この記事「That Which Is Seen, and That Which Is Not Seen(見えるものと、見えないもの)」は、フレデリック・バスティアによる古典的な経済学のエッセイであり、機会費用の概念を強調し、良い経済学者と悪い経済学者の違いを説明しています。
🧐 要点まとめ:見えるものと見えないもの
バスティアの主要な論点は、経済学における行動、制度、法律などは、目に見える即時的な効果だけでなく、目に見えない連続的な(そしてしばしば予期せぬ)究極的な効果を生み出すということです。
悪い経済学者: 目に見える(即時的な)効果のみを考慮し、短期的な小さな利益を追求しますが、それはしばしば長期的な大きな悪につながります。
良い経済学者: 目に見える効果と、目に見えない(予見すべき)効果の両方を考慮し、短期的な小さな悪の危険を冒してでも、長期的な大きな利益を追求します。
この原則を説明するために、以下の具体的な事例が挙げられています。
I. 割れた窓ガラスの例(The Broken Window)
🖼️ 見えるもの(The Seen)
店の主人が窓を修理するために6フランを費やし、ガラス屋がその分儲かる。人々は、この破壊行為がガラス産業を活性化させ、お金を循環させたと考え、破壊は利益であるという誤った結論を導き出します。
👻 見えないもの(The Unseen)
店主は窓が割れなければ、その6フランを靴や本など、別のものに使うことができたはずです。
この事故によって、靴屋(または他の産業)は6フラン分の商売を失いました。
結論: 社会全体としては、窓を修理しただけで、他に何も得ていません。もし窓が割れなかったら、店主は窓と新しい靴(または本)の両方を持てたはずであり、破壊によって無駄に失われた価値があるということが分かります。破壊は利益ではない、ということが示されます。
II. 兵隊の解散の例(The Disbanding of Troops)
🖼️ 見えるもの(The Seen)
10万人の兵隊を解散させると、彼らが職を失い、競争が増して賃金が下がるという懸念。また、彼らが消費していた1億フランが市場から失われ、彼らに物資を供給していた業者(purveyors)が損をすること。
👻 見えないもの(The Unseen)
兵隊の維持に費やされていた1億フランは、納税者の手元に戻ります。
納税者はその1億フランを自らの欲求を満たすために使用し、その結果、10万人の新たな生産的な労働者が(兵士として非生産的 =unproductive だった代わりに)市場に参入し、1億フランという資金が彼らの労働を支払うために同時に市場に投入されます。
結論: 供給(労働力)の増加と同時に需要(資金)も増加するため、賃金低下の恐れは根拠がなく、国全体としては、何もしていない兵士に1億フランを払う代わりに、生産的な労働と引き換えに同じ額を支払うことになり、デッドロス(無益な損失)が解消されます。
III. 税金の例(Taxes)
🖼️ 見えるもの(The Seen)
政府職員が税金で給料を得て、それを消費することで産業を活性化させる(例:大臣の豪華な晩餐会がパリの業者を潤す)。
👻 見えないもの(The Unseen)
納税者が税金を支払うことで、本来自分で消費できたはずの金額を失い、その結果、別の業者(例:農場の排水溝を作る人)が仕事と賃金を失うこと。
結論: 政府支出は常に私的支出に取って代わるだけであり、労働者階級全体の分け前を増やすことはありません。ある労働者に生活を保障する代わりに、別の労働者の生活を奪っているにすぎません。
IV. 劇場、芸術の例(Theatres, Fine Arts)
🖼️ 見えるもの(The Seen)
政府が劇場や芸術に補助金(例:6万フラン)を出すことで、それに携わる芸術家、装飾家、衣裳係などの8万人の労働者が賃金を得て、その活動がフランスの栄光と富につながるという考え。
👻 見えないもの(The Unseen)
補助金の元手である6万フランは、納税者から徴収されており、納税者が本来その6万フランで雇うはずだった大工、配管工、鍛冶屋などの労働者が賃金を失うこと。
結論: 補助金は国民の幸福や国全体の労働力を増やすものではなく、満足と賃金を転換(displace)させているにすぎません。政府の援助は、ある種類の労働を優先するために、他の種類の労働を犠牲にしていることになります。
このエッセイ全体を通じて、バスティアは、経済政策を評価する際には、短期的な利益や恩恵を受ける特定の集団(目に見えるもの)だけでなく、資金源である納税者や、彼らが本来行えたはずの活動(目に見えないもの、機会費用)を常に考慮に入れることの重要性を説いています。
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