安全保障上、重要とされる土地の利用を規制する法案に対し、保守系の一部メディアを除き、主要メディアの多くは反対している。健全な反応だが、いつまで続くか心もとない。
この問題のキーワードは、「私権」という言葉だ。今回の法案をきっかけに、メディア各社はこの言葉をにわかに多用するようになった。
法案は、国境にある離島のほか自衛隊・米軍施設の周囲一キロ以内を「注視区域」に指定し、所有者情報や利用実態の調査を可能にする内容だ。電波妨害、偵察など安全保障上の機能を阻害する行為があれば土地利用の中止を命じ、応じなければ刑事罰を科す。司令部などの周辺や防衛上特に重要な離島は「特別注視区域」とし、一定面積以上の土地売買に届け出を求める。
これに対し、毎日新聞は「私権制限の歯止め足りぬ」と題する社説(5月30日付)で、「調査を口実に、市民への監視が強まる懸念は拭えない。基地や原発に反対する市民活動を排除するために使われるのではないか、と危惧する声も出ている」と指摘する。
東京新聞も「私権侵害を危惧する」と題する社説(4月7日付)で、「基地に隣接する街やリゾート地が指定されれば、外国資本による開発が阻害され、地価下落や地域経済の停滞を招きかねない」と批判する。
いずれも、これだけ見ればまっとうな主張だ。しかし、私権がそれほど大切だと思うのなら、ふだんからそう言わなければ説得力がない。
実際にはこの一年半、コロナ騒動の中で、主要メディアは人々の私権をないがしろにしてきた。政府・自治体による外出・営業規制という私権制限を容認するにとどまらず、むしろ積極的に支持し、求めてきた。
メディアは「命を守るためにはやむをえない」と言うかもしれない。けれども政府や自民党に言わせれば、安全保障だって国民の命を守るためにある。コロナという脅威から国民の命を守るために私権制限が許されるのであれば、外国の軍事的脅威から国民の命を守るための私権制限だって認められなければおかしいと、政府・自民は言うだろう。
メディアの主張を見直すと、土地利用の規制そのものに反対しているわけではない。「国の安全保障に関わる重要な施設を妨害工作などから守ることは必要だ」(毎日)と認めたうえで、基準があいまいという理由で反対している。
だがこの論法も、コロナを思い出せば説得力に欠ける。劇場や演芸場は営業できるのに映画館はできないなど、基準があいまいで混乱を招いたことは記憶に新しい。メディアはその混乱ぶりを伝えはしたものの、営業自粛そのものに反対することはなかった。
近代法の原点の一つであるフランス人権宣言は、その第17条で「所有は、神聖かつ不可侵の権利」だと謳っている。政府の横暴から身を守るカギは、自由の基礎である所有権だという洞察が、その背景にある。
それに引き換え、今の「リベラル」なメディアや野党はコロナ騒動の先頭に立ち、営業や移動の自由という私権をないがしろにしてきた。土地利用規制法案によって、そのツケが回ってきたのだ。付け焼き刃のように私権擁護を言い出しても、頼りにならない。
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