ドナルド・トランプ氏が2024年に再選を果たすかどうか次第だが、米大統領で、1期おいて計2期を務めた人物はこれまでのところ、1人しかいない。グロバー・クリーブランド(任期1885~89年、93~97年)である。
米民主党は、福祉政策に熱心な現在の姿からは想像しにくいけれども、20世紀に入る頃まで、伝統的に経済の自由を重んじ、「小さな政府」路線の政党だった。同党出身のクリーブランドは、その最後の輝きを象徴する大統領といえる。
行政の無駄な支出を抑える姿勢は、大統領になる前から鮮明だった。1882年、ニューヨーク州バッファローの市長に就任すると、「拒否権市長」として知られるようになる。
拒否権は米独特の制度で、議会を通過した法案に対して行政の長がその法案を無効にする権限を指す。大統領の拒否権が有名だが、知事や市長にもある。
クリーブランドはその拒否権を盛んに行使し、市政の最初の半年で100万ドル近くを節約した。7月4日の独立記念日の予算から500ドルを戦没将兵追悼記念日の行事に転用する決議にも拒否権を行使し、1割にあたる額を個人で寄付した。
ニューヨーク州知事を務めた際も同様の態度で臨み、その後、いよいよ大統領として本領を発揮する。大統領としての拒否権の大半は、南北戦争の退役軍人の年金に関するものだった。これには理由がある。
南北戦争に従軍して障害を負った退役軍人や戦死した兵士の扶養家族に年金を支給する一般年金法は、すでに施行されていた。ところが下院議員らは、自分の選挙区の有権者向けに個別の年金を設けることで、歓心を買おうとした。
今かかっている病気が20年前の戦争のせいだとして給付を求めるなど、不正な年金申請も多かった。クリーブランドは拒否権発動にあたり、「逸脱した目的に国の恩恵の流用を許すことが、立派な市民に対する義務だとも親切だとも思わない」と述べた。
さらにクリーブランドは、一般年金法の拡大にも拒否権を発動した。それまでの年金よりも範囲が広く、費用がかかりすぎるという理由からだ。その際、「年金の将来費用に関する見積もりは不確実で信頼性に欠け、常に実際の金額をはるかに下回ることは、経験が証明している」とコメントした。
1887年、クリーブランドは最も有名な拒否権を発動する。当時、干ばつがテキサス州の農家を襲っていた。いくつかの郡の農作物が駄目になった後、議会は同地の農民が種子を購入するために10万ドルを計上した。クリーブランドはこの支出に拒否権を行使し、こう述べた。
「この法案は、博愛心・慈善心を満足させるために公金を使おうとしている。そのような支出は合衆国憲法で認められていないし、国民全体の利益にかかわらない個別災害の救済にまで、連邦政府の権限や義務が及ぶとは考えられない。政府の権限と義務に対する制限を無視する傾向が広がっているが、これには断固抵抗しなければならない。国民が政府を支えるのであって、政府が国民を支えてはならない」
さらにこう続けた。
「個別の災害まで連邦政府が救済すれば、人々が政府の温情を期待するようになり、米国民のたくましい気質を弱めてしまうだろう。また、国民の間に思いやりの気持ちや行動が広がるのを妨げてしまうだろう。そうした気持ちや行動こそが、同胞としての絆を強めるのに」
クリーブランドはこうして、必要な援助は民間の慈善事業や既存の政府事業で行うべきだと主張した。
政府の災害支援といっても、その原資は国民の税金に他ならない。支援が歯止めなく広がれば、その負担はいずれ被災者自身を含む国民の肩にのしかかる。政府に頼らない生き方の大切さを、クリーブランドの言葉は教えている。
<参考資料>
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