次より抜粋。
Marian L. Tupy, How Africa Got Left Behind
(アフリカ経済が遅れた顛末)
アフリカの貧困は、植民地主義(colonialism)、資本主義、自由貿易によって引き起こされたものではない。それは不幸な政策選択の結果であり、その大部分は独立後、アフリカの指導者によって自由に選ばれたものである。
1870年に欧州人はアフリカ大陸(African continent)の10%以下を支配したが、西欧諸国の所得はすでにアフリカの4倍に達していた。 欧州は繁栄するためにアフリカを必要としたのではない。繁栄によって強力になったため、植民地化したのだ。
独立後、アフリカ各国政府は植民地制度の多くを滅ぼそうと決めた。法の支配(rule of law)、責任ある政府、財産権、自由貿易は欧州からの輸入品なので、否定された。代わりに、ある新興国家の正反対な政策を模倣することを選んだ。ソ連である。
ソ連経済の浪費と後進性は1970年代まで明らかにならなかった。そのときには一党政権を選んだアフリカ諸国は社会主義の病原菌(socialist bacillus)に感染し、経済成長を損なった。価格と賃金を統制し、自由貿易でなく輸入代替品と自給自足に頼った。
アフリカは社会主義との恋愛関係(love affair)を長らく続けたが、1990年代になり、やっと世界経済に再び参加し始めた。それでも今なお、経済的に最も不自由で保護主義的な大陸のままである。問題はそのことであり、自由貿易ではない。
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