新型コロナウイルスの感染拡大を受けた巣ごもり生活をきっかけに、動画配信で韓国ドラマの視聴が大きく伸びたのは記憶に新しい。ネットフリックスの配信で話題を集めた代表作の一つ、『愛の不時着』は配信開始から2年たった今も、人気上位を保っている。
韓国の財閥令嬢がパラグライダー事故で北朝鮮に不時着し、出会った軍の将校と恋に落ちる。設定こそ荒唐無稽だが、人間同士が政治的な分断を超えて心を通わせるという普遍的なテーマが訴えかける。
ドラマに経済の貴重なヒント:北朝鮮と市場経済
このドラマの見どころの一つは、ふだんニュースなどで目にすることのない、北朝鮮の庶民の日常だ。もちろんフィクションだから演出もあるだろうが、制作陣は韓国に逃れた多くの脱北者に話を聞き、生活をかなりリアルに再現したという。そこで経済に関する貴重なヒントを読み取ることができる。
そのヒントは「ヤミ市」だ。ドラマで北朝鮮の市場は、軍将校ジョンヒョク(ヒョンビン)が財閥令嬢セリ(ソン・イェジン)のために香りのするろうそくを探す場面をはじめ、何度も描かれる。商人は店先に並べた品物とは別に、「南の町」から届いた化粧品やシャンプー、おしゃれな下着などを隠していて、こっそり販売する。南の町とは、国家分断のため貿易を制限されている韓国を意味する。
列車が停電のため立ち往生すると、飲食物などの商品を背負った人々が一斉に駆け寄り、乗客に売って回る。あれも一種のヤミ市だろう。ジョンヒョクは毛布を買い求め、寒い野外でたき火にあたるセリに優しくかけてやる。ドラマには美しいウェディングドレスをヤミで売る店も登場する。
北朝鮮は社会主義体制や経済制裁の影響で国民の多くが貧困に苦しむものの、最近は不幸中の幸いで、多数の餓死者が出ているとの情報はない。それはヤミ市が命綱の役割を果たしているからとみられる。
北朝鮮では政府があらゆる経済活動を統制するのが建前だ。しかし1990年代後半に飢饉が起こり、政府が国民に十分な食糧を供給できなくなると、国中で「チャンマダン」と呼ばれるヤミ市が広がり始めた。2003年には「総合市場」として公認されるまでになった。そして現在の金正恩総書記は市場経済の要素を一部受け入れ、チャンマダンを積極的に活用しているとされる。
今では北朝鮮全域にある公認のチャンマダンは480カ所余りに達し、人々の生活に欠かせない存在となっている。ある脱北者の証言によれば、北朝鮮の市場には「韓国のコチュジャンだって売っていますし、韓国製の服も普及しています。自分の欲しいものすべての需要を満たしてくれる場所、それがチャンマダンです」という(KBS〈だれが北朝鮮を動かしているのか〉制作班ほか『北朝鮮 おどろきの大転換』)。
経済統制をかいくぐるヤミ市というかたちで自然発生した市場経済が、規制緩和を機に表舞台でその実力を存分に発揮しようとしているようだ。
日本の高度成長の土台はヤミ市
じつはこれと似た光景が、かつて私たちの身近にもあった。第二次世界大戦の終戦直後、混乱期の日本だ。
当時、全国各地に膨大な数のヤミ市が発生した。個人所有の物品、地方の農家・漁師と直接取引した食料、軍部・官公庁に隠匿・退蔵されていた物資の放出、占領軍物資の横流しなど多様なルートで仕入れた品々を取引するため、駅前や焼け跡など広場があり、人が集まる場所ならどこでも市場が開かれた。最初のものは東京・新宿駅前の「尾津組マーケット」で、終戦5日後の1945年8月20日には開始されたといわれる。
当初は地べたに板一枚、風呂敷一枚敷いての売買で、現代のフリーマーケット(フリマ)に近い青空市場だった。やがて戦前から一家を構える伝統的な露天商(テキヤ)が管理者となり、空き地に柱を立て屋根をかけ、仮設店舗を作る。
土地の権利を無視して作られたものも少なくなかったが、行政や警察の取り締まりが追いつかず、ヤミ市は拡大の一途をたどった。行政や警察はヤミ取引の横行を一部黙認しつつ、都内最大の露天商組織である「東京露天商同業組合」への指導を通じて市場の健全化、秩序維持を優先する方針に舵を切る。
1947年以降、生産流通が徐々に回復し、生活物資の統制解除が始まって、日本は緩やかに復興へ向かっていった。この頃を境としてヤミ市の時代は終焉を迎える(藤木TDC『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』)。
東京で戦後、ヤミ市がとくに栄えたのは、郊外へ鉄道でつながる新宿、渋谷、池袋などだ。トラック輸送などが発達していなかった当時、鉄道を利用し、人力によって担ぎ入れるのが、ヤミ物資を供給する基本的な方法だった。
その際、統制を受け自由な売買を禁じられている禁制品、とくに主食の米、麦、芋や生鮮食料品を産地から運び込むには、鉄道を経由し、下車してすぐ大きい直接取引ができる場所がよい。没収されたり検挙されたりする危険が少なく、決済が容易で、しかも早いからだ。
ヤミ市は戦禍に苦しむ多くの人々を救った。ヤミ市の初期、生活の糧を求めて敗戦直後の駅前で店を出した人のほとんどは、プロの露店商人ではなかった。戦時中に軍需産業への転換を強いられた中小商業者、軍需工場の閉鎖による失業者、海外からの引き揚げ者、戦死者の遺族、朝鮮半島をはじめとする旧植民地の人々などだ(松平誠『東京のヤミ市』)。
救われたのは、ヤミ市で食料などを購入する人も同じだ。当時、政府による食料の配給は一カ月も遅配しており、配給だけで暮らせというのは餓死せよというのに等しい。実際、山口良忠という裁判官がヤミ市で売られる米を拒否し、栄養失調で餓死している。ヤミ市はたとえ違法でも、人々が命をつなぐには欠かせない存在だった。
社会学者の松平誠氏は著書で「ヤミ市は、都市としての機能をすべて失った日本の都市の中で、それでも都市の人びとの生活と欲求とが必然的に生み出したエネルギッシュな存在だった」と指摘する。
1949年に連合国軍総司令部(GHQ)が発した露店撤去命令をきっかけに、ヤミ市はわずか数年でほとんどが消滅する。しかしヤミ市のあった地域はその後、新しい商業施設や盛り場として発展していった。今、副都心と呼ばれる新宿、渋谷、池袋の繁栄はいずれもヤミ市が基礎となっている。活力あふれるヤミ市は日本の高度経済成長の土台ともいえるだろう。
北朝鮮、豊富な天然資源など大きな潜在能力
北朝鮮のヤミ市も、今後の経済成長の土台になる可能性がある。実際、金正恩総書記は市場経済を取り入れた中国やベトナムをモデルに、 経済強国を目指していると伝えられる。
米著名投資家ジム・ロジャーズ氏は、北朝鮮を投資先として有望視することで知られる。いずれ韓国と統合して門戸が開かれれば、豊富な天然資源、高い教育レベル、低賃金な人材などの大きな潜在能力を発揮して、非常に速い経済成長を遂げるとみる。
韓国との政治統合は国際情勢もからんで簡単ではないだろうが、経済交流だけでも先行して拡大すれば、北朝鮮の経済成長に弾みがつく。それは軍事力に頼った方法より、東アジアの平和にプラスに働くだろう。
『愛の不時着』ではそうした変化が奇跡のように起こることはなく、主人公の男女二人は政治分断のために何度も悲しみや苦労を味わう。けれども、ヤミ市にともった市場経済の火がさらに広がって燃え盛り、政治の壁を崩せば、そうした悲しみを味わわずに済む日も訪れるはずだ。
*QUICK Money World(2022/2/1)に掲載。
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