2024年度予算編成に向けた各省庁の概算要求が出そろった。一般会計の総額は114兆円規模と過去最大を更新する。新型コロナウイルス騒動に伴う家計や企業への多額の支援が一巡したにもかかわらず、要求総額の増加は止まらない。タガが外れたとはこのことだ。
日本経済新聞が指摘するように、新型コロナへの対応が始まった20年度から22年度にかけて一般会計の税収は増え続けたものの、政府はそれを上回る数十兆円規模の補正予算を編成してきた。支出と税収の差は大きく開いたままで、穴を埋める財源は主に国債だ。税の穴埋めに発行する国債を赤字国債といい、建前上は禁止されている。
ところで、そもそも政府にはどのような財源があるのだろう。民間の企業や家庭とは異なり、政府は支出をまかなうために魅力あるサービスを市場で売り、それを自発的に買ってもらうわけではない。財源の多くは強制的な課税によって得ている。
しかし、政府の財源はそれだけではない。課税(T)に加え、国債などの借り入れ(D)、貨幣(お金)の発行(M)——の計3種類がある。政府支出(G)はこれら3つの資金源の合計に等しい。数式にすれば、こうだ。
G=T+D+M
課税は最も単純な政府資金源である。政府は所得、取引、財産所有、財産売却、死亡など思いつく限りの対象から税金をむしり取る。税収を使い果たしたら政府の支出も止まるのであれば話は終わりだが、そうはならない。
日本や米国の政府は税収よりも支出が多い。支出が税収を上回ることを財政赤字という。つまり、財政赤字とは政府支出と税収の差、G-Tのことである。上の式を変形して、財政赤字を次のように表すことができる。
G-T=D+M
この新しい式は、政府の赤字は税以外の収入源、つまり借り入れとお金の発行によってまかなわなければならないことを示している。
もし借り入れとお金の発行を無限に大きくできるのであれば、財政赤字がどんなに大きくなろうと心配はない。いくらでも税収以上に使える。机上の理論ではそう思えるかもしれない。しかし、現実には無理だ。
まず国債発行による借り入れだが、国債は投資家に自発的に買ってもらわなければならないから、他の金融商品に負けない条件を示さなければならない。最も重要な条件は金利だ。国債は安全性の高さという強みがあるし、外債のような為替リスクもないが、それでも金利が低すぎれば買ってもらえなくなる。世間で金利が上昇すれば、それに合わせて金利を引き上げざるをえない。国債の信用度が落ち、格付けが下がると、さらに高い金利を求められる。
国債の金利引き上げが続くと、利払いがかさんで、発行額を増やしても手元に残るお金は次第に少なくなり、極端なケースではゼロになる。そこまでいかなくても、財源として借り入れに頼るのは次第に難しくなる。
そこで最後の手段、お金の発行の登場だ。実際には、中央銀行が生み出したお金で、国債を事実上買い取る。「中央銀行はお金を無限に生み出せるので、無限の財源になる」と信じている人がいるが、これも経済の現実を無視した空論にすぎない。お金の増発は永遠には続けられない。
中央銀行が世の中にあるお金の量を増やせば、その分、お金の価値は薄まる。生産活動が活発なら、その影響は目に見えないが、お金の増えるペースが生産活動を上回ると、物価高という形で見えるようになる。物価上昇が収入の増加ペースを上回ると、人々の生活が苦しくなる。
それだけではない。お金の価値が失われるから、貯蓄の価値がなくなり、人々はお金が価値を失う前に物を買おうとし、将来への投資が減る。これは生産力の低下につながり、社会を貧しくする。「日本は先進国だから大丈夫」という人がいるけれども、生産力が衰えれば、先進国ではいられない。
結局いつかは、課税、借り入れ、お金の発行のどれにも頼れなくなるときが来る。そうなると、嫌でも支出を減らさざるをえない。そのときが遅ければ遅いほど、立ち直るための痛みは大きくなる。
<参考資料>
- What Happens If the Government Outspends Its Ability to Pay? - Foundation for Economic Education [LINK]
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