伝統的に自由放任主義だった経済学が、政府の介入を求める方向に変質した最大のきっかけは、1929年のニューヨーク株式暴落を発端に襲った世界恐慌(大恐慌)である。
大恐慌が起こった原因は、教科書や新聞・テレビで流布される公式見解によれば、「政府による経済規制が不十分で、資本主義が暴走したため」とされる。だが、それは事実に反する。拙著『教養としての近代経済史』で詳しく述べたように、大恐慌の原因は自由な資本主義ではなく、政府・中央銀行が過剰なマネーを社会にあふれさせたことだった。
しかし米国の経済学者たちは、大恐慌を自分の地位向上にもってこいのチャンスと考えた。大学のさびれた教室で学生相手に授業を繰り返す人生ではなく、省庁の幹部や大統領の顧問になれるかもしれない。おまけに報酬もいい。そのためには、政府にどのような提言をすればよいか。わかりきった話だ。「望まれるアドバイスが、経済を『管理』するために、政府に多くの権力、資金、影響力を与えるといったたぐいのものであることは、天才でなくてもわかる」と、経済学者トーマス・ディロレンゾ氏は皮肉を込めて述べる。
ちょうど大恐慌さなかの1936年、政府に経済介入を求めるのに、格好の口実を与えてくれる本が出版された。英経済学者ジョン・メイナード・ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』である。ケインズはこの本で、不況からの脱出のためには、財政・金融政策を通じた国家の経済への積極的介入が必要であると主張した。これは政府の権力を強化するうえで絶好の「科学的」隠れみのとなった。
ケインズやその弟子たちの創始した「マクロ経済学」はたちまち経済学会を席巻し、それと同時に「市場の失敗」と呼ばれる理論があふれ始めた。大恐慌をはじめ、事実上あらゆる経済問題の原因が経済の自由の多さと、政府の監督・計画の不足にあるという理論だ。現在学会や世間でもてはやされ、ノーベル経済学賞を受賞するような業績はほぼすべて、この「市場の失敗」を声高に主張するものだ。
第二次世界大戦が終わる頃には、米国の経済学会は社会主義を含め、あらゆる種類の介入主義に支配されるようになった。その後数十年間、今に至るまでその状況はほぼ続いている。
日本も大差ない。さすがに1990年代初めに社会主義諸国が崩壊した後は、大学におけるマルクス経済学(マル経)の影響力は衰えたものの、それでも『人新世の「資本論」』といったマルクスを再評価する反資本主義的な書籍がベストセラーになるなど、一般市民の間ではむしろ社会主義の人気が復活する兆しすらある。
近代経済学(近経)の領域でも、米国から直輸入した介入主義の支配が続いている。近代経済学は「市場原理主義」だという悪口をネット上などでよく目にするが、現実をわかっていない。経済学の教科書を開いてみれば、自由放任主義(市場原理主義)を否定し、「市場の失敗」を強調し、政府の介入を説く記述にあふれている。
近代経済学が介入主義に染まった現実を何より雄弁に物語るのは、日本銀行の新たな総裁に、東京大学名誉教授の植田和男氏が経済学者として初めて選ばれた事実である。植田氏の専門の一つは、介入政策を説くマクロ経済学だ。日銀は本来なら市場で決定するべき金利や通貨量を操作し、ときには経営危機に瀕した金融機関を救済する国家組織(中央銀行)である。植田氏も日銀も、どう見ても「市場原理主義」にはほど遠い。
変化の兆しがないわけではない。1970年代にフリードリヒ・ハイエク、ミルトン・フリードマンと介入主義に批判的な経済学者が相次いでノーベル経済学賞を受賞した。彼らの主張は70〜80年代の米レーガン、英サッチャー両政権に支持され、中曽根康弘政権の日本では行政改革が断行された。当時はケインズ政策を採用した日米欧で財政が肥大して経済の活力が奪われ、それに対する危機感が高まったという時代背景があった。
現在は当時以上に、財政悪化が深刻になっている。この現実に対する危機感が本当に強まったとき、経済学と経済政策における自由放任主義の真の復権が始まるかもしれない。
<参考資料>
- Thomas J. DiLorenzo, The Politically Incorrect Guide to Economics, Regnery Publishing, 2022.
- 木村貴『教養としての近代経済史 狂気と陰謀の世界大恐慌』徳間書店、2023年
- 同『反資本主義が日本を滅ぼす』コスミック出版、2022年
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