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インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2023-12-03

世界経済、ロシアを超える脅威が襲う日~巨額債務、西側先進国を蝕む

ロシアがウクライナで軍事行動に乗り出してから2カ月半。戦争に収束の兆しは見えない。むしろ米欧側の国内事情もあり、さらに長引く恐れがある。


バイデン米政権は6日、ウクライナに1億5000万ドル(約200億円)相当の追加の軍事支援を決めたと発表した。2月24日にロシアが侵攻して以来、米国が決めたウクライナへの軍事支援はこの発表分を含め38億ドルに達する。

同政権はさらに、2022会計年度(21年10月〜22年9月)に計330億ドルの追加予算を計上するよう議会に要請している。予算計上の時期からみて、少なくとも今秋まで戦争を続ける構えのようだ。

11月8日には米中間選挙を控える。政権支持率が40%台前半と過去最低水準に低迷し、投票に近いタイミングでそれなりの「戦果」を誇示したいという事情もある。

同じく対ロシアで強硬姿勢をとる英国も、ジョンソン首相が官邸でのパーティー開催問題や物価高騰で非難を浴びている。5日に投票が行われた統一地方選は、同首相率いる与党・保守党が敗北した。逆風が強まるなか、批判をそらすのに都合のいい戦争は、すぐに終わってほしくはないはずだ。

しかし米欧に日本などを加えた西側諸国が、ロシアの「弱体化」(オースティン米国防長官)という無理のある目標を掲げて戦争支援を続ければ、やがてロシアを上回る脅威に襲われるだろう。それは外敵ではない。各国を内側から蝕む巨額債務だ。

ロシア、「金本位制」復活の見方


ロシア大統領府は4月29日、通貨ルーブルと金やその他商品の交換比率を固定することを検討していると明らかにした。 ペスコフ大統領報道官が記者団との電話会見で「この問題をプーチン大統領と話し合っている」と表明した。ロイター通信が報じた

ロシア中央銀行のナビウリナ総裁は記者会見で「いかなる形でも議論していない」と語っているものの、実現すれば、米国が1971年の「ニクソン・ショック」でドルと金の交換を停止して以来の金本位制復活となる。

金本位制とは、金を本来の通貨とする制度だ。中央銀行の発行する紙幣はいわば金との引換券で、一定量の金と交換(兌換)が約束されている。中央銀行は紙幣を大量に発行しすぎると、金との交換を次々に求められた場合、保有する金が底をついてしまう。米国が約半世紀前、金・ドルの交換停止に追い込まれたのは、まさにそれだった。

1960年代、米国は国内消費の増加に加え、東西冷戦を背景に新興独立国へ莫大な経済援助を行ったり、ベトナム戦争で軍事費が膨らんだりしたことなどから、国際収支が大幅な赤字となった。各国は獲得したドルを米中央銀行である連邦準備理事会(FRB)に提示し、金への兌換を請求したため、大量の金が海外に流出。ついに金の準備高が事実上底をつき、1971年8月、当時のニクソン米大統領が金・ドルの交換停止を緊急発表した。このニクソン・ショックで、金本位制は世界経済から姿を消した。

政府債務、「ニクソン・ショック」後に急膨張


金本位制の廃止によって、FRBは金の保有高に縛られず、ドルを自由に発行できるようになった。一見良いことのように思えるが、ひとつ問題があった。お金を自由に生み出せる「打ち出の小槌」を手にした人間は、節度のある使い方をすることが難しい。予算のばらまきが大好きな政治家なら、なおさらだ。ドルが大量に発行されるのと並行して、政府の借金が急膨張していく。

米連邦政府の総債務は1970年末に約4000億ドルだったが、今年1月末に初めて30兆ドル(約3450兆円)に達した。約半世紀で75倍に膨張している。約30兆ドルのうち、国債など連邦政府自身の債務が約23兆5000億ドル、社会保障基金などその他の公的機関の債務が約6兆5000億ドルとなっている。また、外国に対する債務は約7兆7000億ドルあり(2021年11月時点)、そのうち日本に対する債務が約1兆3000億ドルと最も多く、中国の約1兆1000億ドルが続く。

世界全体でも債務は膨らんでいる。とくにここ十数年は2008年のリーマン・ショックをきっかけとする世界金融危機、2020年からの新型コロナ感染症の流行に対し、各国政府が財政による対策に乗り出したため、公的債務の増大に弾みがついた。

国際通貨基金(IMF)によると、2020年に民間部門を含む世界の債務は第二次世界大戦以降、最大の年間増加額を記録し、債務残高は過去最高の226兆ドル(約2京5800兆円)に達した。対国内総生産(GDP)比は28ポイント上昇の256%となった。

債務増加額の約半分は政府が占め、残りは非金融企業と家計部門だ。公的債務は今や世界全体の40%を占め、ここ60年弱で最大となっている。世界の公的債務は対GDP比で過去最高の99%に跳ね上がった。

債務拡大はとくに先進国で顕著で、公的債務の対GDP比は2007年の約70%から、2020年には124%まで上昇した。中国を除き、新興国・途上国の割合は比較的小さい。

世界の債務は「危険水準」、IMFが警告


IMFは4月11日に公表した論評で、世界の債務負担が「危険な水準」に達したと警鐘を鳴らした。新型コロナ対策がいまだに多くの政府予算に重くのしかかるなか、ウクライナでの戦争を受けてリスクがさらに増したためだ。「負債の透明性を改善し、債務管理の政策および枠組みを強化するために、当局者による改革が急務」と呼びかけた。

しかし米欧は政府債務を削るどころか、ウクライナへの軍事支援に勢いづいている。日本は政府債務の対GDP比が235%と世界でも突出して高いにもかかわらず、2022年度予算は一般会計総額が約107兆円と10年連続で過去最大を更新した。さらに物価高騰対策として数兆円規模の国費を投じる予定だ。

これまで世界で巨額債務のリスクが金融危機やハイパーインフレなどの形で表面化しなかったのは、金利が低く抑えられていたからだ。しかし、その前提は崩れ始めている

ロシアの金本位制復帰が実現するかどうかはわからない。けれども半世紀前に金本位制を捨て、借金を野放図に積み上げてきた西側先進国が、遠からずそのツケを払わなければならないのは間違いない。

*QUICK Money World(2022/5/17)に掲載。

2023-11-19

物価高の犯人はロシアじゃない〜日米欧、マネー膨張で経済自壊の恐れ

西側先進国で物価が急上昇し、経済・社会に深刻な影響を及ぼしている。

米国では車社会に欠かせないガソリンの高騰が家計を脅かす。日本経済新聞によると、2022年に米国の家計が支払うガソリン代は前年に比べて1世帯あたり平均455ドル(約5万7000円)多い2945ドルになるという。


英国では4月から電気・ガス料金が平均5割上がったほか、食料品や衣類などあらゆる品目が値上がりして家計の購買力が目減りしている。所得が最低生活水準を下回る市民は数百万人増えるとの推計もある。

3月の消費者物価指数は、米国では伸び率が前年同月比8.5%となり、約40年ぶりの歴史的な高水準となった。英国でも同7.0%上昇し、30年ぶりの高い伸び率が続く。

日本は米欧ほど大幅ではないものの、生鮮食品を除く総合指数が前年同月を0.8%上回り、7か月連続で上昇した。総務省によると、通信料が携帯大手などの料金プランの値下げで大きく下落しており、この影響がなければ単純計算で2%を超える上昇になったという。今後、インフレが目に見える形で迫ってきそうだ。

インフレは「プーチン氏の責任」に疑問


インフレの「犯人」は誰なのか。米国のバイデン大統領によれば、それは今、世界一の悪者とされるあの人物しかいない。バイデン氏は12日、消費者物価が約40年ぶりの伸びになったことについて、「70%はプーチン(ロシア大統領)が引き起こしたガソリン価格上昇によるものだ」と述べた

ロシアのウクライナでの軍事行動が燃料などの価格を高騰させ、それが物価高を招いたという見方は、メディアでもよく見かける。しかし、この「ロシア犯人説」には疑問点がいくつかある。

まず、ロシア軍がウクライナに進駐する前から、物価は高騰していた。米国の消費者物価は3月まで7カ月連続で上昇している。ロシアが軍事行動を始めたのは2月24日だから、少なくともそれ以前の物価高の責任がプーチン氏にないのは明らかだ。

次に、軍事行動後も、ロシアが燃料の輸出を止めたのではなく、米欧側が経済制裁として輸入を止めたのである。バイデン大統領は3月8日、制裁の一環としてロシア産の原油、天然ガス、石炭の輸入を全面的に禁止する大統領令に署名している。

ロシアに対する経済制裁が、発動した側にも代償を強いることは、バイデン大統領自身、わかっている。同大統領は3月24日、ブリュッセルでの記者会見で、食糧不足が「現実化するだろう」と述べ、「制裁の代償はロシアだけに科されているわけではなく、欧州諸国や米国を含む極めて多くの国も科されている」と指摘した

最後に、燃料や食料の購入に使うお金が増えると、単純に考えれば、その分だけ他の商品・サービスが買われなくなって値下がりし、物価全体では変化がないはずだ。ところが実際には物価は全体で上昇している。

「真犯人」は中央銀行、貨幣数量説は生きていた


物価全体が上昇する場合、その原因は一つしかない。社会に出回る貨幣(お金)の量が増えることだ。そして現代の経済において、お金の量を増やせる主体は一つしかない。中央銀行だ。

米経済評論家ピーター・シフ氏は4月13日、米物価高の「真犯人」についてツイッターへの投稿でこう述べた。「プーチンとは関係ない。人々が食料とエネルギーに使うお金を増やせば、他の商品に使うお金は減り、それらの値段は下がるはずだ。Fed(米連邦準備理事会=FRB)がやったんだ!」

物価上昇の原因は貨幣量の増大であり、それ以外にはない。貨幣量の変動が物価水準の変化をもたらすというこの見解を「貨幣数量説」と呼び、その起源は18世紀英国の哲学者デビッド・ヒュームにまでさかのぼる。現代の理論家として有名なのはノーベル賞経済学者のミルトン・フリードマン氏で、「インフレはいつでもどこでも貨幣的な現象である」と喝破した。

2008年のリーマン・ショック後、先進国の中央銀行がお金の供給量を急激に増やしたにもかかわらず、消費者物価は比較的落ち着いていた。このため「貨幣数量説はもはや成り立たない」とも指摘された。しかし、そう決めつけるのは早計だ。

なぜならお金の量が増えても、生産される商品・サービスの量がそれ以上に増えれば、物価は上がらないからだ。近年、先進国では生産性の向上やグローバル化の恩恵によって商品・サービスが豊かに供給されてきた。これが物価の上昇を抑えてきたとみられる。

また、お金が流れ込み、値上がりしても、物価指数に反映されないものがある。不動産や株式などの資産価格だ。各国の金融緩和政策を背景に、資産価格は高騰してきた。それは物価指数の算出対象には含まれないため、物価指数は上昇せず、見せかけの「低インフレ」を演出する結果となった。

お金が資産よりも一般の商品・サービスに多く流れるようになれば、資産価格は下落に転じ、物価は上昇する。最近の株式相場の不安定な動きと消費者物価の高騰は、そうした大きな潮目の変化を示しているかもしれない。貨幣数量説は生きていた。

米欧日のインフレの犯人はロシアではなく、自国の中央銀行による金融緩和であり、それに頼る政府だ。そうだとすれば、インフレをなくすために必要なのは、ウクライナ紛争でロシア軍を倒すことではなく、マネーの膨張に歯止めをかけることのはずだ。しかし、実際にはどうだろう。

米国は金融緩和からの脱却にかじを切ろうとしている。パウエルFRB議長は21日の討論会で、5月の米連邦公開市場委員会(FOMC)で通常の2倍の0.5%の利上げを示唆し、その後も「速いペースで動くのが適切」と述べた。それでもリーマン・ショック以来膨張が続き、新型コロナウイルス感染症対策でさらに天文学的な規模に膨らんだお金の量は、まだまったく減っていない。

バイデン大統領は同日、ウクライナに対する8億ドル(約1030億円)の新たな軍事支援や5億ドルの財政支援を表明しており、米財政の肥大に歯止めがかかる気配はない。これではFRBも、国債利払いの増加につながる利上げを進めるには限度があるだろう。

インフレ抑制、立ち遅れる日本


英国やユーロ圏も金融緩和の終了に動いているものの、ウクライナ紛争が長引くなか、ガス調達が不安定になれば企業の生産活動が中断され、景気後退に陥る恐れを否定できない。利上げに待ったがかかる可能性もある。

日本はインフレ抑制で立ち遅れている。日米金利差の拡大を背景に円相場が1ドル=130円目前と20年ぶりの円安水準に下落しているにもかかわらず、金融緩和政策をかたくなに変えようとしない。

政府・与党も財政支出を減らすどころか、逆にさらに増やそうとしている。自民・公明両党は先週、物価高対策の補助金や給付金の財源確保へ補正予算案を編成し、今の国会に提出するよう政府に求めることで合意した。補助金や給付金でお金の量を増やせば、物価高に拍車をかけるばかりだ。

インフレの責任をロシアに押しつけ、自らの責任から目をそらし続ける限り、適切な対応をとることはできない。このままいけば、たとえ支援するウクライナがロシアに戦争で勝っても、米欧日は経済が自壊しかねない。

*QUICK Money World(2022/4/28)に掲載。

2023-11-14

日露戦争と重税国家

1904(明治37)年2月8日、日本海軍が中国・遼東半島のロシア租借地にある旅順軍港を奇襲攻撃し、日露戦争が始まった(宣戦布告は10日)。20世紀最初の帝国主義戦争となったこの戦争で、日本国民は10年前の日清戦争を大きく上回る犠牲をこうむる。


列強の中国侵略に反発して起こった民衆蜂起「義和団の乱」(1900年)の鎮圧後、中国・朝鮮の利権を巡って日露両国が対立を深めたことが、開戦の直接のきっかけだ。しかし日本が戦争に踏み切った根底には、明治維新以来の「ロシア脅威論」がある。

幕末以来、討幕勢力の中心となった薩摩・長州両藩や明治維新政府は、基本的に英国からの情報で世界を見ていた。明治政府が多数雇った「お雇い外国人」で一番多いのも英国人だった。

当時英国はバルカン半島、アフガニスタンなど世界でロシアと対立していた。極東でも、朝鮮半島と満州を巡って英露は牽制し合っていた。この英国の反ロシア戦略が、日本の政治家やジャーナリストの意識に影響を与えていく。実際には当時のロシアに、朝鮮半島まで急速に南下し、日本に押し寄せるだけの余力はなかった。ところが日本の為政者たちはロシアを実態以上に強大に見て、速やかに接近してくる最大の「脅威」だと思ってしまったのである(山田朗『これだけは知っておきたい日露戦争の真実』)。

日露戦争に向けた日本側の軍備拡張は、日清戦争直後から進められた。海軍力は英国の技術援助を受けながら、開戦前には戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻を基幹とする強力な艦隊を保有するに至った。これらの軍艦は日清戦争の時とは異なり、世界最高水準の最新鋭艦ばかりだった。陸軍力も日清戦争終戦時の8個師団から日露開戦前には13個師団へと増設され、部隊の火力も大幅に強化された。

この急速な軍拡は国家予算を圧迫する。一般会計に占める軍事費の割合は、日清戦争前の10年間(1884〜93年)は平均27.2%だったが、日露戦争前の10年間(1894〜1903年)には平均39.0%に達した。政府は軍拡費用を捻出するために大増税を行う。

日清戦争の時期から、軍事費を確保するために各種の税が導入・強化された。それまでの地租(地税)に加え、1887年には所得税、1896年には営業収益税(営業税)、1899年から法人税が導入される。さらに、1872年に導入した酒税の税率を上げ、1888年以降は税収に占める酒税の割合は20%を超え、97年以降は30%を突破する。日露戦争とその後の軍備拡張は酒税によって支えられたといっても過言ではない。塩・たばこなど国家専売品の値上げも軍拡費用を支えた(大日方純夫ほか『日本近現代史を読む』)。

これらの負担は民衆の生活にのしかかった。日露戦争は日本を重税国家に変えたのである。当時導入された税は、日露戦争が終わった後はもちろん、21世紀の現代に至るまで基本的に残っており、一度導入された税をなくす難しさを物語っている。

しかも税金だけでは膨大な軍事費を賄えなかった。その穴を埋めたのは国債で、とくに海外で販売する外債に多くを頼った。日露戦争にかかった17億円の軍事費のうち、税金で賄えたのは3億2000万円弱だけで、約13億円を内外の国債(外債約7億円、内債約6億円)に依存した。内債は希望者が購入する建前だが、現実には事実上の強制だった。海外では主にロンドンとニューヨークで募集し、発行総額は内債を上回った。この外債発行交渉を担当したのが、当時日本銀行副総裁だった高橋是清(後の日銀総裁、蔵相、首相)である。

日露戦争をきっかけに、それまで外資にあまり頼らずにきた日本経済は、一転して巨額の外国債に依存することになった。しかも中国から賠償金を獲得した日清戦争と違い、日露戦争でロシアからの賠償金はまったくなかった。その結果、戦時中に募集した国債が戦後の借金として残ってしまった。

開戦前の1903年に5600万円だった内外の公債残高は、1907年は内債10億1000万円、外債12億6000万円と、合計22億7000万円にまで膨らんだ。これはこの年の名目国民総生産(GNP)の61%、一般会計歳出6億200万円の約3.8倍に相当する。対GNP比率は、第一次世界大戦の始まる直前の1914年までに50%を下回ることはなかった。外債の利払い負担は国民に重くのしかかった。利払い費は1907年に年5905万円に達すると、その後も増加し、1913年には8500万円にまで増加した(板谷敏彦『日露戦争、資金調達の戦い』)。

日露戦争が始まると、大規模な軍事動員が行われた。日清戦争の際に兵士として動員された総数は約24万人だったが、日露戦争では約109万人に達した。戦争中には、陸軍は南山・遼陽・旅順・黒溝台・奉天など地上戦闘で苦戦に苦戦を重ねたために、11万人以上の戦死者・重傷者が出た。その大多数が徴兵された一般国民の若者だった。

国内の民衆も戦費調達のための増税、献金や国債購入のほか、農村では軍馬供出などで負担を強いられた。約20万頭の馬が動員され、騎兵用の乗馬だけでなく、輸送用にも多くの馬が使用され、戦地で約3万8000頭が犠牲になったといわれる(前出『日本近現代史を読む』)。

日本が資金と武器弾薬の欠乏と兵力不足から戦争継続に苦しみだしたころ、ロシアも国内で革命運動が起こって戦争継続が困難になった。ついに1905年9月、セオドア・ルーズベルト米大統領の斡旋によって日本全権小村寿太郎とロシア全権ウィッテは講和条約(ポーツマス条約)に調印する。これにより、ロシアは朝鮮における日本の優越権を認めるとともに、旅順・大連など中国からの租借地と南満州での鉄道利権を日本に譲渡すること、北緯50度以南の樺太を日本に割譲することなどを約した。

国民は人的な損害と大幅な増税に耐えてこの戦争を支えたが、賠償金がまったく取れない講和条約に不満を爆発させ、講和条約調印の日に開かれた講和反対国民大会は暴徒化した。日比谷焼き討ち事件と呼ばれる。

作家・司馬遼太郎氏は日露戦争を題材とした長編小説『坂の上の雲』で、日本海海戦のさなか、作戦を立案した海軍参謀・秋山真之が戦闘のあまりの無惨さに深刻な衝撃を受けた様子を描いている。秋山は戦後、長男を僧侶にし、自らは新興宗教に入信した。

大国ロシアを破った快挙として称えられがちな日露戦争は、重い負の遺産を残したのである。

<参考文献>
  • 山田朗『これだけは知っておきたい日露戦争の真実―日本陸海軍の「成功」と「失敗」』(高文研) 
  • 大日方純夫ほか『日本近現代史を読む』(新日本出版社)
  • 板谷敏彦『日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち―』(新潮選書)
  • 原朗『日清・日露戦争をどう見るか 近代日本と朝鮮半島・中国』(NHK出版新書)

2023-11-10

企業増税は経済を滅ぼす

大企業が税負担を回避するため、資本金を1億円以下に減資する動きが広がっている。今年3月までの1年間に資本金1億円以下に減資した企業は1235社で前年の959社から3割近く増えた。特に売上高が100億円超の企業や黒字の企業が増えているという。
1億円以下に減資すると税法上、中小企業として扱われ、税負担が軽くなる。都道府県が課税する法人事業税の外形標準課税は、大企業は赤字でも資本金などに応じて課税されるが、中小企業になれば課税対象から外れるなどのメリットがある。

自民党の宮沢洋一税制調査会長は日本経済新聞のインタビューに答え、資本金を1億円以下に減らして税負担を軽くしようとする企業が相次いでいることについて、「たいへん問題がある」と指摘。外形標準課税の適用基準を拡大する意向を示した。

節税目的ではない企業まで負担増になりかねないとの懸念に対し、宮沢氏は「余波が来るのは避けたいという気持ちはわかる。節税したいがために大企業から中小企業に移ってきた企業だけを抽出できるような制度にできるかどうかが一番大事だ」と説明した。

日経も社説で「税の公平性を保つ観点から、もはや現状を放置すべきではない」と述べ、「政府・与党は中小企業化による税回避を防ぐ対策を、来年度税制改正でしっかり講じてほしい」と求める。

しかし、問題があるのは企業ではなく、むしろ税制のほうだ。

そもそも、企業がわざわざ減資してまで税負担を回避しようとするのは、税負担が重すぎるからである。そうした動きが広がっていることに対し、政府・自民はまず、企業に重い税負担を課していることを反省しなければならない。「たいへん問題がある」などと企業を悪者扱いするのは、とんだ心得違いだ。

東京財団政策研究所主席研究員の柯隆氏は日経の記事へのコメントで「課税されるほうが制度的に節税を図るのは当然である」と企業側を擁護している。まっとうな意見だ。

一般市民の間には、税逃れと聞くと、問答無用で「けしからん」と腹を立てる人が少なくない。けれども経済が繁栄するためには、税逃れはむしろプラスになる。

資本主義経済の発展にとって最も重要なのは、資本主義という言葉が示すように、「資本」である。資本とは、現在・将来の生活水準向上につながる道具、設備、資源の蓄積をいう。この資本に課税すれば、資本の蓄積を減少させ、新規の投資だけでなく設備や道具の買い替えを抑制し、経済の発展を妨げる。企業への課税強化は、企業が有する資本への課税強化にほかならないから、将来の社会を貧しくする。「金の卵を産むガチョウを殺す」ようなものだと米経済学者マレー・ロスバード氏は指摘する。

ところが政治家、とりわけ民主主義国の政治家は、次の選挙のことしか頭になく、長期の経済発展よりも、バラマキの原資となる税収の確保を優先する。だから企業の税逃れは「たいへん問題」ということになり、なんとか税逃れを防ごうとする。逃げる奴隷をつかまえようとする奴隷主と同じだ。

日経は「税の公平性」が大切だというけれども、税の公平性を保つ方法は、課税強化だけではない。大企業への課税を軽くし、中小企業にそろえるという道もある。そうすれば、わざわざ節税のために減資する企業はなくなる。むしろそのほうが企業全般の税負担が軽くなり、経済にはプラスだ。

宮沢自民税調会長は、節税目的の企業に限って外形標準課税の適用基準を拡大し、減資による税逃れを防ぎたいという。しかし、節税目的かどうか、どうやって判断するのだろう。尋ねられればどの企業も「我が社はやむにやまれぬ事情で減資するのであって、節税目的ではない」と主張するに違いない。

この点について、京都大学教授の諸富徹氏は記事へのコメントで「減資が節税目的であることを政府が証明しえた場合のみ課税できるのであれば、宮沢会長の方針は限りなく、骨抜きとなるでしょう」と指摘したうえで、「節税目的でない企業を除外するなら、新基準の下で原則課税としたうえで、減資企業の側に節税目的でないことを挙証する責任を課すべきではないでしょうか」と提案する。

これは乱暴すぎる。企業が財産を保有することは憲法でも保障された権利だ。財産を政府が課税によって徴収する際、取られる側に挙証責任を負わせるのは、徴税権の濫用であり、財産権に対してあまりにも無頓着な考えといわざるをえない。

政府が企業の重い税負担を反省せず、「税の公平性」を錦の御旗に押し立て、さらに課税を強化すれば、やがて金の卵を産むガチョウが死ぬように、日本経済は衰退するだろう。

<参考資料>
  • Man, Economy, and State with Power and Market | Mises Institute [LINK]

2023-11-07

揺らぐかドル支配〜ルーブル、「金本位制」で存在感増す

米欧日諸国がロシアに対し新たな経済制裁に乗り出した。バイデン米政権は6日、ロシアへの新たな経済制裁を発表した。ロシア最大手銀行やプーチン大統領の娘2人の資産を凍結する。欧州連合(EU)加盟国は7日、ロシア産石炭の輸入停止などを含む制裁案を承認した。日本の岸田文雄首相も8日、資産凍結の拡大やロシア産石炭の輸入の禁止、在日ロシア大使館の外交官らの国外追放を表明した。


追加制裁のきっかけは、ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊で多くの市民が殺害されているのが見つかったことだ。米欧側はロシア軍による組織的な残虐行為だと強く非難した。ロシア側はねつ造だと反論し、公正な調査を求めたものの聞き入れられなかった。

米欧日の政府や大手メディアはロシア批判一色だ。しかし7日に国連総会の緊急特別会合で実施された、人権理事会におけるロシアのメンバー資格を停止する決議からは、違った風景が見えてくる。米欧が主導した決議案は93カ国の賛成で採択されたものの、一方で反対は24カ国、棄権は58カ国もあり、無投票が18カ国あった。

ロシアのウクライナ侵攻後、国連総会はロシア非難決議とウクライナ人道支援決議をそれぞれ141カ国、140カ国の賛成多数で採択。今回は採択に必要な投票国の3分の2以上の賛成を確保したものの票数は100を割った。東京新聞が報じるように日本や米欧などが賛成したが、ブラジルやメキシコなどは過去2回の賛成から棄権に回り、棄権数は人道決議の際の38から20増加した。反対は過去2回は5カ国だけだったが、中国やキューバなども加わり5倍近くになった。

前回指摘した、新興国に対する米欧日の相対的な地位の低下があらためて浮き彫りになった。政治面の変化と同時に、経済面でも見逃せない変化が起こっている。経済制裁をきっかけとした、通貨の地位をめぐる変化だ。

金はドルに代わる「理想の選択肢」


ロシア下院でエネルギー委員長を務めるパベル・ザバルヌイ氏は3月24日の記者会見で、米欧などの非友好国に天然ガスを販売する場合の代金支払い手段について、ロシアの通貨ルーブルか「ハードカレンシー(国際通貨)」を挙げた。同氏の言うハードカレンシーとは米ドルではない。「それは我々にとっては金(きん)だ」とザバルヌイ氏は述べた。一方、ロシアはドルに興味がないと言い、「この通貨(ドル)は我々にとってキャンディの包み紙になる」と語った

ロシアは経済制裁によって国外に持つドルやユーロの資産が凍結され、代金をドルで受け取っても自由にならない。プーチン大統領は3月31日、代金受け取りをルーブルに限定すると定めた大統領令に署名している。ザバルヌイ氏の発言で注目されるのは、金への言及だ。

じつは最近、ロシアは金を事実上の通貨として利用する環境を整えている。3月9日、プーチン大統領は貴金属に対する20%の付加価値税(VAT)を撤廃した。国がドルなどに代わる外貨準備として必要としている、貴金属への投資を人々に奨励するためだ。シルアノフ財務相は声明で「地政学的状況が不安定な中、金への投資はドルを買い上げる代わりに理想的な選択肢となる」と述べた。

ロシアは以前から金を積極的に購入してきたことで知られる。ロシア中央銀行は2015年3月以降、新型コロナウイルス感染症の流行で中断するまで毎月金を買っており、中央銀行としては金の最大の買い手だった。ワールド・ゴールド・カウンシルによれば、昨年末時点で保有する金は約2300トンで、世界第5位。今年3月に購入を再開し、3月28日には地元銀行から1グラムあたり5000ルーブル(約52ドル)の固定価格で買い付けた。事実上、ルーブルと金を一定の交換比率で結びつけた金本位制といえる。

ロシアは天然ガスの輸出代金をルーブルで受け取る方針だが、ルーブルは金と連動するから、ザバルヌイ氏が語ったように、代金を直接金で受け取るようになるかもしれない。天然ガスに限らず、石油など他の資源や商品でも同様のことが起こる可能性がある。

不換紙幣からの「パラダイムシフト」


「これは新たなパラダイムシフト(価値観の劇的変化)になる」と金融ブログ、ゼロヘッジは書く。1971年のニクソン・ショックで米国が金本位制を廃止して以来、世界の通貨は金など実物資産の裏付けのない不換紙幣の時代が続いてきた。

金が決済手段として利用されれば、金と結びついたルーブルも国際通貨として存在感を増すだろう。文字どおりのハードカレンシー(硬いお金)だ。

察知した米欧側は対応を急ぐ。先進7カ国(G7)と欧州連合(EU)は3月24日、ロシアへの経済制裁として、ロシア中央銀行が保有する金準備に関連した取引を禁止すると表明した。

しかし米欧によるロシアの金の封じ込めは、事実上不可能だろう。地金の身元、国籍、出所を追跡することはできないからだ。国際銀行間通信協会(SWIFT)やその他の銀行システムからも完全に独立している。ジャーナリストのブレット・アレンズ氏は経済情報サイト、マーケットウォッチでこう述べる。「米国のイーグル金貨や南アフリカのクルーガーランド金貨は、溶かして延べ棒にすることができる。これも金には変わりない。そして買い手は必ずいる」

アレンズ氏によれば、多くの国々は、米国が基軸通貨を独占して世界の金融システムを支配することを快く思っていない。中国やインドがロシアに金本位制で追随すれば、長く続いたドル支配に転機が訪れるかもしれない。

ドルに代わって存在感を強めるのはルーブルだけではない。サウジアラビアと中国は人民元建ての石油売買を交渉している。石油取引は米ドル建てが支配的で、実現すればドルの影響力が低下し、人民元の存在感が増す可能性がある。

国際通貨システム、多極化が加速へ


専門家からも同様の意見が聞かれる。国際通貨基金(IMF)の第一副専務理事であるギタ・ゴピナス氏は3月31日付フィナンシャル・タイムズ紙のインタビューに答え、ロシアに対する前例のない金融制裁はドルの支配力を徐々に弱め、国際通貨システムをより分断する恐れがあると警告した

また、3月28日付同紙は「ウクライナ戦争はドル支配のひそかな衰退を加速させる」と題する米経済学者バリー・アイケングリーン氏の寄稿を掲載した。それによると、世界の外貨準備に占めるドルの割合は20年前から低下傾向にあり、2000年末には70%強だったが、2021年第3四半期には59%にとどまっている。多くの中央銀行がドルからの分散を図ろうとしてきた結果だ。

しかも2016年にIFMの特別引き出し権(SDR)に加えられた人民元へのシフトは、わずか4分の1にすぎない。4分の3はカナダ、オーストラリア、スウェーデン、韓国、シンガポールといった経済規模の小さい国の通貨にシフトしている。電子取引プラットフォームや自動マーケットメイクといった新技術の発達で取引コストが低下した効果という。

こうした国際通貨システムの多極化は、ロシアへの経済制裁を機に加速しそうだとアイケングリーン氏は述べる。通貨を多様化しておけば、米欧からドルやユーロの資産を凍結されても保険として役立つからだ。

ドルの力を利用した強気な経済制裁の余波でドル支配そのものが揺らいでいるとしたら、米国や世界の経済への影響は無視できない。ウクライナ紛争が早期に停戦しなければ、そのツケは金融市場で表面化するだろう。

*QUICK Money World(2022/4/13)に掲載。

2023-11-03

ポンコツな資本主義批判

経済学者の岩井克人氏(東大名誉教授)が文化勲章を受章した。岩井氏はシェイクスピアの劇作品を材料に経済を論じたり、文明批評や現代思想についてのエッセイを手がけたりし、一般の読者にもよく知られる。
報道によれば、岩井氏の業績は「資本主義経済システムの本質を理論的に解明する研究に多大な貢献をした」ことだという。しかし失礼ながら、岩井氏が「資本主義経済システムの本質」を理解しているかは、はなはだ疑問だ。今年2月、朝日新聞デジタルに掲載されたインタビュー記事「文明崩壊から資本主義を救うには」を検証してみよう。

冒頭、「株主中心の資本主義への反発が強まっています」という聞き手(江渕崇朝日新聞経済部次長)の問いかけに対し、岩井氏は「米国型の株主資本主義が大きな問題を抱えていることはリーマン・ショックであらわになったが、その後も大きくは変わりませんでした」と答える。ここがまずおかしい。

リーマン・ショックとは、2008年9月15日に起きた米証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻をきっかけに起こった、世界的な金融危機だ。その原因として、米住宅バブルの崩壊、信用力の低い個人向けの住宅ローン(サブプライムローン)の焦げ付き、それらを束ねた証券化商品の値下がり、大量に保有していたリーマンの資金繰りの行き詰まり――などが取り沙汰される。だが、それらはいずれも表面上の現象にすぎない。

根本の原因は、そもそもバブルを生み出したお金の大量発行だ。そして現代の経済で、お金を発行する主体は事実上、政府の傘下にある中央銀行(米国では連邦準備理事会=FRB)しかない。つまり、リーマン・ショックをもたらしたのは政府である。もし岩井氏のいう「株主資本主義」が政府のコントロールの及ばない自由な市場経済だとすれば、リーマン・ショックを起こしたのは株主資本主義ではない。それとは正反対の、経済の血液とされるお金を政府ががっちりコントロールする、「国家資本主義」である。

続いて岩井氏は、「会社の唯一の社会的責任は株主のために利益を最大化すること」と説いた米経済学者ミルトン・フリードマンを批判し、フリードマンの主張は「理論的に完全な誤り」と断じる。なぜなら、「会社は『法人』だから」だという。

岩井氏によれば、会社という法人は2階建て構造をもつ。2階部分では株主がモノとしての会社を保有し、1階ではその会社が法律上のヒトとして不動産や設備、お金といった資産を持ち、借金契約や雇用契約などの主体となる。

そのうえで岩井氏はこう説く。「2階部分を強調すれば株主が重視されます。そういう会社があってもいい。たとえば米金融などです。ただ、1階を強調すれば従業員など様々なステークホルダー(利害関係者)への貢献が可能になります」。いわゆるステークホルダー資本主義だ。

「会社は利益を出さなくてもいいのでしょうか」と問う聞き手に対し、岩井氏は「もちろん、事業を続けるための利潤は必要です」としたうえで、「だが、それさえクリアすれば、利益の最大化は目指さなくてもいい」と答える。続けて、「時代の変化の中で会社という仕組みが生き延びてきたのは、法人としての〔略〕2階建て構造によって、多様な目的や形態を持てるからなのです」と強調する。

会社には多様な目的があっていい、という岩井氏の主張は、何となくもっともらしいが、よく考えてみればおかしい。利益以外の目的をめざすなら、非営利団体でいいはずだ。営利団体である会社に、わざわざ利潤追求以外の役割を担わせるのは無理があるだけでなく、混乱をもたらす。

たとえば、株主の利益という明確な基準がなくなれば、「株主の利益と他のステークホルダーの利益のどちらを優先するのか」「ステークホルダー間の対立をどう解決するのか」といった疑問に、答えることができなくなる。これは結局、経営者や一部のステークホルダーに過大な力を与え、その暴走を招きかねない。

聞き手が適切にも、「株主が厳しくチェックしないと、経営者のやりたい放題にはなりませんか」と問うのに対し、岩井氏の答えは答えになっていない。ともに厳しい経営状態に陥ったソニーグループと東芝を対比し、事業分割を求める「物言う株主」に対して自分らしさを守り抜いたソニーが復活を遂げたのに対し、理念を忘れ、物言う株主の言いなりになった東芝は「配当や自社株買いで資金を流出させ、事業を切り売りさせられました」という。

岩井氏お得意のシェイクスピアどころか、まるで物言う株主を悪役にする安っぽいテレビドラマだ。東芝の経営危機の一因となった米原発子会社の損失は、「原発立国」の旗を振る経済産業省の責任も指摘されるのに、それには触れない。東芝にとって経産省は、岩井氏の持ち上げる「ステークホルダー」にほかならないが、岩井氏は株主だけを非難する。ステークホルダー資本主義とは、ずいぶん政府や役人に都合のいい仕組みのようだ。

岩井氏は「社会主義に未来はありません」としつつ、「コミュニティーの理念に基づく共同体は、資本主義の補完としては非常に意味がある」と述べ、「ポンコツな資本主義をなんとか修理」するしかないと話す。自分は決して資本主義を否定する過激な社会主義者ではなく、あくまでも資本主義を肯定したうえで「補完」「修理」したいだけの改革派にすぎないというわけだ。

もちろんそうだろう。過激な社会主義者では、文化勲章はやりにくい。正装に身を包み、天皇からありがたく勲章を授かる栄誉に浴せなくなる。

しかし、会社の所有者である株主の権利を、明確な基準もなく制限するのは、財産権の侵害であり、財産権を根幹とする資本主義の否定に等しい。「ポンコツ」なのは資本主義ではない。財産権を安易に否定し、経済に混乱を招く岩井氏の資本主義批判こそポンコツだ。

<参考資料>
  • How to Bureaucratize the Corporate World | Mises Institute [LINK]

2023-10-30

「ロシアの孤立」は本当か〜世界経済、新興国の存在感鮮明に

ロシアのウクライナ侵攻から1カ月以上が過ぎ、米欧日諸国では「ロシアは孤立に追い込まれている」との見方が広がっている。北大西洋条約機構(NATO)と先進7カ国(G7)が24日にブリュッセルで開いた緊急首脳会議も、すべての国に対し、ロシアによる経済制裁逃れを助けるいかなる行動も控えるよう求め、ロシア孤立の印象を強めた。


米欧日などによる制裁が、ロシアの経済や体制に悪影響を与えることは間違いないだろう。しかしロシアが世界で本当に孤立しているかどうかは、冷静に見極める必要がある。ニュースでは、ロシアに正義の裁きを下す米主導のキャンペーンをめぐり、「国際社会」が団結しているように見える。しかし現実の世界では、状況は少し違っているようだ。

米紙ワシントン・ポストによれば、発展途上国の多くはプーチン大統領によるウクライナの主権侵害に不安を抱いているものの、インド、ブラジル、南アフリカといった「南」の大国は、中国がロシア寄りの姿勢をとっているのをにらみ、保険をかけている。NATO加盟国のトルコでさえ、管理権限を持つボスポラス海峡とダーダネルス海峡について、ロシア軍だけでなく、すべての軍艦に対して閉鎖する方向で動くなど、米欧とは距離を置く。

「西側諸国の傍観者が中東やアフリカの紛争に無関心なように、新興国の市民には、自分たちはウクライナでの戦争に無関係で、やむを得ない国益のためにロシアを疎外できないと考える人もいる」と同紙は指摘する。むしろ西側諸国では「全世界がロシアに対抗して団結している」という報道の洪水にかき消されて、現実がわかりにくくなっているかもしれない。

「ロシア非難せず」が世界人口の半分強


ロシア孤立の印象が広まったのは、報道だけが原因ではない。国連での議論も影響している。3月初め、国連総会の緊急特別会合で、ロシアを非難し、軍の即時撤退などを求める決議案が賛成多数で採択された。決議案には欧米や日本など合わせて141カ国が賛成し、反対はロシアを含むわずか5カ国だったことから、あたかも事実上、全世界がロシアを非難しているかのように受け止められた。

しかし加盟国全体の反応を詳しくみると、そう単純ではない。棄権した国が35カ国もある。これには中国、インド、南アフリカなどの大国が含まれる。

旧ソ連諸国の多くはロシアを非難する投票を行わず、南アジアのすべての大国(パキスタン、インド、バングラデシュ)も同様だ。アフリカはほぼ3分の1にあたる17カ国が棄権した。イラクは米国が20年の歳月と数兆ドルを費やして親密国にしようとした国だが、同じく棄権した。

米シンクタンク、ミーゼス研究所によると、棄権した35カ国の人口を合わせると39億人に達する。反対した5カ国(ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリア)を加えると、さらに2億人が上乗せされて41億人となり、ロシアのウクライナ侵攻を非難しない国は、世界人口(77億人)の53%と半分強を占める。

もちろんこの数字は、あくまで一つの目安にすぎない。それでも、ロシアが世界で孤立に追い込まれているという先入観を見直す材料にはなるだろう。アフリカやユーラシアに広がる棄権した国々の経済圏は、決して無視できる規模ではない。

また、国連決議で米国などのロシア非難に賛同した国の中にも、米国主導の経済制裁には乗り気でない国がある。たとえばメキシコは、米国に追随して制裁を行うつもりはないと明言している。アルゼンチンも制裁に抵抗し、制裁は和平プロセスに反すると表明している。ブラジル、チリ、ウルグアイを含め、南米諸国は米国の制裁要求に同調していない。

アフリカ諸国もロシア制裁には慎重だ。これは一部の国とロシアとの軍事的な関係や、何世紀にもわたる欧州の帝国主義や植民地化に対する根強い反発が背景にあるかもしれない。

新興国は経済制裁に慎重


これを経済規模で分析すると、興味深い事実が浮かび上がる。

制裁に抵抗する国のうち、中国、インド、メキシコ、ロシア、ブラジルの5カ国だけで、世界の国内総生産(GDP)の3分の1を占める。これは米国と欧州連合(EU)の合計に匹敵する。

欧米以外の新興国が世界経済に占める規模は、以前は小さかった。たとえば1990年当時、米国とEUは40%以上を占め、中国、インド、メキシコ、ロシア、ブラジルの合計はわずか18%だった。しかしこの30年で状況は変わり、今では両陣営は対等になっている。

つまり、人口のみならず経済規模の面からも、ウクライナ紛争をめぐる世界各国の勢力は二分されている。「国際社会」がロシア非難で一致団結しているという主張は、明らかに言い過ぎであり、冷静な判断を狂わせる幻想と言っていいだろう。

経済の観点から重要なのは、ロシア非難と制裁をめぐって世界を二分する両勢力のうち、反対・慎重派の多い新興国は、今後も高い経済成長が見込まれる点だ。経済規模で米欧を抜き去る日も遠くないかもしれない。

一方、賛成派の西側先進国は、経済規模こそまだ大きいものの、成長は鈍化している。また、国によってばらつきはあり、対立陣営の中国なども無縁ではないが、積み上がった多額の政府債務も懸念要因だ。とくに最近、ロシアへの経済制裁をきっかけにエネルギーや穀物の価格が高騰し、金利への上昇圧力となっている。国債価格の急落などで政府債務の抱えるリスクは一気に表面化する恐れがある。

米欧日、制裁で経済活力そがれる恐れ


皮肉なことに、経済制裁の打撃は標的のロシアだけでなく、発動した西側自身をブーメランのように襲い、食糧危機など深刻な影響を及ぼしかねない。バイデン米大統領は24日、ブリュッセルで開いた記者会見で、「食糧不足は現実になりそうだ」と認め、「制裁の代償はロシアだけに課されるものではない。欧州諸国や米国を含め、多くの国に課される」と述べた。

制裁は経済の自由も奪っていく。林芳正外相は27日のNHK番組で、「制裁をくぐり抜ける動きに対し、どう穴をふさぐかも、これからの課題だ」と述べた。「穴をふさぐ」とは貿易などに対する規制の強化を意味する。制裁が長引くほど、日本自身の経済活力がそがれることになるだろう。

米欧日がロシア制裁によって自分の首を絞めるようだと、存在感を増す新興国に経済成長でさらに水をあけられる可能性がある。衰退の危機に直面するのは、ロシアなのか、それとも米欧日なのか。世界経済の構造変化をしっかり見定める必要がある。

*QUICK Money World(2022/3/30)に掲載。

2023-10-27

ストは労働者を不幸にする

先進国でストライキの波が広がっている。英国では中部マンチェスターで鉄道運転士の労働組合がストを決行し、医師らも賃上げを求めて大規模なストを繰り広げた。米国では全米自動車労組(UAW)のストが突入から1カ月を過ぎても収束を見通せない。
日本でも8月末、そごう・西武の労組が西武池袋本店(東京・豊島)でストを決行した。親会社のセブン&アイ・ホールディングスは、労使の対立が続く状況のまま、そごう・西武の売却に踏み切るなど異例の展開となった。

一連のストを、労組の影響力の強い左派政党や左派言論人はもちろん強く支持する。日本共産党の機関誌「前衛」は11月号で「労働者の権利・ストライキのある社会へ」という特集を組んだ。

しかし世間では、「ストは迷惑」という率直な感想も出ていた。そうした声に対し、社会活動家の藤田孝典氏はX(旧ツイッター)で「労働組合がストライキで店を閉めたら「迷惑」〔略〕権力に対して、服従、猛獣がここまで進めば、ワーキングプアも貧困も解消しない〔略〕」と批判した。

一般の人とみられるポストによれば、NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」で、少女歌劇団が「ストライキするしかないか」という話になった際、「ストはお客様に迷惑や」というセリフがあった。この人はそれに対し「ひっかかっている」といい、こう述べる。「ストは労働者の権利。海外では今も労働者はストライキをする。日本では8月にそごうがストライキをした。安く使われるのはごめんだ」

元ラグビー日本代表でスポーツ教育学者の平尾剛氏も、そごう・西武のストを伝える朝日新聞の記事へのコメントで「労働者の権利であるストが長らく行われてこなかった」と述べ、ストは労働者の権利という考えを強調した。

たしかに、ストは労働者の権利だ。日本国憲法第28条は、ストなどを行う団体行動権を保障している。この権利は労働法によって具体的に定められ、たとえば、適法なストである限り、かりに使用者が損害を受けても、労働者に対して賠償を請求することができない。ストは法によって強力に保護されているのだ。

しかし残念ながら、憲法も法律もすべて正しいとは限らない。法に定められた権利には2種類ある。すべての人が持つ権利と、政府によって一部の人だけに与えられる特権だ。ストは労組メンバーだけに与えられる経済上の特権にほかならない。そして特権はしばしば経済の働きをゆがめ、人々を不幸にする。

そもそもストライキとは、労組の要求が経営側との団体交渉によって解決できない場合、闘争の手段として一定期間、労働力の提供を停止することをいう。正常な業務運営に損害を与えることによって労働条件の向上・維持・改善などの要求を通させようとする。

言い換えれば、自由な市場取引で成り立つよりも高い価格を、暴力に訴えて実現しようとする手段といえる。普通の商売でやれば違法だが、すでに述べたように、ストの場合は政府が後ろ盾になっており合法だ。けれども、暴力や政府の力で市場経済をゆがめれば、必ずそのとがめを受ける。

資本主義経済で労働者の賃金を押し上げる最大の原動力は「資本投資」だ。機械、道具、設備、ソフトウェアなどへの資本投資が増えると、労働者自身の生産性が高まり、時間当たりに生み出すことのできる商品やサービスの量が増える。つまり、労働者は特別な教育や訓練を受けなくても、雇い主にとって突然価値が高まるのだ。信頼できる熟練社員はいつも引っ張りだこだから、他社に奪われたくない雇い主は賃金を上げる。これが自由な市場経済における賃金上昇のメカニズムだ。

ところが労働者の生産性が高まらず、企業の業績も良くなっていないのに、無理に賃金を引き上げれば、その分のお金をどこからか持ってこなければならない。人件費全体を増やせないとしたら、犠牲になるのはたいてい、労組という特権集団に入っていない労働者だ。すなわち、派遣労働者やパートタイムなどの非正規労働者ということになる。人件費を減らす代わりに、たとえば資本投資を減らせば、労働者自身の生産性が高まらず、ますます賃金を上げにくくなる。

ストはお客にとって迷惑なだけでなく、強引な賃上げは派遣やパートを含む労働者をむしろ不幸にする。本当に労働者の味方なら、ストをもてはやすのはやめたほうがいい。

<参考資料>
  • Strikes Always Have Economic Consequences and the Latest UAW Strike Is No Exception | Mises Wire [LINK]

2023-10-24

経済制裁は大恐慌の引き金か?〜世界経済、縮小のリスク

ウクライナ侵攻に乗り出したロシアに対し、米欧日各国が相次いで経済制裁を発動している。ロシアの銀行の取引制限や政権幹部らの個人資産の凍結などに続き、今月11日には国際通貨基金(IMF)や世界銀行など国際機関による融資の阻止、ロシアへのエネルギー依存の低減など、新たな制裁を打ち出した。


これに対しロシアは米欧日などを対象に通信機器、医療機器や自動車など200品目以上の輸出を禁止し、国外撤退する外資系企業の資産を押収する検討に入るなど、対抗に乗り出している。

株安、商品高…世界経済、制裁応酬で混迷深める


制裁の応酬を受け、 世界経済はにわかに混迷を深めてきた。各国で株価が大幅安となり、国際商品市場で主要品目の4割が過去最高値圏に入った。国際商品市場でロシアの生産シェアが大きい天然ガス、小麦、パラジウムなどだけでなく、シェアの高くない品目にも値上がりが波及している。

経済制裁はロシアを世界経済から孤立させ、圧力を強めて譲歩を引き出す狙いがあるという。しかしその効果が現れる前に、世界経済に深刻な影響を及ぼさないか心配だ。

とくに気になるのは追加制裁として打ち出された、最恵国待遇の取り消しだ。米国はほとんどの国に適用している最恵国待遇からロシアを外す。現在外れているのは北朝鮮とキューバだけ。最恵国待遇から外れれば、低い関税を維持できなくなる。

米国がロシアから輸入する商品や原材料には現在、多くの国と同じく平均で3%程度の関税がかかっているが、低関税措置の対象から外れれば、平均で30%超に跳ね上がる見通しだ。米政府によると、主要7カ国(G7)と欧州連合(EU)も同様の措置を検討する。また米国は、ロシア産のダイヤモンドやウォッカ、魚介類の輸入も禁止する。

経済制裁の背景にあるのは、ロシアからの輸入を制限すれば、ロシアは輸出による収入が減って経済が弱体化するという考えだ。それは一面では正しい。しかし貿易は一方だけではなく、双方向で行うものだ。輸入を制限すれば、その影響はロシア側だけでなく、自国側にも及ぶ。

ロシアからの輸入品が関税引き上げの影響で値上がりすれば、そのコストを負担するのは米国など輸入国の消費者だ。輸入が完全に禁止されれば、ロシア製品を欲しい消費者は入手できず不便を強いられるか、違法な闇取引などによって通常より高い値段で手に入れるだろう。

一方、ロシアが輸出の減少で収入が減れば、その分、外国製品を輸入できるお金が少なくなる。その結果、互いに貿易が縮小する。今はロシアとベラルーシだけが制裁の対象だが、ロシアと親密とみられる他国に対しても貿易の制限が広がるようだと、世界貿易の大幅な縮小につながりかねない。

米関税引き上げ、自国経済にも打撃


そうした最悪のケースとして頭に浮かぶのは、2度の世界大戦の間に世界を襲った大恐慌だ。

1929年10月のニューヨーク株式相場暴落をきっかけに、米経済は不況に突入した。これが海外に波及し、世界恐慌となった一因は、米国が実施した大幅な関税引き上げだった。

1930年6月、米国はスムート・ホーリー関税法を成立させ、2万5000品目にも及ぶ品目で関税を引き上げた。関税は平均59%まで引き上げられ、米国史上最高となった。農産物の輸入を抑え、第一次世界大戦終結以来、不況に苦しむ農家の収入を支えるのが狙いだった。

各国は米国に対抗し、相次ぎ報復として関税引き上げに踏み切った。これにより世界貿易は急速に収縮に向かう。

米経済学者チャールズ・キンドルバーガーの著書『大不況下の世界』(岩波書店)によると、スペインはブドウ、オレンジ、コルク、玉ネギに対する米国の関税に対抗し、関税を引き上げた。スイスは時計、刺繍品、靴の関税引き上げに反対し、米輸出品の不買運動を実施した。カナダは多くの食料品と丸太・木材の関税に反発し、3回にわたって関税を引き上げた。イタリアは麦わらの帽子・ボンネット、フェルト帽、オリーブ油の関税に反対し、米国およびフランス製自動車に対し報復措置をとった。キューバ、メキシコ、フランス、オーストラリア、ニュージーランドも新しい関税を制定した。

このうちスイスでは、米国の関税引き上げの標的となった時計産業に人口の1割が従事していたとあって、国民の間に強い反発を招いた。同国のある新聞は、社説でこう呼びかけた。「すべての産業人、職人、商人、消費者は、事務所、工場、作業場、修理工場、店舗、家庭からあらゆる米国製品を締め出すべし」

関税引き上げは、米国自身の産業にとっても打撃となった。工業生産に必要な原材料や部材の購入コストが高くなったためである。たとえばタングステンに対する関税で鉄鋼産業が苦しくなった。亜麻仁油への関税で塗料産業が打撃を受けた。

ゼネラル・モーターズ(GM)とフォード・モーターは世界首位を争う自動車メーカーだったが、スムート・ホーリー関税法により、800を超す部材で関税が引き上げられた。つまり米国の自動車メーカーは二重の打撃をこうむることになった。まず、欧州諸国が米国製品に報復関税を実施したため、販売台数が減った。次に、必要な部材の購入に対し、より高い金額を払わなければならなくなった。米国の自動車販売台数は1929年の5300万台から1932年に1800万台まで落ち込んだ。

報復にさらされ、米国の輸出額は関税引き上げ前の1929年の70億ドルから32年には25億ドルに落ち込んだ。苦しんだのは工業ばかりではない。皮肉なことに、スムート・ホーリー関税法制定を熱心に働きかけた農家も打撃を受けた。米国農産物の輸出額は1929年に18億ドルあったが、4年後には5億9000万ドルに減少した。

貿易は世界全体で収縮した。キンドルバーガーによると、世界75カ国の月間総輸入額は、1929年1月には約30億ドルあったが、33年3月には約11億ドルと、ほぼ3分の1に激減した。

歴史の教訓:経済制裁の負の側面に注意を


米国の大幅な関税引き上げをきっかけに世界経済は急速に縮小し、大恐慌に陥った。その結果、失業や貧困に苦しむ国民の不満を背景に軍国主義が台頭し、第二次世界大戦を招いていく。政府による貿易の阻害がもたらす悪影響の大きさを如実に物語る出来事だ。

スムート・ホーリー関税法に比べれば、今回の対ロ最恵国待遇取り消しの規模は小さく、影響を過大に見積もってはならないだろう。一方で、今回は関税以外にも金融やエネルギーなどさまざまな制裁が発動され、及ぼす影響は未知数だ。

侵攻を止めるための経済制裁が引き金となって世界経済に深刻な影響を広げ、平和の基礎を揺るがせてしまっては元も子もない。貿易立国の日本にとって影響は一段と大きい。米欧に安易に追随するのでなく、制裁の負の側面に注意を払っていきたい。

*QUICK Money World(2022/3/16)に掲載。 

2023-10-21

信用創造の落とし穴〜お金の量は多ければいいわけじゃない

教科書に載っている主流経済学は、必ずしもすべてが正しいとは限らない。経済学は物理学など自然科学と異なり、学派ごとの意見の対立が大きく、決着のついていない問題が少なくないからだ。


教科書の経済学を絶対視する危うさ:大学共通テストの出題から考える


ところが主流経済学をかじっただけの人は、それがすべてだと思い込み、絶対の真理であるかのように主張する。危うい議論だと言わざるをえない。

その一例が今年1月、大学入学共通テストの出題で「信用創造」が話題になった際の反応だ。

信用創造(預金創造とも呼ばれる)は、これまで伝統的な解説では、「銀行が貸し出しを繰り返すことによって、銀行全体として最初に受け入れた預金額の何倍もの預金通貨(当座預金など現金に非常に近い機能を備えた預金)を作り出すこと」と説明されてきた。

たとえば、最初にAさんがa銀行に100万円を預金すると、a銀行は1万円を支払い準備として手元に残し、99万円をBさんに貸し出す。Bさんがその99万円をb銀行に預けると、b銀行は1万円を手元に残して98万円をCさんに貸し出す。Cさんが98万円をc銀行に預け…と預金と貸し出しが繰り返され、預金通貨の量は「100万円+99万円+98万円…」と膨らんでいく。

この伝統的な説明は、直感的にはわかりやすいものの、「銀行は預金を元手に貸し出しを行う」という誤った理解を招くとされる。

実際には、銀行は預金を元手に貸し出しを行うのではない。融資の申し込みをした人の口座に融資額と同額のお金(融資代わり金)を入金することで貸し付けを実施する。つまり、貸し出しが行われると、その結果として同額の預金が生じるというのが実際の流れとなる。

共通テストの「政治・経済」の出題には、「個人や一般企業が銀行から借り入れると、市中銀行は『新規の貸出』に対応した『新規の預金』を設定し、借り手の預金が増加する」という記述があった。これは上智大学准教授の中里透氏がSYNODOSの記事で指摘するように、伝統的な説明から生じがちな誤解を補正するという意味で「画期的」といえる。

共通テストのこの「画期的」な出題を見て、とりわけ喜んだ人々がいる。現代貨幣理論(MMT)の信奉者をはじめとする、積極財政を支持する人たちだ。

信用創造の伝統的な説明では、「銀行は預金という元手がなければ貸し出しを増やせない」と誤解されがちだった。だが共通テストも公認した新たな説明によって、銀行は預金がなくても貸し出しを増やせることが明確になった。そうだとすれば、銀行は政府に対しても貸し出しを自由に増やすことができるし、政府はその借り入れで財政支出を増やすことができる――。積極財政派はこう考え、喜んだ。

しかし、ここで注意が必要だ。「銀行は無からお金を創造する」という目新しく見える説明も、じつは以前から標準的な理論として認められていた。内生的貨幣供給理論と呼ばれる。

伝統的な説明は「銀行は預金残高を超えるお金を作り出す」と言い、新手の説明は「銀行は無からお金を作り出す」と述べる違いはあるものの、どちらも「銀行は預金量に縛られずお金を作り出す」と説く点では共通しており、主流経済学の枠組みに収まっている。

その主流経済学の根底には、ある価値観が横たわっている。それは、銀行が預金量に縛られずお金をどんどん作り出すことは経済の進歩であり、社会に役立つという考えだ。一言でいえば、「お金は多ければ多いほど良い」というわけだ。

共通テストに登場した「銀行は無からお金を作り出す」という考えは、「銀行は預金残高を超えるお金を作り出す」という伝統的な説明と対立しない。「お金は多ければ多いほど良い」という価値観に都合の良い信用創造の仕組みを、より露骨な形で表現したにすぎない。

だからこそ、主流経済学しか知らない人々は「お金は多ければ多いほど良い」という信念に太鼓判を押された気になり、喝采したのだ。

MMTの問題点:お金を際限なく生み出すリスクとは


けれども、ここで立ち止まって考えてみよう。お金とは本当に「多ければ多いほど良い」ものだろうか。民間銀行や中央銀行がお金を多く作り出せば作り出すほど、政府は借り入れを増やし、支出を増やすことができる。積極財政派はそれを歓迎する。しかし、それは経済にとって本当に有益なことだろうか。

そもそも財政支出は無駄が多いと言われる。だが主流経済学によれば、不況の際は民間に代わって政府が支出を増やすことが正しいとされるから、ここでは政府の無駄遣いには立ち入らないことにしよう。それでもお金を際限なく生み出すことには、大きな問題をはらむ。

貸し出しには貸し倒れのリスクが伴う。融資先企業が破綻し、貸出金の回収ができないような場合には、資本金など返す必要のない資金(自己資本)を取り崩す必要が出てくる。しかし貸出金があまりにも多額だと、自己資本を取り崩しても追いつかず、銀行もつぶれてしまう。だからいくら預金を自由に増やせるといっても、貸し倒れのリスクを考えれば、おのずから限度がある。逆にいえば、貸し倒れリスクを無視して貸し出しを増やせば、金融経済は潜在的に不安定になる。

その不安定さが一気に顕在化するのが、いわゆる「取り付け騒ぎ」だ。銀行がつぶれるかもしれないという噂が流れただけで、預金者が預金を引き出そうと殺到する。銀行の手元にあるお金は預金量に比べればわずかだから、対応できず破綻する。「つぶれるかもしれない」という噂が現実になる瞬間だ。

一方、政府に対する貸し出しには貸倒リスクはない。政府は中央銀行を通じてお金を自由に発行し、国債の返済に充てることができるからだ。けれども、国債を際限なく発行し続ければ、いずれは供給過多により国債相場の下落(長期金利の上昇)を招く。これは銀行の保有する国債に評価損をもたらし、銀行経営を揺るがしかねない。取り付け騒ぎに発展する恐れもあるだろう。つまり政府に対する貸し出しの過剰な増加も、民間向けと同じく、経済を不安定化させるリスクをはらむ。

ところが教科書の「信用創造」の解説では、そうしたリスクに触れることなく、お金が何にも縛られずどんどん増えていくことは、すばらしい魔法であるかのように描く。市民の健全な経済感覚を養ううえで、適切とはいえないだろう。

お金の量が増えることの問題はそれだけではない。お金の価値の問題がある。お金の量が増えれば、他の条件が一定の場合、お金の価値は低下する。

お金は量よりも質が重要


最近、円の総合的な実力を示す実質実効為替レートが約50年ぶりの低水準に近づき、懸念されている。その大きな要因として、1990年代のバブル崩壊や2008年のリーマン・ショックを理由に長期にわたる金融緩和、つまりお金の量の増加を続けてきたことがある。お金の増加は短期で景気を刺激する効果はあるものの、長期では通貨の購買力を損ね、輸入物価の上昇やそれに伴う生活水準の低下などデメリットをもたらす。

ビットコインなど暗号資産(仮想通貨)やそれを組み込んだファンドが投資家の人気を集めるのも、お金の価値下落に対する警戒感の裏返しだ。仮想通貨が投資家の信頼を得ている理由の一つは、政府や銀行が作るお金と違い、野放図に量を増やせない点にある。ビットコインは、採掘された金の量に応じてしかお金を増やせない金本位制の仕組みを参考に設計されたといわれる。最近は金価格に連動する仮想通貨も発行され始めた。

非主流派のオーストリア学派に属する経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、お金の有用性を左右するのはお金の総量の大小ではなく、「購買力の高さ」だと指摘する(『ヒューマン・アクション』)。

「お金は多ければ多いほど良い」という主流経済学の考えは、高度成長期に流行した「大きいことは良いことだ」というテレビCMのフレーズと同じく、じつはもう古いのかもしれない。「お金は量よりも質(購買力)が重要」と考え、良質なお金を選ぶ時代が近づいている。

*QUICK Money World(2022/3/1)に掲載。 

2023-10-18

子育て支援の落とし穴

政府は6月にまとめた「こども未来戦略方針」で、2024年度からの3年間で国と地方合わせて年3兆円台半ばの予算を新たに投入すると明記した。児童手当の拡充や育児休業給付の充実などに充てる計画だ。岸田文雄首相はこのほど開いたこども未来戦略会議で「制度設計の具体化を急ぐ」と述べ、関係閣僚に対策の詳細や財源を早期に固めるよう指示した。
常識で考えて、子供を大切にし、父母ができるだけ多くの時間を新生児と過ごすのは良いことだ。だからといって、そのコストを国(納税者)や企業が負担しなければならないという考えは正しくない。

日本経済新聞によれば、政府は主な子育て支援の拡充策として、①児童手当(所得制限撤廃、高校生まで支給延長、第3子以降は倍増)②出産費用(26年度には保険適用)③保育(就労用件問わず利用できる「誰でも通園制度」の創設)④働き方(両親育休で最大28日間、手取り給与の10割補償)――などを計画している。

一見したところ、庶民が喜びそうな豪華なメニューだ。しかし、世の中にタダでおいしい話は存在しない。何らかの形で必ずコストを支払わされる。

政府が児童手当や出産費用、給与補償などにお金を出すためには、他の予算を削らない限り、増税しなければならない。今すぐ増税するか、とりあえず国債で資金調達して後で増税するかはともかく、いずれにしても何らかの増税が避けられない。これは家族の暮らしを苦しくする。

政府は少子化対策拡充の財源として、社会保険料への上乗せを検討している。社会保険料は「税」という名前こそついていないものの、実際には強制的に徴収される税金に等しく、上乗せは事実上の増税となる。「負担がさらに増すことになれば、対策の効果が薄れる恐れがある」と日経は別の記事で指摘する。

医療や介護、年金などにかかる経費の総額を表す社会保障給付費は23年度の予算ベースで134兆円に上る。国内総生産(GDP)比で23.5%だ。政府が18年に発表した社会保障の将来見通し(ベースラインケース)では40年度の給付費は190兆円に膨らみ、GDP比は24%ほどに高まる。政府はこの間の経済成長率を年1%程度に設定して数値をはじき出している。

実際には高齢化や人口減を背景に、給付費のGDP比は政府の見通しを上回って推移している。財政学に詳しい法政大の小黒一正教授はこうした現状に加え、成長率を政府の試算より堅めに見て給付費のGDP比を独自に推計した。20年度以降の平均を0.5%成長と仮定したところ、40年度のGDP比は28%に上昇した。政府の見通しより4ポイントほど高い。負担の増加分を社会保険料の引き上げでまかなう場合、保険料は今より3割増になる可能性があるという。

左派の人々は、庶民ではなく、富裕層から税金を取ればいいという。しかし、結果は同じだ。富裕層はその財産の多くを企業に投資している。富裕層から税金を1円取るごとに、企業への投資が減り、企業は人を雇う余裕がなくなり、賃金を上げる余力もなくなる。これは家族の暮らしを苦しくする。保守派の中にも「子育ては良いことだから、国がその費用を出し、家族の負担を軽くするのは当然」と信じている人がいる。目先の効果しか考えず、国の支援が経済に及ぼす長期の影響を無視している。

米経済ジャーナリストのヘンリー・ハズリットは、とかく人間は「政策の目先の効果あるいは特定集団にもたらされる効果だけにとらわれやすい」と述べ、そのため「政策の長期的・間接的影響を見落としてしまう」と警告する(『世界一シンプルな経済学』)。

経済政策について考える際には、ハズリットが強調するように、政策の短期の影響だけでなく長期の影響を考え、一つの集団だけでなくすべての集団への影響を考えなければならない。政府の子育て支援策はかえって家族の負担を重くし、裏目に出る恐れが大きい。

<参考資料>
  • ハズリット『世界一シンプルな経済学』村井章子訳、日経BP社、2010年
  • Government-Enforced Paid Family Leave Is Not Pro-Family | Mises Wire [LINK]

2023-10-15

男女賃金格差、不都合な事実

今年のノーベル経済学賞が米ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン教授に決まった。日本のメディアも一斉に「ノーベル賞にゴールディン氏 男女の賃金格差、要因解明」(日本経済新聞)、「ノーベル経済学賞に米教授 ゴールディン氏 男女の雇用格差、研究」(朝日新聞)などという見出しで報じたが、何かおかしい。肝心の男女賃金格差の要因が一体何なのか、ニュースの要点を伝えるはずの見出しからは、わからない。
見出しをぼやかしたのが意図的なのかどうかわからないが、ゴールディン氏の研究結果は、メディアが唱えてきた「男女の賃金格差は女性差別のせい」という主張に反する。いわば「不都合な事実」なのだ。

ノーベル賞の公式ウェブサイトでは、こう説明する。「歴史的には、収入の男女格差の多くは教育と職業選択の違いによって説明できた。しかしゴールディン氏は、現在ではこの収入の差の大部分は同じ職業に就いている男女の間にあること、そしてその差の大部分は第一子の誕生によって生じることを明らかにしている」

つまり女性の賃金が男性に比べて低い原因は、子どもの誕生にある。この点について、ゴールディン氏は最近邦訳の出た著書『なぜ男女の賃金に格差があるのか』で、以下のように詳しく述べている。

女性であるという理由、あるいは有色人種であるという理由だけで、差別され、賃金が低くなっている人は、確かにいるし、軽視するべきではない。しかし、今日の収入の男女差は、上司や同僚による差別や女性の交渉能力の低さが大きく影響しているのかという問いへの答えは、「断固としてノーである」。

男女の所得格差は、一般にいわれるような単一の統計値ではない。むしろダイナミック(動的)である。「男女が年齢を重ね、結婚し、子どもを持つことで広がっていくのだ」。職業によってもかなり違いがあり、特に大卒の場合は顕著である。

米国のMBA(経営学修士)の履歴を詳細に分析したところ、わかったのは、収入格差の拡大は、ランダムに現れるものではない。むしろ「子どもの誕生が大きく影響している」。MBA取得者が多く働く高収入の企業や金融機関で、たとえ短期間であってもキャリアを中断することや、特別な長時間の過酷な労働をしない従業員に大きなペナルティを与えているからだ。

ゴールディン氏は、「子どもの誕生とそれに伴う世話の責任が、男性に比べて女性のMBA取得者が職務経験が少なく、キャリアの中断が多く、労働時間が短い主な要因になっているのだ」と指摘する。幼い子どもを持つMBA取得女性の中には、出産後に企業や金融機関での勤務時間や激務に耐えられないと感じる人もいる。

一方、子どものいない(キャリアの中断がない)MBA取得女性の収入は、MBA取得男性(子どものいるいないに関わらず)より低いものの、格差はほとんどない。

女性は出産後、上司による良かれと思ってのパターナリズム(温情主義)や偏見によって、自分の意思に反して職場から追い出されているのだろうか。ゴールディン氏はそれを否定する。出産後、夫が高収入であるほど、労働時間を減らしたり仕事をやめたりする女性が多いなどのエビデンス(証拠)から、「子どもがMBA取得マザーの雇用に与える影響のほとんどは、偏見ではなく、意図的かどうかはさておき、選択によるものだ」と断じる。

意外にも、保育料の補助や両親に対する大規模な有給休暇など、世界で最も寛大な家族中心政策をとる北欧諸国を対象とした研究でも、結論は米MBAの場合と似ているという。出産後、夫と妻の所得格差が広がっている。

日経の記事によれば、ゴールディン氏の研究は「日本でも男性中心の長時間労働を是正したり、育児休暇を付与したりする政策を導入する根拠の一つとなっている」という。しかし、ゴールディン氏自身の指摘どおり、所得格差が女性の自由な選択の結果だとすれば、政府の是正策は余計なお世話であるばかりか、かえって妻や夫、そして子どもを不幸にするだろう。政府のあらゆる政策には、税というコストがかかるからである。

<参考資料>
  • ゴールディン『なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学』鹿田昌美訳、 慶應義塾大学出版会、2023年
  • A Nobel for a Student of Civilization - Foundation for Economic Education [LINK]

2023-10-12

日清戦争と明治のメディア

日清談判破裂して、品川乗り出す吾妻艦——。日清戦争当時、大流行した「欣舞節」の歌い出しである。テレビもラジオもない時代に、空前の大流行となっただけでなく、歌に踊りがつけられ、その踊りもまた大流行した。 

日清戦争 「国民」の誕生 (講談社現代新書) 

日露戦争が司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』やそのドラマ化によってよく知られるのに比べると、その10年前、1894(明治27)年夏に起こった日清戦争の印象は現在では希薄なようだ。しかしこの戦争は近代日本が初めて経験した大規模な対外戦争であり、その後の日本の進路を決定づけた戦争といえる。

日清戦争の起源は開戦のおよそ20年前にさかのぼる。1875(明治8)年、日本の軍艦、雲揚号が朝鮮の江華島沖で挑発的な行動をして朝鮮側の砲台と交戦する事件(江華島事件)を起こし、これを契機に日本は軍艦を送って日朝修好条規を結び、朝鮮を開国させる。同条規は治外法権を定め関税自主権を与えないなど、かつて日本が欧米に強制された不平等条約と同様の内容を押しつけた。これにより朝鮮は日本や、その後同様の条約を結んだ欧米への反発を強めていく。

1894年春、カトリックの西学に対する民族主義的な東学を中心に、朝鮮で減税と日本や西欧の排除を要求する農民の反抗が起こり、拡大した(甲午農民戦争・東学の乱)。鎮圧に手を焼いた朝鮮政府は6月初め、緊急に清朝の政府に対して援軍の派遣を要請した。以前から戦争を準備していた日本は、この機に乗じて朝鮮に軍隊を送り、清国軍との衝突を引き起こし、清国の勢力を追い出して朝鮮を支配しようと考えた。

このような意図があったので、朝鮮の情勢が落ち着いた後も日本軍は撤退するどころか、逆に7月23日早朝、朝鮮王朝に攻め込んで占領し、国王・高宗と王妃の閔妃を拘禁した。7月25日、日本の艦隊は、黄海で清国の軍艦と清国の兵隊を乗せた輸送船を攻撃して、日清戦争の火蓋を切った。その後、日本の陸軍は平壌を防衛する清国の軍隊を攻撃して陸戦も始めた。戦場は中国の遼東半島へと移ったが、軍備不足と戦意低下などが重なり、清国軍は海でも陸でも敗北した。

一方、日本人は戦勝に狂喜した。国民の間に戦争に対する熱狂を生み出すうえで、メディアが果たした役割を無視できない。日清戦争は、新聞や雑誌、写真といった明治時代の新しいメディアによって伝えられた。あるいは、この戦争前後から盛んに歌われるようになった軍歌は、近代日本人の精神に多大な影響を及ぼしていく。

最大の情報源となったのは新聞だった。当時の新聞ジャーナリズムはまだ黎明期にあり、各社が部数を拡大しようとしのぎを削っていた。戦争は部数拡大のまたとないチャンスだった。実際、日清戦争は新聞の発行部数を飛躍的に拡大した。「万朝報」は開戦した年の発行部数が1457万部と前年に比べ60%も増え、「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」はどちらも30%前後の伸びを見せた。

小説家・劇作家で『半七捕物帳』の作者として知られる岡本綺堂は、当時、東京・銀座に集まっていた新聞各社から号外売りが鈴を鳴らして駆け出すと「待ち受けている人たちが飛びついて買う。まるで喧嘩のような騒ぎだ」と回想している。銀座界隈は大混雑し、氷屋や汁粉屋が儲かったという。

「時事新報」は福沢諭吉の経営で、特に経済関係記事に定評のある高級紙として知られていたが、甲午農民戦争を契機に朝鮮への出兵が行われて以来、他紙以上に激しい対清・対朝鮮強硬論を展開する。開戦以降は日清戦争の報道と戦争への協力に熱心な新聞として知られた。経営主の福沢自身、日清戦争を文明国である日本と野蛮国である清の戦争、すなわち「文明の戦争」であると論じ、時事新報紙上で戦争支持を表明するとともに、自身も軍事献金組織化の先頭に立つなど、積極的に戦争に協力した(大谷正『日清戦争』)。

従軍記者制度は日清戦争から始まった。従軍した記者の数は全国66社から129名と伝えられる。記者たちが戦地から競って送る「連戦連勝」の記事は、現代のオリンピック報道と同様に人々を興奮させた。「国民新聞」の記者として巡洋艦千代田に乗り込んだ作家の国木田独歩は、同じ新聞社に勤務する弟に宛てた手紙という形式で従軍記を同紙に連載して好評を博し、のちに『愛弟通信』として単行本になった。

有力紙のなかには画家を従軍させて、紙面に多数の挿絵を掲載するというビジュアル戦略をとる新聞もあった。日清戦争に従軍した洋画家は、小山正太郎・浅井忠・黒田清輝・山本芳翠がよく知られている。このうち浅井忠は「時事新報」に雇われ、「画報隊」の一員として戦場に赴いた。

軍歌も多く作られた。その歌詞の多くは清との戦争を「正義の戦争」と称え、相手をあからさまに侮辱したものだった。日清戦争当時、大流行した「敵は幾万」(山田美妙作詞・小山作之助作曲)は、「敵は幾万ありとても、全て烏合の勢なるぞ、烏合の勢にあらずとも、味方に正しき道理あり」と歌う。「敵」は言うまでもなく清である。こうして、勇敢な日本兵に対し、清兵は「烏合の勢」にすぎないという意識が、社会に広く共有されていく。

しかし、すべての人が戦争の熱に浮かされたわけではなかった。作家の田山花袋は『東京の三十年』で当時を回想し、「軍歌の声が遠くできこえる……。それは悲壮な声だ。人の腸を断たずには置かないような、または悲しく死に面して進んで行く人のために挽歌をうたっているような声だ」と記している。

さまざまなメディアは、日清戦争という出来事を社会的な共通経験へと再編成し、結果として「日本人」という意識を広く社会に浸透させた。「それは、日本が近代的な国民国家へと姿を変えていく契機となっている」と国文学者の佐谷眞木人氏は指摘する(『日清戦争』)。

1895(明治28)年4月、戦争に勝利した日本は、講和条約で朝鮮に対する清の支配権を排除し、遼東半島・台湾・澎湖諸島と賠償金2億両(約3億円)などを手に入れた。しかしロシア・フランス・ドイツが遼東半島を清国に返せと迫り、日本政府はやむをえずこれを受諾する。この三国干渉は国民の中に屈辱感を植えつけ、「臥薪嘗胆」を合言葉に、次の戦争の準備へと駆り立てられていく。

<参考文献>
  • 大谷正『日清戦争 近代日本初の対外戦争の実像』中公新書
  • 佐谷眞木人『日清戦争 「国民」の誕生』講談社現代新書
  • 日中韓3国共通歴史教材委員会『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』高文研
  • 宮地正人監修『日本近現代史を読む』新日本出版社

2023-10-09

経済成長はヤミ市から生まれる〜『愛の不時着』の北朝鮮と戦後日本の共通点

新型コロナウイルスの感染拡大を受けた巣ごもり生活をきっかけに、動画配信で韓国ドラマの視聴が大きく伸びたのは記憶に新しい。ネットフリックスの配信で話題を集めた代表作の一つ、『愛の不時着』は配信開始から2年たった今も、人気上位を保っている。


韓国の財閥令嬢がパラグライダー事故で北朝鮮に不時着し、出会った軍の将校と恋に落ちる。設定こそ荒唐無稽だが、人間同士が政治的な分断を超えて心を通わせるという普遍的なテーマが訴えかける。

ドラマに経済の貴重なヒント:北朝鮮と市場経済


このドラマの見どころの一つは、ふだんニュースなどで目にすることのない、北朝鮮の庶民の日常だ。もちろんフィクションだから演出もあるだろうが、制作陣は韓国に逃れた多くの脱北者に話を聞き、生活をかなりリアルに再現したという。そこで経済に関する貴重なヒントを読み取ることができる。

そのヒントは「ヤミ市」だ。ドラマで北朝鮮の市場は、軍将校ジョンヒョク(ヒョンビン)が財閥令嬢セリ(ソン・イェジン)のために香りのするろうそくを探す場面をはじめ、何度も描かれる。商人は店先に並べた品物とは別に、「南の町」から届いた化粧品やシャンプー、おしゃれな下着などを隠していて、こっそり販売する。南の町とは、国家分断のため貿易を制限されている韓国を意味する。

列車が停電のため立ち往生すると、飲食物などの商品を背負った人々が一斉に駆け寄り、乗客に売って回る。あれも一種のヤミ市だろう。ジョンヒョクは毛布を買い求め、寒い野外でたき火にあたるセリに優しくかけてやる。ドラマには美しいウェディングドレスをヤミで売る店も登場する。

北朝鮮は社会主義体制や経済制裁の影響で国民の多くが貧困に苦しむものの、最近は不幸中の幸いで、多数の餓死者が出ているとの情報はない。それはヤミ市が命綱の役割を果たしているからとみられる。

北朝鮮では政府があらゆる経済活動を統制するのが建前だ。しかし1990年代後半に飢饉が起こり、政府が国民に十分な食糧を供給できなくなると、国中で「チャンマダン」と呼ばれるヤミ市が広がり始めた。2003年には「総合市場」として公認されるまでになった。そして現在の金正恩総書記は市場経済の要素を一部受け入れ、チャンマダンを積極的に活用しているとされる。

今では北朝鮮全域にある公認のチャンマダンは480カ所余りに達し、人々の生活に欠かせない存在となっている。ある脱北者の証言によれば、北朝鮮の市場には「韓国のコチュジャンだって売っていますし、韓国製の服も普及しています。自分の欲しいものすべての需要を満たしてくれる場所、それがチャンマダンです」という(KBS〈だれが北朝鮮を動かしているのか〉制作班ほか『北朝鮮 おどろきの大転換』)。

経済統制をかいくぐるヤミ市というかたちで自然発生した市場経済が、規制緩和を機に表舞台でその実力を存分に発揮しようとしているようだ。

日本の高度成長の土台はヤミ市


じつはこれと似た光景が、かつて私たちの身近にもあった。第二次世界大戦の終戦直後、混乱期の日本だ。

当時、全国各地に膨大な数のヤミ市が発生した。個人所有の物品、地方の農家・漁師と直接取引した食料、軍部・官公庁に隠匿・退蔵されていた物資の放出、占領軍物資の横流しなど多様なルートで仕入れた品々を取引するため、駅前や焼け跡など広場があり、人が集まる場所ならどこでも市場が開かれた。最初のものは東京・新宿駅前の「尾津組マーケット」で、終戦5日後の1945年8月20日には開始されたといわれる。

当初は地べたに板一枚、風呂敷一枚敷いての売買で、現代のフリーマーケット(フリマ)に近い青空市場だった。やがて戦前から一家を構える伝統的な露天商(テキヤ)が管理者となり、空き地に柱を立て屋根をかけ、仮設店舗を作る。

土地の権利を無視して作られたものも少なくなかったが、行政や警察の取り締まりが追いつかず、ヤミ市は拡大の一途をたどった。行政や警察はヤミ取引の横行を一部黙認しつつ、都内最大の露天商組織である「東京露天商同業組合」への指導を通じて市場の健全化、秩序維持を優先する方針に舵を切る。

1947年以降、生産流通が徐々に回復し、生活物資の統制解除が始まって、日本は緩やかに復興へ向かっていった。この頃を境としてヤミ市の時代は終焉を迎える(藤木TDC『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』)。

東京で戦後、ヤミ市がとくに栄えたのは、郊外へ鉄道でつながる新宿、渋谷、池袋などだ。トラック輸送などが発達していなかった当時、鉄道を利用し、人力によって担ぎ入れるのが、ヤミ物資を供給する基本的な方法だった。

その際、統制を受け自由な売買を禁じられている禁制品、とくに主食の米、麦、芋や生鮮食料品を産地から運び込むには、鉄道を経由し、下車してすぐ大きい直接取引ができる場所がよい。没収されたり検挙されたりする危険が少なく、決済が容易で、しかも早いからだ。

ヤミ市は戦禍に苦しむ多くの人々を救った。ヤミ市の初期、生活の糧を求めて敗戦直後の駅前で店を出した人のほとんどは、プロの露店商人ではなかった。戦時中に軍需産業への転換を強いられた中小商業者、軍需工場の閉鎖による失業者、海外からの引き揚げ者、戦死者の遺族、朝鮮半島をはじめとする旧植民地の人々などだ(松平誠『東京のヤミ市』)。

救われたのは、ヤミ市で食料などを購入する人も同じだ。当時、政府による食料の配給は一カ月も遅配しており、配給だけで暮らせというのは餓死せよというのに等しい。実際、山口良忠という裁判官がヤミ市で売られる米を拒否し、栄養失調で餓死している。ヤミ市はたとえ違法でも、人々が命をつなぐには欠かせない存在だった。

社会学者の松平誠氏は著書で「ヤミ市は、都市としての機能をすべて失った日本の都市の中で、それでも都市の人びとの生活と欲求とが必然的に生み出したエネルギッシュな存在だった」と指摘する。

1949年に連合国軍総司令部(GHQ)が発した露店撤去命令をきっかけに、ヤミ市はわずか数年でほとんどが消滅する。しかしヤミ市のあった地域はその後、新しい商業施設や盛り場として発展していった。今、副都心と呼ばれる新宿、渋谷、池袋の繁栄はいずれもヤミ市が基礎となっている。活力あふれるヤミ市は日本の高度経済成長の土台ともいえるだろう。

北朝鮮、豊富な天然資源など大きな潜在能力


北朝鮮のヤミ市も、今後の経済成長の土台になる可能性がある。実際、金正恩総書記は市場経済を取り入れた中国やベトナムをモデルに、 経済強国を目指していると伝えられる。

米著名投資家ジム・ロジャーズ氏は、北朝鮮を投資先として有望視することで知られる。いずれ韓国と統合して門戸が開かれれば、豊富な天然資源、高い教育レベル、低賃金な人材などの大きな潜在能力を発揮して、非常に速い経済成長を遂げるとみる。

韓国との政治統合は国際情勢もからんで簡単ではないだろうが、経済交流だけでも先行して拡大すれば、北朝鮮の経済成長に弾みがつく。それは軍事力に頼った方法より、東アジアの平和にプラスに働くだろう。

『愛の不時着』ではそうした変化が奇跡のように起こることはなく、主人公の男女二人は政治分断のために何度も悲しみや苦労を味わう。けれども、ヤミ市にともった市場経済の火がさらに広がって燃え盛り、政治の壁を崩せば、そうした悲しみを味わわずに済む日も訪れるはずだ。

*QUICK Money World(2022/2/1)に掲載。 

2023-10-06

お金の信用を支えるのは国家か?~「鎌倉殿」の時代に学ぶマネーの本質

お金といえば、誰もが仕事や生活のために日々使用している。けれども、「お金とはどんなものか」とあらたまって問われると、意外に難しい。本やネットで目にする解説も、一見もっともらしいようで、じつはマネーの本質を十分にとらえきれていない。


たとえば、「お金の信用を支えるのは国家」という説だ。

たしかに、今の円やドルのお札は「不換紙幣」といって、銀行に持って行っても、金貨などの実物資産と交換してくれるわけではない。その意味で、ただの「紙切れ」だ。

ところがその紙切れを、みんな当たり前のようにお金として使っている。よくある解説によると、それはみんなが、お金を発行する国家を信用しているからだという。

現代に限れば、この説は正しく見えるかもしれない。今は原則、国家の発行する不換紙幣だけが正式なお金として認められているからだ。しかし視野を過去に広げると、お金の違った側面が見えてくる。

中世日本のお金(貨幣)は誰が発行したか


今月放送が始まったNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台は、平安時代末から鎌倉時代前期。歴史区分でいえば中世にあたる。この時代、日本ではすでにお金(貨幣)が経済取引の手段として普及しつつあった。いわゆる貨幣経済の発展だ。

1月9日放送の第1回では、小栗旬さん演じる北条義時と父の時政が、京都で買ってきたみやげの品について話す場面があった。

さてこの時代、お金は日本の政府機関のうち、どこが発行していただろう。天皇が君臨する朝廷か。あるいは栄華を誇った平氏政権か。それとも北条氏が仕え、平氏を滅ぼした源氏の鎌倉幕府か。

答えは「どこも発行しなかった」である。お金は日本政府が発行するのではなく、海外から輸入された。

日本に金属製のお金(金属貨幣)が現れたのは7世紀後半(飛鳥時代)で、8世紀初頭に朝廷が自ら「和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)」を発行したことで徐々に普及していった。しかし平安時代に貨幣鋳造はいったん途絶える。

この後、12世紀後半(平安末期)に中国から銅銭が持ち込まれた。流入のきっかけは、中国との貿易だ。当時の中国は宋といい、10世紀半ばから13世紀後半まで続いた。12世紀前半にいったん滅亡するまでを北宋、その後都を開封から南の杭州に移した時期を南宋と呼ぶ。

日本とは10世紀後半、北宋の商船が九州地域を中心に商取引目的で来航するようになる。12世紀中頃には、『鎌倉殿の13人』にも登場する平清盛が博多や大輪田泊(現在の神戸)の港湾開発に力を入れるなど南宋との貿易を本格化させた。いわゆる日宋貿易だ。当時の日本の主要輸出品は銅や硫黄などの鉱山資源だった。一方、輸入品の一つとして宋の銅銭が流入した。宋銭と呼ばれる。宋の後の明の時代に発行されたものを含め、中国から輸入された銭貨を「渡来銭」ともいう。

政府・中央銀行が通貨に対して積極的に介入する現代の感覚からすると意外なことに、当時の朝廷や幕府は宋銭に対して何の統制もしなかった。その結果、日本国内では中国の銭が活発に流通する。今でいえば、中国から人民元が日本に流入し、お金として使われる様子に近いかもしれない。

ただし当時の宋銭には、人民元との違いもある。

人民元は、現在の中国政府傘下の中央銀行である中国人民銀行が発行している。しかし宋銭の場合、北宋が滅び、南宋の時代になっても、多く利用されたのは、前の北宋政府によって発行された銭だった。

それだけではない。宋の政府が発行した銭を模倣し、中国や日本国内で作られた貨幣(私鋳銭)も、お金として利用された。民間が銭を模造したというと、通貨偽造かと眉をひそめる向きもあるだろう。しかし昔は、政府やそれに準じる機関が通貨を供給しない場合、民間がそれを自律的に作り出し、社会で受け入れられる現象が珍しくなかった。

外国・民間のマネーを使った400年、金属価値が裏付け?


日本国内における渡来銭の使用は、鎌倉時代にとどまらず、室町時代、戦国時代まで続いた。じつに四百年近くにわたり、政府が貨幣を発行せず、外国や民間で作られたお金を使っていたことになる。

この事実は、「お金の信用を支えるのは国家」という現代の常識に真っ向からノーを突きつける。

それでは当時、国家がお金の信用を支えていなかったとすると、何が支えたのだろう。それは、銭が持つ「モノとしての価値」だったとみられる。ヒントとなるのは、宋銭はお金以外の用途で日本に持ち込まれたとする最近の研究だ。

たとえば、貿易船のバラスト(船を安定させるための重り)として持ち込まれたという説がある。日宋貿易における輸出品である金や硫黄に対し、おもな輸入品である陶磁器の比重は軽い。大陸からの帰途に船に陶磁器を満載しただけでは軽すぎて船が安定しないため、底荷として宋銭が用いられたという。

銅製品の原材料として輸入されたという説もある。鎌倉大仏の原材料は宋銭だといわれる。宋銭と鎌倉大仏はともに銅70%、鉛20%、スズ10%ほどの組成となっている。両者の類似は偶然とは考えにくい。最初の説のように船底に積む重りが必要だったとしても、まったく無価値な物よりは、それ自体が日本国内で価値を持つ物を用いたほうが、効率的だ。

現代の経済では、通貨が流通するためには、権力による強制や政府の負債としての性格を持つことが必要といわれる。しかし中世日本の場合、渡来銭は一定の重量の銅の持つ価値が裏付けになっていた可能性がある。そうだとすれば、権力による強制や政府負債としての役割なしに流通したことは不思議ではない(飯田泰之『日本史に学ぶマネーの論理』)。

暗号資産(仮想通貨)と渡来銭の共通点とは


お金が一般に受け入れられるプロセスには二つのパターンがあるとされる。ひとつは、中央集権的な権威が制度整備を通じて特定の交換手段に社会的通用力を与え、人々の信認を得るというプロセスである。中央銀行や政府が紙幣・硬貨を発行し、偽造を取り締まる現代の各国の貨幣制度はこのパターンに属する。

もうひとつ、中央集権的な権威を必要としないプロセスもある。そのプロセスとは、分権的な枠組みのなかで人々が特定の交換手段を信認するパターンだ。鎌倉・室町時代は、このパターンで渡来銭が流通するようになった。

現代の暗号通貨はブロックチェーンによる分権的仕組みを基礎としている。したがって暗号通貨における信認は、現代の政府の発行するお金よりも、鎌倉・室町時代の渡来銭に似ている(横山和輝『日本史で学ぶ経済学』)。

国家と関係なくお金が流通した例は、中世の日本だけではない。18世紀にオーストリア政府が発行した、女帝マリア・テレジアの肖像を刻んだ銀貨は、本国ではとうに使われなくなった20世紀に至るまで、遠く離れたアフリカ・西アジアの特定地域で流通を続けた。この地域はオーストリアの植民地でも勢力範囲でもなく、むしろ英国やフランスの植民地ないしはその勢力下にあった(黒田明伸『貨幣システムの世界史』)。

政府がお金を発行し、中央集権的な権力でそれを流通させるあり方は、長い歴史からみれば一つの選択肢にすぎない。政府がお金を大量に発行しすぎてその価値を毀損するようだと、人々は政府の通貨を敬遠し、暗号通貨や金・銀をメインのお金として使い始めるかもしれない。すでに最近の物価上昇、つまり通貨価値の下落を受け、その兆しはある。

人々が政府に頼らず、自分たちで信頼できるお金を選び取っていく。今、そんな時代が再来しようとしているのかもしれない。

*QUICK Money World(2022/1/18)に掲載。

2023-10-03

国債デフォルトはこの世の終わり?

国債のデフォルト(債務不履行)はこの世の終わりのような恐ろしい出来事だと、多くの人は信じている。たしかに日本や米国のように巨額に積み上がった国債のデフォルトは、経済に大きな混乱を引き起こすだろう。だからといって、この世が終わるわけではない。歴史を振り返ればわかるように、デフォルトの後も世界は続く。そこには激しい嵐が吹き荒れるかもしれないが、健全な経済に立ち返るチャンスでもある。


日本の江戸時代後期にあたる1830年代、米国では中央銀行の役割をもつ第2合衆国銀行があおったバブル景気の波に乗り、多くの州が鉄道、道路、運河などの公共工事に充てるために、多額の地方債を発行した。これらの州債のほとんどは、英国とオランダの投資家によって購入された。

1837年の恐慌から1840年代のバブル崩壊で、借金を負った州は苦境に陥る。当時の28州のうち、9州は負債がなく、1州はわずかだった。残り18州のうち、9州は負債の利子を途絶えることなく支払い、別の9州(メリーランド、ペンシルベニア、インディアナ、イリノイ、ミシガン、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピ、フロリダ)は債務不履行に陥った。これらの州のうち、4州は利払いが数年間滞っただけだったが、残りの5州(ミシガン、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピ、フロリダ)は未払い債務の支払いを拒否した。

債務不履行と支払い拒否は意外にも、良い影響をもたらす。まず、州政府に大幅な財政改革を促した。1846年のニューヨーク州を皮切りに、10年間で3分の2近い州が州憲法を改正し、①州による民間企業への投資を規制②特別立法による法人設立を制限・禁止③州・自治体債の発行方法を変更④州・自治体債の発行額に上限を設定――などを新たに定めた。これら州憲法による州債規制は、その後弱まったものの、現在まで形をとどめる。

米経済学者トーマス・サージェント氏は2011年、ノーベル賞記念講演で「もし当時多くの国会議員が望んだように、連邦政府が州政府を救済していたら、このような改革は起こっただろうか」と問いかけた。

次に、各州は公共投資に慎重になり、鉄道網の整備を民間に任せた。以前州が保有していた鉄道はほとんど売却される。州や自治体の政府は直接投資やもっと目立たない方法で鉄道を補助したものの、1860年までに米国の鉄道に必要な資本の4分の3を民間資金が提供した。米経済学者ジェフリー・ハンメル氏は「財政危機後、州はついに重商主義の遺産を捨て去り、初めて自由放任主義へ向かった」と指摘する。

米国の州債を約1億ドル購入していた英国を中心とする海外投資家は、州政府にお金を貸すことにきわめて慎重になった。海外勢のこの態度は米連邦政府にまで及んだ。米証券会社が1842年、欧州で米国債の市場調査を行ったところ、米連邦政府のデフォルトが心配なので売れないと言われた。

さらに、デフォルト後の米経済は早くに立ち直った。1929~1933年の米大恐慌では、失業率が最大25%に達し、この間に生産高は30%減少した。これに対し1839~1843年には、投資は減ったものの、生産はむしろ6~16%増え、実質消費はそれ以上増加した。しかもほぼ完全雇用だった。その後も1830年代に始まった経済成長は続き、実質所得は増加していった。

政府自身が財政規律を正さない場合、デフォルトによって規律を強制するしかない。1840年代の米国の州の経験は、デフォルトこそが長期にわたる解決策になりうることを示している。

多くの個人が国債を直接・間接に保有する現代では、デフォルトの衝撃はさらに大きいだろう。それでもこの世の終わりではない。経済に対する政府の介入を排除し、自由な市場経済による繁栄を取り戻す好機になりうる。

<参考資料>
  • Some Possible Consequences of a U.S. Government Default · Econ Journal Watch : sovereign debt crisis, default, financial crisis, repudiation, U.S. deflation of 1839-1843 [LINK]
  • Repudiating the National Debt | Mises Institute [LINK]

2023-09-30

国債デフォルトという選択

米国債は6月、政府債務の上限をめぐって債務不履行(デフォルト)の危機に立たされた。日本経済新聞は「最悪の事態を招いていれば各国が保有する米国債は暴落し、ドルの信用も失墜する瀬戸際だった」と振り返る


危機は去ったわけではない。債務上限の効力を一時停止した時限立法の効果は2025年1月に切れる。24年秋の大統領選後に発足する米国の新政権は再び、政府債務問題の解決を迫られることになる。

ところで、ここであえて問いたい。国債のデフォルトとは、どんな犠牲を払っても絶対に避けなければならない事態なのだろうか。

あらためて国債のデフォルトとは、政府が国債の利息の支払いを遅延・停止したり、元本の返済ができなくなったり、契約条件を変更したりすることを指す。

「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という主張をよく目にする。「いくらでもお金を刷ることができるから」というのが理由だ。しかし、生産力を上回るペースでお金の量を増やせば物価が上昇する。ハイパーインフレとまではいかなくとも、物価高が市民の我慢の限界に達すれば、それ以上お金を刷り続けるのは政治的に困難になる。

そこで現実味を帯びるのが、デフォルトという選択肢だ。実際に選択するうえで、考えるべきポイントが二つある。

一つは、倫理に反しないかどうかだ。もしこれが民間の個人や法人間の契約なら、借金の利子を払わなかったり、踏み倒したりすることは当然、倫理に反する。もしA氏からお金を借りたB氏が返済しなければ、A氏の正当な財産を奪うことになる。

しかし、政府の場合は違う。政府が国債を売って市民A氏から借りたお金を返すのは、実際には政府自身ではない。政府に税を支払う別の市民C氏だ。ところがC氏は、その返済について同意を求められたことは一度もない。それどころか政府とA氏との契約は、C氏から同意なしに財産を奪うという前提で結ばれたものだ。このように他人の間で勝手に結ばれた契約に、C氏が何らかの義務を負うとは考えにくい。

したがって、国債の元利払いに充てる税の支払いをC氏が拒否し、その結果、国債がデフォルトに陥ったからといって、C氏が倫理的に責められる筋合いはない。

道路や学校など政府の各種「行政サービス」をC氏が利用していても、国債の元利払いへの協力を強制される理由にはならない。一方的に押しつけられた、必ずしも質の良くない「サービス」に対し、政府の言い値どおりの対価を払う合理的な根拠がないからだ。

国債デフォルトを選択するうえで考えるべきもう一つのポイントは、経済的な影響だ。時価ベースの国債発行残高は3月末時点で1080兆円で、このうち日銀が53.3%にあたる576兆円を保有する。次いで保険・年金が21.9%、銀行などの預金取扱機関が8.9%、海外が7.2%となっている。

日銀は事実上、政府の子会社であり、日銀が保有する半分強の国債はデフォルトによって単純に帳消しすることができる。すべて帳消しにした場合、日銀は保有する国債の価値がゼロとなり、政府が救済しない限り、破綻するだろう。

保険・年金、銀行などの国債保有額は日銀に比べれば小さいものの、デフォルトで価値がなくなれば、金融システムに及ぼす衝撃は大きい。金融機関の連鎖倒産もありうる。個人の保有する保険・年金や預金にも損失が生じるだろう。

しかし、こうした厳しい影響の一方で、デフォルトには明るい面もある。まず、少なくとも当面の間、市民が再び国債に投資するような愚かなことはしなくなるだろうから、政府は借金に頼れなくなり、無駄遣いが減る。日銀が再建されても、以前のような財政ファイナンス(財政赤字の穴埋め)が認められるとは考えにくい。福祉政策や公共事業など粗悪な「行政サービス」は、質が高くて低価格な民間サービスに置き換わるだろう。

また、国債の元利払いがなくなることで納税者の負担が減り、貯蓄を増やしやすくなる。これは資本の充実と生産性の向上につながり、所得回復を後押しする。保険・年金や預金を通じて強制的に購入させられた国債でこうむった損害は、国有財産の売却や民営化株の交付で賠償すればいい。一方、国家を破産に追いやった政府や日銀の歴代幹部は当然、それなりの責任を問われる。

過激すぎてついていけないと思っただろうか。もしかすると今の延長線上で、国民から税金やインフレ税を取り立てながら、破綻を先延ばしできるかもしれない。だが、税収以上に乱費する政府の無責任な姿勢が改まらない限り、いずれデフォルトは避けられない。それならば、少しでも早いほうが痛みは比較的小さくて済む。

<参考資料>
  • The Economics and Ethics of Government Default, Part I | Mises Wire [LINK]
  • The Economics and Ethics of Government Default, Part II | Mises Wire [LINK]

2023-09-27

国債は倫理に反する

国債という制度の問題点は、日銀が財政ファイナンス(財政赤字の穴埋め)を行っている事実がわかりにくくなること以外にも、まだある。それは、倫理に反するということだ。


そもそも国債とは、国(政府)が発行する債券(投資家から資金を借り入れるために発行する有価証券)で、国が資金調達する手段の一つだ。投資家は国債を購入することで、国が設定した金利を半年に1回受け取れる。そして満期になると、投資した元本が償還される。

債券には国債以外にも様々な種類があり、企業が資金調達を目的として発行する債券を社債と呼ぶ。

さて、国債と社債には大きな違いが一つある。企業は社債の元利払い(元本と利息の支払い)に、売り上げの一部を充てる。売り上げは企業が製品・サービスを提供し、顧客に自発的に購入してもらうことによって稼いだものだ。

一方、政府は国債の元利払いに、税金(インフレ税を含む)の一部を充てる。税金は、企業が自発的な取引を通じて得たお金と違い、政府の権力を利用して市民から一方的に奪ったものだ。

インフレ税については説明が必要だろう。政府は日銀を通じて円を発行する特権を持っているから、円を大量に発行して国債の元利払いに充てればよい。ただし、お金を大量に発行すれば、他の条件が同じなら物価は上昇する。これは市民の保有するお金の価値が、実質目減りすることを意味する。同じ額のお金で買える物が少なくなってしまうからだ。市民からみれば、インフレ(通貨価値の希薄化)によって、税金を取られたのと実質同じことになる。だからインフレ税と呼ぶ。

インフレ税は、政府が円を発行する特権を持っているからこそ可能になる。市民の側がどれだけ拒絶しようと、日銀が円を発行すれば、いやおうなしに実質課税されてしまう。政府が無理やり税金を取り立てるのと変わりない。いや、それより悪質だ。普通の税金は刑務所に入る覚悟をすれば支払いを拒否できるが、インフレ税は日銀が円を発行しただけで課される。

要するに、社債は自発的に集まったお金で元利払いを行うのに対し、国債は強制的に取り上げたお金で行う。これは大きな違いだ。考えてもみてほしい。もしある企業が、従業員の給与から問答無用で取り立てたお金を社債の元利払いに充てたら、囂々たる非難を浴びるばかりか、違法行為で訴えられるだろう。

ところが国債の場合、市民から強制的に取り立てたお金を元利払いに充てるのはもちろん合法だし、世間で「ブラックだ」と非難を浴びることもない。

国債が合法だからといって、倫理的に正しい「ホワイト」だとは限らない。かりに今現在の日本国民が、民主主義で決まったことには従うといって、国債の発行に同意したとしても、元利払いの義務を遠い将来の日本人に背負わせるのは、無理がある。

国債の期間は2年、5年、10年、20年、30年、40年など様々だ。2年、5年など比較的短いものはともかく、10年、20年、30年、40年も先となると、今選挙権を持たないどころか、生まれてさえいない人にまで、元利払いの義務を押しつけることになりかねない。まして最近話題の永久国債は、永遠の未来(そのときまで日本が存続していればだが)の日本国民に利払いの負担を課す。これらは、民主主義の原則である「代表なければ課税なし」に反するだけでなく、身に覚えのない借金を押しつけるという倫理上の問題をはらむ。

経済学者ミーゼスは、借り換えを繰り返して事実上の永久国債となっている長期国債を含め、「いつまでも金を貸し借りし、永久にわたる契約を結び、未来永劫にわたる約定をするとは、何と思い上がった厚かましさではないか」と批判する。そのうえで「早晩、これらの負債は、何らかの方法ですべて清算されることは明らかであるが、それが契約どおりの元利払いでないことは確かである」と述べる(『ヒューマン・アクション』)。

「契約どおりの元利払い」以外の方法とは、政府が通貨の濫造でお金の価値を下げ、借金を事実上、一部または全部踏み倒すということだ。国債とはとことん、反倫理的な制度である。

<参考資料>
  • The 100-Year Bond is Unethical | Mises Wire [LINK]
  • What Mises Would Say About Austria's New 70-year Bond | Mises Wire [LINK]
  • Ludwig von Mises, Human Action: A Treatise on Economics, Ludwig von Mises Institute, [1949] 2009.(ミーゼス『ヒューマン・アクション』村田稔雄訳、春秋社、2008年)

2023-09-24

赤字国債を廃止せよ!

国債と借入金、政府短期証券を合計した「国の借金」が2023年6月末時点で1276兆円に達し、過去最大を更新した。新型コロナウイルス対策や物価高対応の財政支出を賄うための債務の膨張が続く。


「国の借金」という言葉を使うと、「国の借金は負担ではない。なぜなら国民自身が貸しているからだ。政府の負債は国民の資産だ」と反発する人がいる。おめでたい話だ。もし受け取る利子や元本の価値が減らないのなら、優良資産を保有していると喜んでいいかもしれない。しかし実際には、日銀が国債残高のほぼ半分を買い入れるために新たな円を発行しているから、円の価値が薄まり、円で受け取る国債の利子や元本の価値も薄まる。とても優良資産とはいえない。

日本経済新聞が伝えるように、2022年度の税収は71兆円と3年連続で過去最高を更新した。ところが新型コロナ対策や物価高対策など歳出の拡大が税収の伸びを上回り、借金が膨らむ構図が定着している。税収不足を埋め合わせるために発行する国債を「赤字国債」という。

じつは赤字国債は、法律で発行を禁止されている。第二次世界大戦時の野放図な国債発行が軍備拡張と戦後の激しいインフレを招いたとの反省から、戦後、政府が安易に国債を増発しないよう、財政法第4条第1項で国債発行を原則禁止し、同項但書でインフラ整備の財源にあてる「建設国債」の発行のみを認める。つまり財政法上、国債は原則発行を認められておらず、とりわけ赤字国債は厳しく禁止されている。

もちろんこれは建前にすぎず、実際には石油ショックによる景気低迷で税収が大幅に落ち込んだ1975年以降、特例法の制定によって、赤字国債はほぼ毎年発行されてきた。赤字国債は特例国債とも呼ばれるが、今では「恒例国債」といいたくなるくらい、発行が当たり前になっている。財政規律は失われたも同然だ。

このまま国債残高の野放図な膨張と事実上の日銀引き受けが続けば、遠くない将来、限界を迎えるだろう。対策として、野党の国民民主党は、日銀保有国債の一部を償還期限のない永久国債にするよう提案している。これにより、政府債務の一部を帳消しにできるという。

しかし、かりに一時的に債務が帳消しになったように見えても、関東学院大学教授の島澤諭氏が指摘するように、歳出・歳入構造に変化がなければ、いずれまた政府債務が積み上がるのは確実であり、根本的な解決策にはなりえない。「結局、財政健全化に奇策はなく、歳出削減によるスリム化で最適な政府規模を実現」(島澤氏)するしかない。

だが今のように赤字国債を事実上、出し放題の状態では、とても歳出削減などおぼつかない。財政法の原則どおり、建設国債を含めすべての国債発行を禁止したいところだが、少なくとも赤字国債はきっぱり廃止すべきだ。国債の新規発行額のうち赤字国債は約8割を占めるから、国債発行の大半がなくなる。

赤字国債をなくすのは無理だというなら、いっそのこと、こうしてはどうだろうか。財政法を根本から見直し、税収の不足分は日銀が円を発行し、直接政府に渡すようにするのだ。日銀が国債を買い取るワンクッションを省くだけだから、お金のやり取りは今と実質変わらない。けれども、このやり方にはメリットがある。日銀が財政ファイナンス(財政赤字の穴埋め)を行っているという不都合な事実が、誰の目にも明らかになることだ。

国債という制度のよくない点の一つは、日銀が政府の打ち出の小槌として奉仕する姿がわかりにくくなり、カモフラージュされてしまうことだ。税不足をせっせと穴埋めする日銀の役割が誰にでもわかるようになれば、その行為によって円の価値が薄まり、物価高を招く事実を理解しやすくなる。それは日銀を縮小・廃止し、インフレ税(通貨価値の希薄化)という不透明な税をなくす第一歩になるだろう。

<参考資料>
  • What Mises Would Say About Austria's New 70-year Bond | Mises Wire [LINK]

2023-09-21

「安定化」政策がもたらす不安定

日銀の高田創審議委員は9月6日、山口県下関市で講演し、2%の物価安定目標の達成に向け「『芽』がようやく見えてきた状況だ」と述べた。毎日新聞によれば、同委員は、最近の物価上昇率は2%を上回っているものの、持続的・安定的な実現には「まだ距離がある」と説明。大規模な金融緩和策を「粘り強く続ける必要がある」と強調したという。


日銀が黒田東彦前総裁の下、常軌を逸した「異次元の金融緩和」を始めた際、物価上昇に歯止めがかからなくなることを心配する声に対し、異次元緩和を支持する人々は「2%の目標に達したらやめればいいだけ」とあざ笑った。しかし今や消費者物価上昇率は今年7月まで11カ月連続で3%を上回り、2%の目標を大きく超えているにもかかわらず、高田委員の発言が示すように、日銀は言を左右にして金融緩和をやめようとしない。

日銀は「物価安定」を錦の御旗として掲げる。だが、そもそも物価に限らず、「安定」は経済の本質に反する。無理に「安定化」しようとすれば、かえって混乱を引き起こす。

経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは「安定化計画の目的である安定の確立は、空疎で矛盾した考え方である」(『ヒューマン・アクション』)と厳しく批判する。

経済の主体である人間は生まれつき、行動によって生活条件を改善しようとする強い衝動をもつ。しかも人間自身が時々刻々変化し、その価値評価、意思、行為もともに変化する。「行為の領域には、永遠なものは何もなく、変化があるのみである」とミーゼスは指摘する。

言い換えれば、健全に発展し、活発な経済には安定したものなどない。消費者の好み、技術、天然資源、その他多くの変数が常に変化しており、企業は将来の市場状況を予測して今日の生産を手配する使命を負っている。技術が変化して生産が拡大し、その結果、物価が下落すれば、つまりデフレになれば、それを無理に食い止める必要はない。デフレが経済成長を妨げるというのは嘘だ。

2%という「マイルド」な物価上昇率であっても、物価下落の圧力に逆らってそれを達成・維持するためには、多額の資金注入を必要とする。これまで日銀が「異次元の金融緩和」で行ってきたとおりだ。中央銀行の資金供給量を示すマネタリーベースは、異次元緩和の始まった2013年4月には約150兆円だったが、2023年4月には約676兆円と約4.5倍に膨張している。

しかし物価安定を目指すマネーの注入は、かえって経済に様々なひずみや不安定をもたらす。その一つが不動産など資産価格の高騰だ。

米カリフォルニア州で車中生活者が増加している。AFP通信によると、同州には富裕層が多いが、全米のホームレスの約3分の1も同州に集中している。ロサンゼルス郡だけでホームレスは7万5000人以上に上る。詳細な数字は不明だが、ロサンゼルスや近隣の町では、キャンピングカーやトレーラーハウス、乗用車を生活の場とする人の数がどんどん増えているという。

原因は、カネ余りを背景とした住宅費の高騰だ。ロサンゼルスの6月の平均家賃は2950ドル(約43万円)に達した。カリフォルニア州に限らない。米国では2021年に700万人以上が、収入の半分以上を住宅費に費やした。2007年に比べ、25%も増えた。

米国の中央銀行、連邦準備理事会(FRB)は、物価高の減速をめざして金融引き締めを続けているものの、家賃などの住居費は減速ペースが鈍い。

日本でも低金利を支えに首都圏などでマンション価格の上昇が止まらず、バブル期を超える高値となっている。それにもかかわらず、すでに利上げした米国に比べ、日銀の動きは鈍い。どこかでやむなく利上げに踏み切れば、経済に及ぼす衝撃や混乱は計りしれない。政府・中央銀行による「安定化」政策は結局、大きな不安定をもたらすのだ。

<参考資料>

  • Ludwig von Mises, Human Action: A Treatise on Economics, Ludwig von Mises Institute, [1949] 2009.(ミーゼス『ヒューマン・アクション』村田稔雄訳、春秋社、2008年)
  • What Is the Right Inflation Target for Central Banks? | Mises Wire [LINK]

2023-09-18

政府の3つの財源

2024年度予算編成に向けた各省庁の概算要求が出そろった。一般会計の総額は114兆円規模と過去最大を更新する。新型コロナウイルス騒動に伴う家計や企業への多額の支援が一巡したにもかかわらず、要求総額の増加は止まらない。タガが外れたとはこのことだ。


日本経済新聞が指摘するように、新型コロナへの対応が始まった20年度から22年度にかけて一般会計の税収は増え続けたものの、政府はそれを上回る数十兆円規模の補正予算を編成してきた。支出と税収の差は大きく開いたままで、穴を埋める財源は主に国債だ。税の穴埋めに発行する国債を赤字国債といい、建前上は禁止されている。

ところで、そもそも政府にはどのような財源があるのだろう。民間の企業や家庭とは異なり、政府は支出をまかなうために魅力あるサービスを市場で売り、それを自発的に買ってもらうわけではない。財源の多くは強制的な課税によって得ている。

しかし、政府の財源はそれだけではない。課税(T)に加え、国債などの借り入れ(D)、貨幣(お金)の発行(M)——の計3種類がある。政府支出(G)はこれら3つの資金源の合計に等しい。数式にすれば、こうだ。

G=T+D+M

課税は最も単純な政府資金源である。政府は所得、取引、財産所有、財産売却、死亡など思いつく限りの対象から税金をむしり取る。税収を使い果たしたら政府の支出も止まるのであれば話は終わりだが、そうはならない。

日本や米国の政府は税収よりも支出が多い。支出が税収を上回ることを財政赤字という。つまり、財政赤字とは政府支出と税収の差、G-Tのことである。上の式を変形して、財政赤字を次のように表すことができる。

G-T=D+M

この新しい式は、政府の赤字は税以外の収入源、つまり借り入れとお金の発行によってまかなわなければならないことを示している。

もし借り入れとお金の発行を無限に大きくできるのであれば、財政赤字がどんなに大きくなろうと心配はない。いくらでも税収以上に使える。机上の理論ではそう思えるかもしれない。しかし、現実には無理だ。

まず国債発行による借り入れだが、国債は投資家に自発的に買ってもらわなければならないから、他の金融商品に負けない条件を示さなければならない。最も重要な条件は金利だ。国債は安全性の高さという強みがあるし、外債のような為替リスクもないが、それでも金利が低すぎれば買ってもらえなくなる。世間で金利が上昇すれば、それに合わせて金利を引き上げざるをえない。国債の信用度が落ち、格付けが下がると、さらに高い金利を求められる。

国債の金利引き上げが続くと、利払いがかさんで、発行額を増やしても手元に残るお金は次第に少なくなり、極端なケースではゼロになる。そこまでいかなくても、財源として借り入れに頼るのは次第に難しくなる。

そこで最後の手段、お金の発行の登場だ。実際には、中央銀行が生み出したお金で、国債を事実上買い取る。「中央銀行はお金を無限に生み出せるので、無限の財源になる」と信じている人がいるが、これも経済の現実を無視した空論にすぎない。お金の増発は永遠には続けられない。

中央銀行が世の中にあるお金の量を増やせば、その分、お金の価値は薄まる。生産活動が活発なら、その影響は目に見えないが、お金の増えるペースが生産活動を上回ると、物価高という形で見えるようになる。物価上昇が収入の増加ペースを上回ると、人々の生活が苦しくなる。

それだけではない。お金の価値が失われるから、貯蓄の価値がなくなり、人々はお金が価値を失う前に物を買おうとし、将来への投資が減る。これは生産力の低下につながり、社会を貧しくする。「日本は先進国だから大丈夫」という人がいるけれども、生産力が衰えれば、先進国ではいられない。

結局いつかは、課税、借り入れ、お金の発行のどれにも頼れなくなるときが来る。そうなると、嫌でも支出を減らさざるをえない。そのときが遅ければ遅いほど、立ち直るための痛みは大きくなる。

<参考資料>
  • What Happens If the Government Outspends Its Ability to Pay? - Foundation for Economic Education [LINK]

2023-09-15

自由民権と小国主義

近代日本の対外政策は明治維新後まもなく、「大国主義」に舵を切る。大国主義とは「国際関係において、経済力・軍事力に勝っている国がその力を背景として小国に対してとる高圧的な態度」(goo国語辞書)のことだ。この路線は日清・日露戦争を経て第二次世界大戦で壊滅的な敗北を喫するまで、ほぼ一貫して続くことになる。

新・人と歴史 拡大版 45 中江兆民と植木枝盛

そうしたなかで、明治政府の大国主義を批判し、軍事的な対外膨張を戒める「小国主義」を唱える人々がいた。その中心となったのは、自由民権運動の論客たちである。自由民権運動とは明治前期の1870〜80年代、政府に対し民主的改革を要求した政治運動だ。

そもそも日本では幕末の開国当時から、軍事による対外進出を目指す発想が存在した。その一例は長州出身の思想家、吉田松陰である。松陰は書簡で、欧米の先進列強に対しては当面「信義」を守っておき、その間に軍備を整え、周辺の東アジア諸地域を抑え込んでいわば実力のほどを示し、やがて欧米諸国と対等の関係に入るという青写真を描いた。

維新直後の1871(明治4)年から73(明治6)年にかけて欧米を視察した岩倉使節団(岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら)は、欧州で英国・フランス・ロシア・プロイセン(ドイツ)・オーストリアの大国だけでなく、ベルギー・オランダ・スウェーデン・スイスといった小国も訪れ、関心を示している。しかし結局、使節団を最も強くひきつけたのは、小国から大国への道を歩んだプロイセンだった(百瀬宏『小国』)。

岩倉使節団の帰国後、明治政府は1874(明治7)年、近代日本国家による最初の海外派兵である台湾出兵を行う(征台の役)。また翌1875(明治8)年、軍艦を江華島に派遣して朝鮮側を挑発し、交戦して砲台を破壊した(江華島事件)。翌年、朝鮮を独立国として承認し、領事裁判権・関税免除特権などを盛り込んだ日朝修好条規を結ぶ。これは日本が欧米から強いられた不平等条約を朝鮮に強制するものだった。

明治政府側がこのように、小国から大国への道を歩もうとするなかで、小国の存在理由を積極的に肯定し、日本の将来像をそこに定めようとする「小国主義」の論陣を張ったのが、自由民権運動の論客たちである。

たとえば、「郵便報知新聞」は1881(明治14)年の社説で、スイス、デンマークなどの弱小国が独立を保っているのは「権理」によるものだと述べた。「権理は国の強弱によって進退あるもの」ではないので、腕力国家の横暴に対しては、毅然として「ただ権理によりて外国に応対し争議する」ことが正しいと、道義立国、平和外交を主張している(色川大吉『自由民権』)。

自由民権の論客の中で、小国主義の主張でとりわけ精彩を放ったのが、植木枝盛、中江兆民の二人だ。

植木枝盛(1858〜92)は土佐国(高知県)で中級藩士の家に生まれた。上京して同郷の板垣退助の家に住み込む一方、読書や講演で知識を旺盛に吸収する。新聞への投書が言論規制に触れて投獄され、民権派の自覚を固めた。帰郷して政治結社の立志社に入り、民権運動のリーダーとなっていく。

1881(明治14)年、政府が国会開設を公約すると、民権派を中心に在野でも独自の憲法草案をつくるものが出てきた。なかでも枝盛の起草した「日本国国憲案」は、政府が憲法に違反して人民の自由・権利を抑圧したときは、これを倒して新しい政府を樹立することができるという抵抗権を盛り込むなど、急進的な自由主義で知られる。

枝盛の論文「無上政府論」は、小国主義の理念が明確にうかがえる。枝盛はそこで、現在の国連に似た「万国共義政府」の創設を唱える。この共義政府が設置され、国連憲章を思わせる「無上憲法」が定められれば、各国は外患の憂いが少なくなり、かりに国家間のトラブルが起こっても、共義政府の保護を受けることができる。

その結果、枝盛によれば、世界の国は皆、国を自由に小さく分けることができるようになる。そして、国土が小さくなればなるほど人々はお互いに接近して相互理解が進み、直接民主制も実施しやすくなる。また、国際紛争を共義政府によって解決するようになれば、各国の軍備が減り、それだけ人民の福祉を増進することができる。人間の品格も良くなり、「これまた大きな利益ではないか」と枝盛は説いた(田中彰『小国主義』)。

一方、中江兆民(1847〜1901)は本名を篤助(のち篤介)といい、約10歳下の植木枝盛と同じく土佐国出身で、下級武士の子である。長崎・江戸でフランス学を学び、岩倉使節団の留学生に加わった。フランスへ留学した兆民は、主としてパリとリヨンでルソーをはじめとする哲学や史学・文学を研鑽した。帰国後、元老院の書記官となるが、1977(明治10)年初めに辞し、以後は在野のジャーナリストとして健筆を振るった。

1882(明治15)年、兆民は「自由新聞」に論説「外交を論ず」を発表し、日本外交の基本的態度はいかにあるべきかを説いた。

まず兆民は、当時政府が目指そうとしていた「富国強兵」は、絶対に矛盾するという。経済を重んずれば多くの兵を蓄えることはできないし、もっぱら武を崇(とうと)ぼうとすれば多くの財貨を増やすことはできないからだ。なお別の論説で兆民は、徴兵による常備軍の廃止と民兵制の導入を唱えている。

次に兆民は、欧州の弱肉強食の国際情勢は「他国の弱なるを冀(ねご)ふて己が国の強なるを求むる」からだと論じる。そのうえで、小国が自信をもって独立を保つには、「信義」「道義」の上に立って、大国といえども畏れず、小国たりとも侮らないようにするしかないと説く。

歴史学者の松永昌三氏によれば、兆民は「日本の進むべき道は、軍事力に依拠して他民族を抑圧するがごとき『大国』への道ではなく、人民の自由権利の増進と生活の向上を求めて、各国人民が連帯し協力しあう『小国』への道であるとし、小国独自の発展を探求すべきだと説いた」のである(『中江兆民と植木枝盛』)。

残念ながら、枝盛や兆民の小国主義は主流の思想とはならず、近代日本は「軍事力に依拠して他民族を抑圧するがごとき『大国』への道」を進んでいく。

現在、国際情勢において大国の身勝手な行動が目立ち、世界を混乱に陥れている。小国主義の理念があらためて評価される日は遠くないだろう。

<参考文献>
  • 百瀬宏『小国:歴史にみる理念と現実』岩波現代文庫
  • 色川大吉『自由民権』岩波新書
  • 田中彰『小国主義―日本の近代を読みなおす』岩波新書
  • 松永昌三『中江兆民と植木枝盛:日本民主主義の原型』清水書院

2023-09-12

原発、官民癒着が諸悪の根源

本来の資本主義が政府の介入を許さない、自由放任の経済体制だとすれば、日本の原子力産業は資本主義ではない。政府と企業が利権で結びついた「縁故主義」の典型である。「官民癒着」と言い換えることもできる。原発の問題の大半は、この官民癒着に発している。


NHKニュースデスクの山崎淑行氏は、情報量豊かな共著『エネルギー危機と原発回帰』で、「原子力業界の特異な成り立ち」を指摘する。すなわち「国策民営」という体制だ。核燃料サイクルの政策は国策であり、電力会社をはじめ原発の事業に関わる民間企業、自治体なども「すべてはこれに沿って動いている」。

国策民営は国の力によって、普通の民間企業にはない特権が認められる。たとえば「総括原価方式」だ。今でこそ電力市場の自由化が進み、事情が変わっている部分もあるが、原材料費や人件費などのコストを必ず電気料金で吸収できるような方法が認められてきた。売電エリアが電力会社ごとに決まっている、いわゆる地域独占的な市場も特徴だ。

さらに重要な特徴は、関係先が膨大なことであり、そこには民間企業だけでなく、政府、与党、野党、自治体といった政治関係者のほか、経済産業省、文部科学省、原子力規制庁、環境省、内閣府など官庁も含まれる。

山崎氏は「多数のプレーヤーが関わっているということは、逆に言うと責任の所在をあいまいにしやすい環境」と述べる。この指摘は必ずしも正確ではない。自動車や電機といった普通の民間産業も下請けなど多数のプレーヤーが関わっているが、無責任体制に陥ってはいない。もしそうなれば、厳しい競争でたちまち落伍してしまうだろう。

原子力産業で責任の所在があいまいになりやすいのは、多数のプレーヤーが関わっているからではなく、政府が関わっているからだ。政治家や官僚は職務上、よほどの落ち度がない限り、いやあったとしても、民間企業のようにその結果が収入減やリストラ、経営責任などの形で身に降りかかることがない。東京電力をはじめとする電力会社も政府から特権を与えられ、ほとんど役所と化している。

福島原発事故を検証した民間の独立検証委員会(民間事故調)は2012年の報告書で、国策民営の問題点に触れ、「安全性向上に対する国の責任が不明瞭となり、実際に事故が起こった際の責任の所在があいまいになり、事故への対応が混乱するといった状況がみられた」と指摘している。

福島第一原発の廃炉に向けた今回の処理水問題がこじれた背景にも、国策民営の無責任体制がある。原子力規制委員会の田中俊一委員長(当時)は2017年、海洋放出をめぐり、「東電の主体性が見えない」と同社を批判した。しかし評論家の池田信夫氏によれば、「今の東電は、原子力損害賠償・廃炉等支援機構から出資を受ける政府の子会社のようなもの」であり、「半国営」の東電の主体性は、すでに失われている。東電の経営と廃炉を切り離し、廃炉について意思決定を行い責任を負う「主体」を明確にすることが必要だと、池田氏は主張する

経営主体と責任の明確化は必要だ。しかしその方法として、池田氏や他の論者の唱えるような、東電の一部または全部を国有化するやり方はよくない。国有化とは税金による尻ぬぐいであり、モラルハザード(自律の喪失)を生み、将来の事故再発を誘発しかねない。

なすべきことは国有化ではない。その逆に、電力産業と政府を完全に切り離し、諸悪の根源である官民癒着を断つことだ。東電は国の支援を失い、経営破綻が避けられないだろう。破綻した東電は、純粋な民間企業となった他の電力会社が買収するかもしれないし、規制撤廃により異業種が参入するかもしれない。

損害賠償や廃炉のコストは、国と東電で責任を按分したうえで、国の責任分については増税ではなく、国有資産の売却でまなかわせよう。もちろん電力業界への天下りは禁止だ。

廃炉は、東電の今の計画のようにデブリ(溶融燃料)をわざわざ取り出せば8兆円かかるとされるが、チェルノブイリ原発のように原子炉建屋全体をコンクリート製の構造物「石棺」で封じ込める方法なら、それでも小さな額ではないが、1兆円くらいで済む

原発は、事故時に自然停止と自然冷却が自律的に作動する、安全性の高い次世代原発が登場している。完全民営化でイノベーションが加速すれば、賠償や廃炉のコストをまかなう以上に稼ぐチャンスが広がるだろう。

使用済み核燃料棒以外の「核のごみ」は放射線量が小さく、実用化も可能だ。ジャーナリストの吉野実氏によれば、除染土の中のセシウムは植物に取り込まれる可能性がきわめて低いとのデータが積み上がりつつあり、ミニトマトなど農作物を栽培できる(『「廃炉」という幻想』)。元電力中央研究所名誉特別顧問の服部禎男氏は「放射性廃棄物を薄めて道路に敷き詰め、軽い放射線が出るようにすれば、みんなが健康になるでしょう。まさにラドン温泉の発想です」(『遺言』)と提案する。

道に核のごみを敷き詰めるとはとんでもない暴論に聞こえるかもしれないが、人々が放射線に対する過剰な恐怖心から解かれれば、冷静に検討できるだろう。原発の官民癒着を断ち、自由なイノベーションを可能にすることは、そのための第一歩だ。

<参考資料>
  • 水野倫之・山崎淑行『徹底解説 エネルギー危機と原発回帰』NHK出版新書、2023年
  • 福島原発事故独立検証委員会『調査・検証報告書』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012年
  • 吉野実『「廃炉」という幻想 福島第一原発、本当の物語』光文社新書、2022年
  • 服部禎男『遺言 私が見た原子力と放射能の真実』かざひの文庫、2017年

2023-09-09

恐怖の政治利用とそのツケ

放射線に対する過剰な恐怖心は、どこから生じたのだろう。目に見えないものを恐れる人間の本能が基底にあるのは間違いないが、それをあおったのは、反原発の野党勢力、メディア、そして政府自身である。

Low dose radiation has lethal side effects

東京電力福島第一原子力発電所が処理水の海洋放出を始めた8月24日、社民党党首の福島みずほ参院議員は「#汚染水を海に流すな」というタグを付け、「政府と東電は福島原発事故を引き起こし大量の放射性物質を拡散し、今度は故意に放射性物質を放出しようとしている」とツイートした。

政府・東電に福島原発事故の責任があるのは確かだし、事故によって大量の放射性物質が拡散されたのも事実だ。しかし、そのように大量の放射性物質が拡散されたにもかかわらず、前回述べたように、原発事故による直接の死者は確認されていない。福島県民に被曝の影響によるがんの増加は報告されておらず、今後も放射線による健康影響が確認される可能性は低いとみられている。

1986年4月に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発の事故は、発生して5日間も国内で隠され、ヨウ素剤を飲むなどの被曝対策に重大な遅れが出た。一方、福島の事故では、政府が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報を当初知らせなかったなどの問題はあったが、国民は事故の経過を注視でき、食品の放射能監視体制も早い段階から整備された(児玉一八『身近にあふれる「放射線」が3時間でわかる本』)。

この事実は、原発事故で放射性物質が飛んできても、正しい情報に基づき適切に対処すれば、健康被害を最小限に抑えられる可能性があることを示している。それにもかかわらず、福島原発事故が「大量の放射性物質を拡散」した点だけを強調し、今また海洋放出で「故意に放射性物質を放出しようとしている」と政府を非難する福島党首のレトリックは、放射性物質に対する一般市民の恐怖心を過剰にあおるものだ。

野党は政府を批判するのが仕事だし、的を射た批判であれば有権者のリテラシー向上に役立つ。しかし十分な科学的根拠もなく、放射性物質や原発そのものに対する恐怖心をやみくもにあおれば、人々を惑わせ、不合理な行動に駆り立てるだけだ。被災者に対する差別やいじめにもつながりかねない。

メディアは不安をさらにあおった。朝日新聞出版の雑誌「アエラ」は、福島原発事故発生直後の2011年3月19日発売号の表紙に、「放射能がくる」の特集タイトルとともに防護マスクの写真を大きく掲載し、批判を浴びた。東京新聞は同年6月16日付の紙面で、「子に体調異変じわり」の見出しで、福島県内で大量の鼻血や下痢、倦怠感など子供の健康被害を不安視する声が上がっていると報じたが、記事自身が認めるように、体調不良と放射線の関係にはわからないことが多い。そうだとすれば、見出しや記事のトーンはバランスを欠いている。

中国政府や韓国市民らが処理水放出を強く批判するのも、歴史認識問題などを背景とした日本政府への根強い不信に加え、原発への恐怖心をあおる日本メディアの報道が少なからず影響していると思われる。

一方、科学的合理性の疑わしい判断を行なってきた点では、政府も罪を免れない。前回述べたように、避難指示解除要件として低すぎる疑いのある被曝線量を設定することで、避難住民の帰還を妨げ、ストレスによる震災関連死を多数招いている。原発事故そのものの健康被害よりも深刻な人権侵害だ。しかも政府を批判するべき野党やメディア自身が放射性物質に対する過剰な恐怖心を振りまき、いわば政府と共犯になって、住民が平穏な日常に戻ることを妨げている。

思い出すのは、新型コロナウイルスの流行に対する過剰な反応だ。インフルエンザなどと同様に適切に対処すれば治る風邪の一種におびえ、政府や自治体が外出・営業自粛を事実上強制し、学校を閉鎖し、自殺の増加を招いた。安全性チェックの不十分なワクチンの接種を推奨し、接種直後だけでも副作用とみられる死亡者が相次ぎ、推進派の日本医師会ですら「副反応強く出た人は慎重に」と呼びかける事態に至った。野党もメディアも政府の暴走に歯止めをかけるどころか、むしろあおり立てた。原発とほとんど同じ構図だ。

人間は恐怖に弱い。だから政府を含む政治勢力は恐怖心を安易に利用し、それが及ぼす悪影響を無視する。政府は、原発処理水が安全だということを人々がわかってくれないと嘆くが、それはこれまで政府自身が都合次第で恐怖心をあおり、人々の合理的な判断力を奪ってきたツケなのである。(この項つづく

<参考資料>
  • 児玉一八『身近にあふれる「放射線」が3時間でわかる本』明日香出版社、2020年

2023-09-06

ゼロリスク思考が招く悲劇

東日本大震災は発生から12年を迎えた2023年3月11日の時点で、確認された死者と行方不明者が2万2212人に上る。大半が地震と津波の犠牲者だ。一方で、英BBCが伝えるように、原発事故による直接の死者は確認されていない。東京電力福島第一原発で水素爆発が起こった際には少なくとも16人が負傷したが、死者は出なかった。
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また、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は2021年3月に発表した報告で、これまで福島県民に被曝の影響によるがんの増加は報告されておらず、今後も放射線による健康影響が確認される可能性は低いと評価した。

これに対し、確認された死者には3789人の「震災関連死」が含まれる。震災関連死とは、震災と原発事故に伴う長引く避難生活やたび重なる引っ越し、大きな生活環境の変化などで、病気が悪化したり体調を崩したりして死亡したケースを指す。

原発事故をめぐり、東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷の罪で起訴された裁判でも、問われたのは事故そのものによる死亡ではなく、福島県の入院患者など44人が避難の過程で死亡したことへの責任だった。

これらの事実をみる限り、福島第一原発事故の影響のうち、より深刻なのは、爆発や被曝による直接の被害よりも、避難生活に伴う震災関連死だといえる。そして長引く避難生活の背景には、放射線に関する過剰な安全の要求がある。

事故を受け、政府は原発隣接地域での居住を制限。原発から放射性物質の放出が増すにつれ、制限区域を拡大した。その結果、一時は15万人以上が避難生活を強いられた。今でも福島県民を中心に3万人以上が避難生活を送り、多くの人が震災時に居住していた場所へ戻れない状態が続いている。

政府が定めた避難指示解除要件の一つに「被曝線量が年間20ミリシーベルト以下に低下」がある。「20ミリシーベルト」の根拠とされたのが国際放射線防護委員会(ICRP)による勧告だ。

ICRPは、福島民報が伝えるように、福島第一原発事故のような原子力災害が発生した際、「緊急事態時」には被曝の限度を年間100ミリシーベルトから同20ミリシーベルトの範囲でなるべく低い線量にするように求め、事故収束後の「復旧時」は年間20ミリシーベルトから徐々に平常時の被曝の限度1ミリシーベルトに戻すよう勧告している。

ところが、このICRPの基準自体に、異議が唱えられている。

放射線で体に障害が起こるのは、体を作っている細胞が傷つけられるからだ。しかし体には、傷ついた細胞を数時間で修復する機能があることがわかってきた。研究の進展を受け、UNSCEARは1994年の報告書で、ICRP勧告のリスク推定値は誇張されていた可能性があると指摘した(舘野之男『放射線と健康』)。

そもそも人間の細胞が数時間で修復するのであれば、ICRPや日本政府の基準のように、年間にどれくらい放射線を浴びたかを気にするのは意味がない。気にしなければならないのは、1時間にどれくらい浴びたかということだ。

これについて1998年、フランスの医学研究者モーリス・チュビアーナ氏は、自然放射線の10万倍にあたる毎時10ミリシーベルトまでなら、どんなに細胞を傷つけても完全に修復させてしまうとの研究結果を発表した。福島第一原発事故では一時的な被曝で最大でも毎時1ミリシーベルト程度だった(服部禎男『「放射能は怖い」のウソ』)。

福島県内の放射線量は現在、震災直後に比べ大幅に減少し、世界の主要都市や国内の都市と同程度まで低減している。その一方で、多数の人々が長引く避難生活で震災関連死に追い込まれるのは、政府、メディア、住民自身の行き過ぎた安全志向が招いた悲劇だとしかいいようがない。(この項つづく

<参考資料>
  • 舘野之男『放射線と健康』岩波新書、2001年
  • 服部禎男『「放射能は怖い」のウソ いちばん簡単な放射線とDNAの話』かざひの文庫、2014年

2023-09-03

原発、処理水より危険なもの

8月24日に始まった、東京電力福島第一原子力発電所の処理水の海洋放出が議論を呼んでいる。私は当初、原発利権にまみれた政府・東電の言うことなど信用できないと思い、よく調べもせずに、処理水は危険をはらむという趣旨の発言をソーシャルメディアのX(旧ツイッター)で行った。
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しかしその後、事実を確かめるうちに、遅ればせながら、話はそう単純ではないとわかった。曲がりなりにもジャーナリストを名乗る者としてお恥ずかしい限りだ。ここで認識を改め、そのうえで別の観点から日本の原発に対する問題意識を述べておきたい。

放出反対派によれば、メルトダウン(炉心融解)を起こした福島第一原発から放出される処理水は、通常に運転する原発のものとはまったく異なる。処理する前の汚染水が、デブリと呼ばれる溶け固まった核燃料に触れているからだという。

たとえば、社会学者の宮台真司氏はラジオ番組で、「日本の汚染水はデブリに触れているんですね。トリチウム以外に様々な核種が含まれているので、まったく同列に論じることはできない」と述べる

しかし、これはおかしい。日本経済新聞の記事にあるように、東電は多核種除去設備(ALPS)などを使い、汚染水に含まれる放射性物質を国の規制基準以下にまで取り除いている。こうした処理を施した後の水を政府・東電は「処理水」と呼ぶ(反対派の多くが処理後の水も「汚染水」と呼ぶのは、議論を混乱させる)。

ただし処理水には、現在の技術では除去できないトリチウムが残る。そこで東電は処理水を大量の海水で薄め、トリチウムの濃度を国の安全基準の40分の1未満に下げて海に放出する。トリチウム以外の核種の濃度はさらに薄まることになる(日経の別の記事で「汚染水から大半の放射性物質を取り除いた水を処理水という」とあるのは、あたかも大半の放射性物質がゼロになるかのような誤解を与える。「国の規制基準以下にまで取り除いた」とするべきだろう)。

これに対し反対派は、「濃度を薄めただけ。投棄される放射性物質の総量は変わらない」と批判する。この言い分には無理がある。国内の化学工場で発生するカドミウムや水銀などの有害物質も、一定の濃度以下なら排水で投棄が許容されている。総量をゼロにしろといわれたら、工場がストップしてしまうだろう。しかも放射性物質は化学物質と違い、時間とともに放射能を失い毒性が弱まる。

ここを突かれると反対派は、「生物濃縮」を問題にする。映画評論家の町山智浩氏は、水俣病を例に出し、「有害物質は安全な濃さまで薄めると、短期的には影響はないが、魚は食物連鎖などで長い間かけて有害物質を生体濃縮する、さらに人はそれを長い間ずっと食べ続けることで影響が出る」とツイートした。

生物濃縮が起こりうるのは事実だ。東京大学大気海洋研究所の永田俊教授は「放射性セシウム(半減期30年)では、小型魚において、餌に対して2倍程度の濃縮が起こるという報告がある」と述べる。ただ一方で、「大型魚や海産哺乳類など食物連鎖の上位の生物で濃縮が起こるかどうかはよく分かっていない」という。

生物濃縮がどのように起こるか、あるいは起こらないかについて、研究が進めばそれに越したことはない。しかし食用による人体への害を防ぐには、獲れた魚を検査すれば、それで済む。

放射線は目に見えないので怖く感じるけれども、検出器を使えば非常に高い感度でとらえることができる。微量の化学薬品の検出に日々苦労している食品検査の専門家にいわせれば、放射線ほど検出しやすく、よく「みえる」ものはないという(鳥居寛之他『放射線を科学的に理解する』)。

原発の安全神話という嘘をついてきた政府・東電による処理や検査は信用できないという意見はあるだろう。それはもっともだが、処理水そのものの安全性とは別の問題だ。放射線に関する過剰な安全の要求は、海洋放出よりも深刻な危険をもたらしかねない。いや、すでにもたらしている。(この項つづく

<参考資料>
  • 鳥居寛之他『放射線を科学的に理解する——基礎からわかる東大教養の講義』丸善出版、2012年