2023-07-04

物価上昇はなぜ「インフレ」か?

「インフレ」とは学校で誰もが教わり、メディアでもしばしば目にする経済の基本用語であるにもかかわらず、正しく理解している人は少ない。たとえば、そもそもなぜ「インフレ」という言葉が「物価の上昇」を意味するのだろうか。


英語のinflation(インフレーション)という名詞の元になった動詞inflate(インフレート)をオンライン英和辞書で調べると、最初の意味に「〈気球・肺・救命具などを〉ふくらませる、(空気・ガスで)膨張させる、拡張する」とある。グーグルで「inflate」と入れて画像検索してみると、風船を膨らませている写真がぞろぞろ出てくる。これがinflateという言葉の本来のイメージなのだ。

しかし「膨らませる」という語がどうして「物価の上昇」を意味するのだろう。「膨張」と「上昇」は似ているようで全然別の言葉だ。物価は「上昇する」のであって、「物価が膨張する」はおかしい。

じつは経済学の世界でも、かつてinflationは文字どおり「膨張」の意味で使われていた。何が膨張するのか。世の中に出回るお金の量、経済用語でいう通貨供給量(マネーサプライ)だ。

手持ちのお金の量が増えれば、多くのお金を払ってでもほしい商品を買おうとする人が増えるから、商品の値段は上昇する。つまり通貨量の膨張は原因で、物価の上昇はその結果だ。インフレという言葉はもともと通貨量膨張という原因を指したのに、いつの間にかその結果にすぎない物価上昇を意味する言葉に変わってしまったのだ。

「言葉の意味の移り変わりはよくある話」と思うかもしれない。だがこの変化には「実害」がある。

以前は政府・中央銀行が通貨量を膨張させると、それだけで不当な行為として非難を浴びた。お金全体の量が増えると、人それぞれが保有するお金の価値が薄まってしまうからだ。

商品の供給量が変わらないか減っているときは、他の条件に変化がない限り、お金の量が増えると物価が高くなるので、お金の価値が薄まったことに気づきやすい。人の目が欺かれやすいのは、生産活動が盛んで商品の量が増えている時期だ。お金の量が同じだけ増えても物価は上昇せず、影響が目に見えにくい。だが実際にはお金の所有者は見えない損失を被っている。本来なら商品の量が増えたおかげで物価が下がり、同じ金額で買える商品が増える、つまり、保有するお金の価値が高まっていたはずだからだ。

言葉の指す内容がすり変わるにつれ、それまで通貨量の膨張そのものに向けられていたインフレ批判が、その一つの結果にすぎない物価上昇に向かうようになってしまった。この違いは大きい。なぜなら「物価上昇さえ招かなければ通貨量をいくら膨張させても問題ない」という言い逃れの余地が生まれるからだ。

事実、現在ではこうした詭弁が経済学者や評論家によって広められ、「日本は物の供給能力が余っているのでお金の量を増やしてもインフレにはならない」などという主張のおかしさに誰も気づかない。お金の量を増やすことそのものが、インフレなのに。通貨量膨張を指す言葉が消えると同時に、私たちはそれを批判する発想そのものを失ってしまったのだ。

経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、こうした変化について次のように嘆いている。

「これまでインフレーションという語で表わしてきた内容を表せる適当な用語が、もはやなくなってしまった。命名できない政策と闘うことは、不可能である。政治家や著述家が、貨幣の巨額追加発行という便法に疑問をもっても、公衆が、認め理解できるような用語を使うことは、もはや、できなくなっている」(『ヒューマン・アクション』)

物価が上昇してから、ようやく批判を始めても、もはや手遅れだ。

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