「経済学は、すべての科学の中で最も歴史が新しい」。経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは主著『ヒューマン・アクション』(1949年)の冒頭でそう述べている。
近代になって、多くの新しい科学が出現したのは事実だ。しかし実際には、古代ギリシャにさかのぼる古い学問体系の中にすでに存在していた知識が、今では独立の学問になっているにすぎない。
リチャード・イリー |
経済学は違う。これまで思いもよらなかった領域を切り拓いた。大昔から人間の心を支配してきた、善と悪、公正と不正、義と不義という視点とは異なった視点から、人間を見ることを教えたのである(もっとも、今でも経済を善と悪、公正と不正といった道義的な視点でみる人は少なくない)。
自然現象が自然法則に支配されているのと同様に、経済現象は経済法則に支配されている。経済を動かすのは人間の行為(ヒューマン・アクション)だから、経済法則は「人間行為の法則」といってもいい。この人間行為の法則を研究するのが、経済学である。
18世紀後半に活躍した英国のアダム・スミスは「古典派経済学の父」として有名だが、「近代経済学の父」となると、1世紀下って、19世紀後半に「限界革命」と呼ばれる学問上の変革を起こしたフランスのレオン・ワルラス、英国のウィリアム・ジェボンズ、オーストリアのカール・メンガーの3人になる。とくにメンガーは、商品の価値はそれを利用する人の心によって決まるという「主観価値説」を築いた貢献が大きい。
ところがほぼ同時期に、早くも経済学の堕落が始まった。この頃死去した社会主義思想家カール・マルクスの影響は別にして、経済学の合理的な発想を蝕む一派があった。ドイツで栄えていた「ドイツ歴史学派」である。
ドイツ歴史学派は、経済現象の歴史性と国民的特殊性を強調し、経済法則の普遍性を否定するところに特徴がある。要するに、経済のあり方は国によって様々で、万国共通の経済法則(今でいう「グローバルスタンダード」)など存在しない、という立場だ。だからたとえば、近代経済学が説く自由貿易のメリットを認めず、保護貿易を主張する。人類普遍の経済法則の存在を前提とする近代経済学とは、まさに水と油である。
政府による経済介入を批判する近代経済学に対し、歴史学派はむしろ介入や規制を肯定した。歴史学派の領袖でベルリン大学教授を務めたグスタフ・シュモラーは、同大学における自分と同僚の主な仕事は「ホーエンツォレルン家(ドイツ皇帝)の知的ボディーガード」を形成することだと、誇らしげに宣言した。
当時ドイツは文化面でも発展目覚ましい先進国であり、経済大国として台頭しつつあった米国から多くの学生が留学した。その一人がリチャード・イリーだ。今も続く米経済学会の最重要組織、アメリカ経済学会(AEA)の創設者の一人である。
イリーはニューヨーク州の古いピューリタン(清教徒)の家系に生まれた。コロンビア大学卒業後、ドイツ留学で歴史学派に学び、帰国後、ジョンズ・ホプキンス大学やウィスコンシン大学で教鞭をとった。
1885年、アメリカ経済学会を設立する。伝統的な自由放任主義の経済学者たちに対抗し、経済学の専門家を国家主義に従わせるのが狙いだった。同学会の設立文書は、その意図をはっきり示している。政府を「その積極的な支援が人間の進歩の条件に欠かせない教育・倫理機関」と称揚する一方、自由放任主義を「政治的には危険で、道徳的には不健全」だと非難した。
米国における最初の経済学会組織がこのような性格のものであったことは、同国におけるその後の経済学の発展に暗い影を落とすことになる。
<参考資料>
- Thomas J. DiLorenzo, The Politically Incorrect Guide to Economics, Regnery Publishing, 2022.
- Economics in Service of the State: The Empiricism of Richard T. Ely | Mises Institute [LINK]
- ミーゼス『ヒューマン・アクション』村田稔雄訳、春秋社、2008年
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