2023-09-27

国債は倫理に反する

国債という制度の問題点は、日銀が財政ファイナンス(財政赤字の穴埋め)を行っている事実がわかりにくくなること以外にも、まだある。それは、倫理に反するということだ。


そもそも国債とは、国(政府)が発行する債券(投資家から資金を借り入れるために発行する有価証券)で、国が資金調達する手段の一つだ。投資家は国債を購入することで、国が設定した金利を半年に1回受け取れる。そして満期になると、投資した元本が償還される。

債券には国債以外にも様々な種類があり、企業が資金調達を目的として発行する債券を社債と呼ぶ。

さて、国債と社債には大きな違いが一つある。企業は社債の元利払い(元本と利息の支払い)に、売り上げの一部を充てる。売り上げは企業が製品・サービスを提供し、顧客に自発的に購入してもらうことによって稼いだものだ。

一方、政府は国債の元利払いに、税金(インフレ税を含む)の一部を充てる。税金は、企業が自発的な取引を通じて得たお金と違い、政府の権力を利用して市民から一方的に奪ったものだ。

インフレ税については説明が必要だろう。政府は日銀を通じて円を発行する特権を持っているから、円を大量に発行して国債の元利払いに充てればよい。ただし、お金を大量に発行すれば、他の条件が同じなら物価は上昇する。これは市民の保有するお金の価値が、実質目減りすることを意味する。同じ額のお金で買える物が少なくなってしまうからだ。市民からみれば、インフレ(通貨価値の希薄化)によって、税金を取られたのと実質同じことになる。だからインフレ税と呼ぶ。

インフレ税は、政府が円を発行する特権を持っているからこそ可能になる。市民の側がどれだけ拒絶しようと、日銀が円を発行すれば、いやおうなしに実質課税されてしまう。政府が無理やり税金を取り立てるのと変わりない。いや、それより悪質だ。普通の税金は刑務所に入る覚悟をすれば支払いを拒否できるが、インフレ税は日銀が円を発行しただけで課される。

要するに、社債は自発的に集まったお金で元利払いを行うのに対し、国債は強制的に取り上げたお金で行う。これは大きな違いだ。考えてもみてほしい。もしある企業が、従業員の給与から問答無用で取り立てたお金を社債の元利払いに充てたら、囂々たる非難を浴びるばかりか、違法行為で訴えられるだろう。

ところが国債の場合、市民から強制的に取り立てたお金を元利払いに充てるのはもちろん合法だし、世間で「ブラックだ」と非難を浴びることもない。

国債が合法だからといって、倫理的に正しい「ホワイト」だとは限らない。かりに今現在の日本国民が、民主主義で決まったことには従うといって、国債の発行に同意したとしても、元利払いの義務を遠い将来の日本人に背負わせるのは、無理がある。

国債の期間は2年、5年、10年、20年、30年、40年など様々だ。2年、5年など比較的短いものはともかく、10年、20年、30年、40年も先となると、今選挙権を持たないどころか、生まれてさえいない人にまで、元利払いの義務を押しつけることになりかねない。まして最近話題の永久国債は、永遠の未来(そのときまで日本が存続していればだが)の日本国民に利払いの負担を課す。これらは、民主主義の原則である「代表なければ課税なし」に反するだけでなく、身に覚えのない借金を押しつけるという倫理上の問題をはらむ。

経済学者ミーゼスは、借り換えを繰り返して事実上の永久国債となっている長期国債を含め、「いつまでも金を貸し借りし、永久にわたる契約を結び、未来永劫にわたる約定をするとは、何と思い上がった厚かましさではないか」と批判する。そのうえで「早晩、これらの負債は、何らかの方法ですべて清算されることは明らかであるが、それが契約どおりの元利払いでないことは確かである」と述べる(『ヒューマン・アクション』)。

「契約どおりの元利払い」以外の方法とは、政府が通貨の濫造でお金の価値を下げ、借金を事実上、一部または全部踏み倒すということだ。国債とはとことん、反倫理的な制度である。

<参考資料>
  • The 100-Year Bond is Unethical | Mises Wire [LINK]
  • What Mises Would Say About Austria's New 70-year Bond | Mises Wire [LINK]
  • Ludwig von Mises, Human Action: A Treatise on Economics, Ludwig von Mises Institute, [1949] 2009.(ミーゼス『ヒューマン・アクション』村田稔雄訳、春秋社、2008年)

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