されない。金本位制は、その前の時代の利点がどうであれ、現代経済の厳しさとストレスに耐えられないことが証明された、古風で時代遅れの通貨制度とみなされている。

1914年の古典的自由主義時代の終焉によって、政府の中央銀行から、本物の金本位制の「黄金の手錠」が外された。もしこの「黄金の手錠」が1920年代にまだあったなら、中央銀行はそもそも通貨供給を膨らませないように厳しく制約され、世界恐慌に至る景気変動は起こらなかっただろう。

そもそも金本位制は、中央銀行がない方がはるかによく機能する。なぜなら、中央銀行は政治の産物で、本質的にインフレ傾向であり、小口預金商業銀行のインフレ傾向を抑制するよりも、むしろ促進しがちだからだ。

金本位制に対する批判は、一から十まで勘違いである。本物の金本位制は1920年代には破綻しなかった。なぜなら1914年以降、政府の政策によってすでに破壊されていたからである。

1920年代に世界恐慌の種をまいた通貨制度は、中央銀行によって操作され、インフレを引き起こす、偽りの金本位制であった。

米国の通貨供給量は、適切に定義すれば、1921 年から1928 年にかけて年率 7%で増加し、古典的金本位制の下ではなかった通貨膨張率を示した。1920年代には連邦準備銀行が、一部のマネタリストが描くような通貨供給量の減少要因として機能するどころか、管理下にある銀行準備金を年率18%も増加させた。

(次より抄訳)
How Governments Killed the Gold Standard | Mises Institute [LINK]

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