放射線に対する過剰な恐怖心は、どこから生じたのだろう。目に見えないものを恐れる人間の本能が基底にあるのは間違いないが、それをあおったのは、反原発の野党勢力、メディア、そして政府自身である。
東京電力福島第一原子力発電所が処理水の海洋放出を始めた8月24日、社民党党首の福島みずほ参院議員は「#汚染水を海に流すな」というタグを付け、「政府と東電は福島原発事故を引き起こし大量の放射性物質を拡散し、今度は故意に放射性物質を放出しようとしている」とツイートした。
政府・東電に福島原発事故の責任があるのは確かだし、事故によって大量の放射性物質が拡散されたのも事実だ。しかし、そのように大量の放射性物質が拡散されたにもかかわらず、前回述べたように、原発事故による直接の死者は確認されていない。福島県民に被曝の影響によるがんの増加は報告されておらず、今後も放射線による健康影響が確認される可能性は低いとみられている。
1986年4月に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発の事故は、発生して5日間も国内で隠され、ヨウ素剤を飲むなどの被曝対策に重大な遅れが出た。一方、福島の事故では、政府が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報を当初知らせなかったなどの問題はあったが、国民は事故の経過を注視でき、食品の放射能監視体制も早い段階から整備された(児玉一八『身近にあふれる「放射線」が3時間でわかる本』)。
この事実は、原発事故で放射性物質が飛んできても、正しい情報に基づき適切に対処すれば、健康被害を最小限に抑えられる可能性があることを示している。それにもかかわらず、福島原発事故が「大量の放射性物質を拡散」した点だけを強調し、今また海洋放出で「故意に放射性物質を放出しようとしている」と政府を非難する福島党首のレトリックは、放射性物質に対する一般市民の恐怖心を過剰にあおるものだ。
野党は政府を批判するのが仕事だし、的を射た批判であれば有権者のリテラシー向上に役立つ。しかし十分な科学的根拠もなく、放射性物質や原発そのものに対する恐怖心をやみくもにあおれば、人々を惑わせ、不合理な行動に駆り立てるだけだ。被災者に対する差別やいじめにもつながりかねない。
メディアは不安をさらにあおった。朝日新聞出版の雑誌「アエラ」は、福島原発事故発生直後の2011年3月19日発売号の表紙に、「放射能がくる」の特集タイトルとともに防護マスクの写真を大きく掲載し、批判を浴びた。東京新聞は同年6月16日付の紙面で、「子に体調異変じわり」の見出しで、福島県内で大量の鼻血や下痢、倦怠感など子供の健康被害を不安視する声が上がっていると報じたが、記事自身が認めるように、体調不良と放射線の関係にはわからないことが多い。そうだとすれば、見出しや記事のトーンはバランスを欠いている。
中国政府や韓国市民らが処理水放出を強く批判するのも、歴史認識問題などを背景とした日本政府への根強い不信に加え、原発への恐怖心をあおる日本メディアの報道が少なからず影響していると思われる。
一方、科学的合理性の疑わしい判断を行なってきた点では、政府も罪を免れない。前回述べたように、避難指示解除要件として低すぎる疑いのある被曝線量を設定することで、避難住民の帰還を妨げ、ストレスによる震災関連死を多数招いている。原発事故そのものの健康被害よりも深刻な人権侵害だ。しかも政府を批判するべき野党やメディア自身が放射性物質に対する過剰な恐怖心を振りまき、いわば政府と共犯になって、住民が平穏な日常に戻ることを妨げている。
思い出すのは、新型コロナウイルスの流行に対する過剰な反応だ。インフルエンザなどと同様に適切に対処すれば治る風邪の一種におびえ、政府や自治体が外出・営業自粛を事実上強制し、学校を閉鎖し、自殺の増加を招いた。安全性チェックの不十分なワクチンの接種を推奨し、接種直後だけでも副作用とみられる死亡者が相次ぎ、推進派の日本医師会ですら「副反応強く出た人は慎重に」と呼びかける事態に至った。野党もメディアも政府の暴走に歯止めをかけるどころか、むしろあおり立てた。原発とほとんど同じ構図だ。
人間は恐怖に弱い。だから政府を含む政治勢力は恐怖心を安易に利用し、それが及ぼす悪影響を無視する。政府は、原発処理水が安全だということを人々がわかってくれないと嘆くが、それはこれまで政府自身が都合次第で恐怖心をあおり、人々の合理的な判断力を奪ってきたツケなのである。(この項つづく)
<参考資料>
- 児玉一八『身近にあふれる「放射線」が3時間でわかる本』明日香出版社、2020年
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