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2026-07-13

イラン民族の誇り

古代に繁栄をきわめたイラン系王朝、ササン朝の運命を大きく変えたのは、7世紀に勢いを増してきたイスラム勢力の登場だった。イスラム教は、メッカの隊商を率いる名門出身のムハンマドがアラビア半島で始めた宗教である。その「平等と統一」という教えは、厳しい階級社会だったササン朝のもとで暮らす多くのイラン人の心を、またたく間にとらえていった。

物語 イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜 (中公新書)

もともとムハンマドは、部族社会の格差や不平等に心を痛めていたといわれ、イスラム教には社会をより良くしようとする改革運動のような一面もあった。そのため、アラブ側がイランの人々に対して、力ずくで改宗を迫るような動きはそれほど見られなかった。

また、イランの人々がイスラムを受け入れた背景には、異教徒に課せられていた税(ジズヤ)を払わずに済むことや、イスラム帝国という新しい仕組みの中で、より高い地位を目指したいという現実的な願いもあったようだ。

イランの人々には、かつて大帝国を築き上げた民族としての強い自負がある。それと同時に、周辺の民族に対する優越感も、歴史の中で育まれていった。こうしたプライドが、イラン独自の文化を守り抜く背景となったのである。彼らが自分たちを他民族とはっきり区別し、時には見下ろすような姿勢をとるのは、ゾロアスター教以来の伝統も影響しているのだろう。自分たちを「光」や「善」の文明とする一方で、異民族を「闇」や「野蛮」とさえ呼ぶようになった。こうした自負があったからこそ、アラブに征服された後も、独自の文化を失わずに発展させることができたのである。

古代から高度な文明を誇ってきたイラン人からすれば、アラブ人は無知な砂漠の遊牧民(ベドウィン)であり、文明的な暮らしとはかけ離れた、粗野な人々に映ったに違いない。すでに確固たる文化を持っていたイラン人は、アラブやトルコ、さらにはモンゴルに征服されても自分たちのスタイルを貫き、むしろ支配者側である彼らに文化的な影響を与えていった。こうした「自分たちの文化こそが優れている」という意識は、彼らがイスラム教の中でも少数派のシーア派を信じ続ける理由の一つとなり、その独自の教えを深めることにもつながった。

637年、アラブ人のイスラム教徒の軍隊にカディシーヤの戦いで敗れたことをきっかけにササン朝は滅び、ウマイヤ朝による支配が始まる。この時代に現代ペルシャ語の原型ができていたが、アラブの支配下でアラビア語の言葉が入り込むようになった。文字についても、それまでのパフラビー文字に代わって、アラビア文字が使われるようになる。しかし、言葉や政治がアラブの影響を強く受けても、イランの人々が自分たちの文化的な根っこを失うことはなかった。

その後、ウマイヤ朝に代わってアッバース朝が帝国を治めるようになるが、ここでもイランの人々が大きな役割を果たした。帝国の首都はダマスカス(現シリア・アラブ共和国の首都)からバグダッド(現イラク共和国の首都)へと移された。バグダッドはかつてのササン朝の都クテシフォンの近くにあり、この「東への遷都」自体が、イラン人の実力を象徴するものだった。アッバース朝の政治や役人の組織は、ほとんどイラン人に頼っており、大臣(ワズィール)が取り仕切る仕組みや財政の制度も、ササン朝のモデルをそのまま引き継いだものだった。イランの名門バルマク家が政治の土台を築き、一族から大宰相を出すほどの権力を振るったのである。

しかし、アッバース朝の力も、各地でイラン系の王朝が立ち上がるにつれて少しずつ弱まっていった。ターヒル朝、サッファール朝、サーマーン朝といった王朝が生まれ、その後に続くトルコ系のガズナ朝やセルジューク朝などの時代でも、イラン文化はいっそう熟成していった。トルコ系の支配者たちは、イランの伝統的な社会を壊すよりも、そこから富を得ることを選んだのである。今私たちが目にするペルシャ語も、この時期に詩や文学の言葉として花開いた。

なかでも、イラン文化を復活させたサーマーン朝の功績は絶大だ。中央アジアからイラン東部を治めたこの王朝は、都ブハラを中心に文化を保護し、イスラム王朝として初めてペルシャ語を公の言葉として採用した。今も残る「イスマイル・サマニ廟」は、当時の輝きを伝えている。サーマーン朝は人々に平和をもたらし、古い制度や文化を奨励することで、イラン人としての誇りを呼び覚ました。ここで確立された文化は、モンゴルの襲来を受けても揺らぐことなく、その後も力強く生き続けることになる。

イランの人々は、アラブの征服を受け、イスラム教へと改宗していった。しかし、「自分たちの誇るべき過去を記憶から消し去ることは決してできなかった」(宮田律『物語 イランの歴史』)のである。かつての栄光を懐かしむ気持ちは、イラン人が自分たちの歴史を書き残し、守り続ける大きな原動力となった。外からの攻撃に対して彼らが見せる、決して折れない抵抗力の秘密は、まさにこの歴史への誇りにあると言えるだろう。

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