2024-09-16

9/11テロは政府の失敗

米国の情報機関は重要な局面でその使命に何度も失敗してきた。9/11のテロ攻撃は、米国側の軍事・諜報面の大失敗によって可能になった。米政府は中東の内政に際限なく干渉することによってテロの動機を与えただけでなく、その反撃が来たときに自国民を守ることもできなかった。
9/11 Was a Day of Unforgivable Government Failure | Mises Institute [LINK]
冷戦終結をきっかけに、米帝国の解体を望むパット・ブキャナンら保守派とロスバード派リバタリアンは外交政策で一致しかけた。しかし9/11とブッシュの対テロ戦争で状況は一変した。米国の右派は共和党大統領による新たな安全保障国家の建設を声高に主張するようになった。
Lew Rockwell's Prophetic Warning About 9/11 | Mises Institute [LINK]

近年、9/11の記念行事で、米国民は「自由はタダではない」とか「軍隊を支援せよ」といった、米政府に承認された感情だけを記憶するよう言われる。米政府があの日、清掃員や受付係や消防士の死を利用して、プライバシー、私有財産、権利に対する攻撃を正当化したことではなく。
America Since 9/11: 22 Years of Lies and Despotism | Mises Institute [LINK]

9/11への対応によって米政府は以前よりはるかに大きく、費用がかかり、法律や憲法による歯止めがなくなった。これは国が自らを常に非常事態にあると信じている場合に起こることだ。政府高官は何の議論もなく、正当な手続きもなしに政令を発布する。これはコロナで加速した。
From 9/11 to Covid-19: Nineteen Years of Permanent "Emergency" | Mises Institute [LINK]

米軍はイラクとアフガンで敗れ、1945年以来主要な戦争に勝利していない。賢い新兵候補者なら、米国のイラク侵攻がロシアのウクライナ侵攻以上に道徳上正当化されるものではないことに気づくだろう。軍が米兵をロシアの大砲の餌食にしたがっていることにも気づくかもしれない。
Three Reasons Why Military Recruitment Is in Crisis | Mises Institute [LINK]

2024-09-15

第一次世界大戦と軍拡競争

20世紀初頭の欧州では、英国・ロシア・フランスの三国協商と、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟の対立が深刻となり、1914(大正3)年、バルカン半島のサラエボでオーストリア皇太子が暗殺されたのをきっかけに、第一次世界大戦が勃発した。戦争は西部戦線において激戦を繰り返しながらも、一進一退の膠着状態となる。米国の参戦(1917年4月)で西部戦線のバランスは崩れ、1918年11月、4年間にわたる戦争はドイツの敗北をもって終結した。

軍備拡張の近代史: 日本軍の膨張と崩壊 (歴史文化ライブラリー 18)

大戦勃発に先駆けて、各国は軍艦をはじめとする軍備の強化にしのぎを削った。英国は1905年に弩級戦艦(12インチ=30センチ主砲を8門以上搭載)の一番艦ドレッドノートを、1909年には超弩級戦艦(13.5インチ=34センチ主砲を8門以上搭載)オライオンを起工し、建艦競争を常にリードした。毎年のように、起工される戦艦の大きさと主砲のサイズ、搭載数は増えていった。

日本も日露戦争でロシアを破った日本海海戦を主力艦決戦の典型としてそれを理想化し、常にその再現を目指そうとして、大艦巨砲主義(大型の大砲をできるだけ多数搭載しようとする建艦方針。結果的に艦は大型化する)の道を突き進んだ。米国を仮想敵国とし、主力艦クラスの軍艦の国内建造が可能になったこともあり、弩級、超弩級戦艦の世界的建艦競争に参入した(山田朗『軍備拡張の近代史』)。

その財政負担は国民にのしかかった。大戦勃発時、当時の雑誌「風俗画報」はこう伝えた。「海軍砲の最新式12インチの砲口へは、人間1人が楽々と入りうるほどである。この大砲を製造するには、砲身のみにて12万円、砲塔を加算して40万円を要する。しこうしてズドンと1発放つときは1000円はかかる。この40万円を我々の日常生活費に割り当て三度の飲食費をかりに20銭とすると1日に200万人だけ生活され、一カ年に5350人の生活費を支弁されうる。〔略〕いまや欧州の天地においてこの大砲が惜し気もなくドンドン発砲さるるのである。それことごとく国民の血と肉であるを思えば、戦慄するばかりである」(今井清一編著『成金天下』)

日本は欧州で戦争が始まるとただちに1914年8月、ドイツに対して宣戦布告を行った。英国の要請により日英同盟に基づいての参戦というのが、大義名分だった。日本は英国からアジアの海域におけるドイツ艦艇(とくに商船を攻撃する仮装巡洋艦)掃討を要請されたことを格好の口実にして、中国山東半島の青島だけでなく山東鉄道や太平洋のドイツ領諸島(グアム島以外の赤道以北の南洋群島)を11月までに占領した。

日本は欧米諸国が欧州での戦争に全力を投入し、アジアのことを省みる余裕がない時をとらえて、中国における権益の拡大を図った。大隈重信内閣の加藤高明外相は、陸軍の中国への過大な要求に屈し、1915(大正5)年、中国の袁世凱政府に二十一カ条要求を突きつけ、大部分を強引に承認させた。その主な内容は、①山東省のドイツ権益を日本が継承する②旅順・大連の租借期限を99カ年延長する③南満州・東部内蒙古の権益の強化——などだった。この要求に中国国民は憤慨し、要求を受け入れた5月9日を国恥記念日とした。

第一次世界大戦の講和条約・ベルサイユ条約の調印は、1919年6月に行われた。大戦の終結とこの条約によって、従来の英独を軸とする諸国の対立図式は崩壊し、戦勝国である英米仏主導による一極的支配体制が成立した。この一極的支配体制は、一面では国際連盟(1920年成立)という平和維持機構を成立させるとともに諸国の軍備制限を行い、他面では欧州におけるベルサイユ体制、アジア・太平洋地域におけるワシントン体制という新たな国際秩序を生み出した。

ベルサイユ条約によって、敗戦国ドイツは領土を削減されるとともに、海外植民地はすべて戦勝側諸国によって再分割された。日本は中国と太平洋地域におけるドイツ権益をそのまま継承することになった。ドイツ領だった南洋群島(サイパン、テニアン、トラックなど)はそのまま委任統治領として、国際連盟から日本が委任される形式をとって統治することになった。委任統治領には軍事施設を建設することはできないものの、行政と住民への教育などの責任は日本が負い、事実上の領土といってもよい存在だった。

大戦が終わった後も、大艦巨砲主義に基づく建艦競争は、英国・米国・日本を対抗軸にして続いた。巨大化した主力艦の建造費用は膨れ上がり、日本の国家予算が15億円に満たない時代に主力艦は1隻3000万円から4000万円もしたため、建艦費は国家財政をひどく圧迫した。1920年には八・八艦隊案(戦艦8、巡洋戦艦8)が成立し、1921年、原敬内閣の時期の海軍費は国家歳出の31.2%を占めるに至った(陸海軍全体の軍事費は国家歳出の49.5%に達した)。

このような状況の中で、1921年、米国の提唱によるワシントン会議が開催された。この会議には、軍縮による平和維持と、植民地を有する大国の権益維持という二つの性格があった。会議には、米英仏日蘭ベルギー・ポルトガル・中国の9カ国が参加し、主力艦と航空母艦の大きさ、性能と保有量を定めた海軍軍縮条約、太平洋に関する4カ国条約、中国に関する9カ国条約の3つの条約が締結された。

ワシントン海軍軍縮条約によって日本の主力艦・航空母艦保有量は米国の6割とされたほか、4カ国条約の締結に伴い日英同盟は廃止され(1923年)、9カ国条約の結果、日本は旧ドイツ権益を中国に返還し、出兵していたシベリアからも撤退することを迫られた。すなわち、「満蒙特殊権益」については黙認されたものの、ワシントン会議において日本は、大戦中に拡大した中国での権益の大部分を失ったことになったのである。

このため、これらの諸条約は、米国による日本封じ込め政策であるといった反米論が日本国内で高揚した。軍縮条約の締結によって海軍の軍縮が実行されるとともに、1920年代には陸軍の軍備も削減されたが、軍内部においては、人員整理、すなわち職業軍人の失業と部隊の廃止によって軍縮に対する強い反発を残すことになった。

それでも、もしワシントン海軍軍縮条約が締結されていなかったら、日本は財政破綻の危機に直面していただろう。残念ながら、第二次世界大戦ではこうした歯止めは失われてしまう。

<参考資料>
  • 大日方純夫ほか『日本近現代史を読む』新日本出版社、2010年
  • 歴史教育者協議会編『ちゃんと知りたい! 日本の戦争ハンドブック』青木書店、2006年
  • 山田朗『軍備拡張の近代史』吉川弘文館、1997年
  • 今井清一編著『成金天下』日本の百年〈5〉、ちくま学芸文庫、2008年

2024-09-14

祖国防衛戦争という嘘

膨大な軍事費に充てるため大増税を実施し、庶民を苦しめた日露戦争。その目的は司馬遼太郎の原作のいう「祖国防衛戦争」などではなく、韓国の支配をめぐる日本とロシアとの戦いだった。戦争中、日本は英米にアジアでの植民地支配を承認する代わりに、韓国の支配を認めさせた。
▼スペシャルドラマ「坂の上の雲」 - NHK [LINK]
「ロシア・ウクライナ戦争の現実は、ウクライナにとって厳しい」という現実を踏まえ、これまでの「ウクライナ応援団」の態度は、「いずれ大きな試練を迎えるのではないか」と指摘。エセ言論人だけでなく、応援に熱狂した日本国民も借金の肩代わりなどでツケを払うことだろう。
▼「ウクライナ応援団」はどこへ行くか | アゴラ 言論プラットフォーム [LINK]

安全保障上の理由で買収を阻止するのは「同盟国の日本に対する理解しがたい判断だ」と読売。実質植民地の日本に対し、大統領選を前に必死の米政権がそんな配慮をすると本気で思っているのか。あまりにおめでたい。台湾有事が起こっても、米政府は国内事情を最優先するだろう。
▼社説:日鉄の買収計画 米政府の阻止は理解出来ぬ : 読売新聞 [LINK]

財政難だというのに、癒着した既得権益への支出を優先し、税収分をすべて使ってしまう政府。口を開けば「国家のため」「国益のため」と説教を垂れる政治家のセンセイたちが、庶民を道連れに国家破産と亡国への道を突っ走る。日本人の敵は中国でも北朝鮮でもない。日本政府だ。
▼ 自民総裁選「減税」訴える候補者なしの絶望…5年で22兆円負担増に専門家が危惧「社会保障がブラックホールのようにカネもヒトも飲み込む」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース [LINK]

外来種のマングースを「根絶」したと環境省。今は多様性を大切にする時代ではなかったのか? いくら被害が出ているとはいえ、抹殺を快挙として宣言する冷血に身がよだつ。マングース一家の悲劇を描くアニメを見たいが、政府肝入りの映画戦略ナントカ委員会では無理だろう。
▼社説:マングースの根絶宣言 生態系崩すリスク教訓に | 毎日新聞 [LINK]

2024-09-13

ゼロサム思考の誤り

ゼロサム思考は前近代の世界によく当てはまった。経済成長がなかったため、所得や富は増えなかった。食料品などを多く手に入れるのは収奪によるものだった。頻繁な戦争は外国人嫌いを助長した。アダム・スミスをはじめとする経済学者たちは18世紀にこの世界観に異議を唱えた。
The Woke Plot To Destroy Our Economy | Mises Institute [LINK]
ねたみを煽るゼロサム思考は、社会が経済的自由を促進し、富を生み出すチャンスを増やしたときに、初めて弱まる。人々が自由に繁栄できるようになれば、成功をより高く評価するようになる。富の再分配よりも、経済的自由を原動力とする進歩こそが、ねたみの解決策なのである。
Progressives Want to Eliminate Wealthy Entrepreneurs but Need the Wealth They Create | Mises Institute [LINK]

強盗などで本人の同意なしに財産を奪うと、その人の犠牲によって利益を得ていることになる。これはまさにゼロサムゲームだ(ちなみに被害者の視点から見ると、「ゲーム」とは言いにくい)。平和な交換が道徳的であるのに対し、強盗は不道徳であるだけでなく、生産を妨げる。
The State, by Franz Oppenheimer | Mises Institute [LINK]

リンゴの値段を叫ぶ店主と、ライバルに死闘を挑む凶暴な捕食者を混同するのは馬鹿げている。それは貿易をゼロサムゲームとして描写するときに犯す混同と同じだ。平和な社会的協力だけが、人間生活の最良の部分を活用し、生物学的競争の暴政から逃れることを可能にする。
Planet Earth and the Tyranny of Mother Nature | Mises Institute [LINK]

市場競争で誰がレースに勝つかは、消費者にとっては、結果の向上よりもはるかに重要度が低い。競争の結果、製品が10%向上した場合、その利益は消費者にほとんど還元される。核心となるのは、競争が他の仕組みよりも優れた結果を生むかどうかということである。
Why the Marketplace Is Not a Zero-Sum Game | Mises Institute [LINK]

2024-09-12

ヘイトスピーチを犯罪化するな

個人の自由の価値を支持する社会では、刑法の唯一の目的は、他人やその財産に対する侵害行為を行う者を抑制し、罰することであるべきだ。刑法は、人々が他人を「憎む」ことを防止したり、「愛し合う」ことを強制したりするために使われるべきではない。
The Folly of Criminalizing "Hate" | Mises Institute [LINK]
言論の自由を絶対とする立場からは、「保護される」集団に対してであろうと、「保護されない」集団に対してであろうと、攻撃的な言論はすべて許される。ある集団はヘイトスピーチから保護され、他の集団は保護されないという考え方自体が憲法違反なのだ。
Free Speech and Legislative Bans on DEI | Mises Institute [LINK]

ヘイトスピーチに言論の自由はないという。ところで過去、共産主義政権のために世界中で1億人が死亡したとされる。共産主義者やそのシンパに、その危険な思想を広める自由を与えていいのだろうか。血に塗れたアカのたわ言を説く場を与えていいのだろうか。
Is Communist Speech Free Speech? | Mises Institute [LINK]

歴史上、「権利」とは、物理的暴力や強制からの自由に限定されてきた。これには暴行、誘拐、監禁などが含まれる。もしこの暴力の定義が、傷つけられた感情やストレスといった概念にまで拡大されるとしたら、実に革命的なことである。そして人間の自由にとって悲惨なことだ。
Redefining Violence: The Problem With PC Speech Codes | Mises Institute [LINK]

政府の役人がそう呼んだからといって、言論が「脅威」になることはない。政府関係者はしばしば、怒った有権者から「落選させるぞ」と脅されて、嫌がらせや脅迫を受けていると感じるが、だからといって、そのような言論が、保護されない脅迫になるわけではない。
Speech Isn't a "Threat" Just Because a Government Official Says So | Mises Institute [LINK]

2024-09-11

GDPで現実を測れるか?

国内総生産(GDP)は現実世界との関連性を欠いているが、政府の介入を正当化するため大きな需要がある。GDP成長率が高いことは、ほとんどの場合、実質貯蓄が集中的に浪費されていることを意味する。「良い」GDPデータにもかかわらず、多くの個人の暮らしは困難になっている可能性がある。
Is GDP an Accurate Measure of Reality? | Mises Institute [LINK]
GDPが社会に利益をもたらす経済活動を測定するものならば、政府支出を含めるのは好ましくない。民間経済では、支出はサービスの提供に対する自発的なものだから、生産物の価値を測定すればいい。政府のサービスは一方的な強制だから、測る方法はない。
How GDP Metrics Distort Our View of the Economy | Mises Institute [LINK]

GDPは、私たちが医療や教育にどれだけのお金を費やしているかを記録することはできるが、購入しているサービスが良いものかどうかを知ることはできない。民間の医療サービスを国有化すれば、GDPの数字は伸びるだろうが、医療の質は下がり、コストは上がる。
Should We Believe the GDP? | Mises Institute [LINK]

経済の歴史的な発展を統計で測ることには、根本的な問題がある。生活水準の向上を測る際、メールとファックス、自動運転車とポンコツ車、レコードと音楽ストリーミングなどを比較するのは難しい。この問題はGDPにとどまらず、経済的不平等や物価上昇率の変化の測定にも及ぶ。
The Poverty of GDP | Mises Institute [LINK]

健全な経済と成長への道を取り戻す方法は、いつだって大幅減税と歳出削減だ。たしかにこれは緊縮財政だが、政府にとっての緊縮でしかない。民間経済に対する政治の収奪を減らすことで、消費者は利益を享受できる。政府予算による資源の消費は、ほとんどすべてが無駄だからだ。
How Reducing GDP Increases Economic Growth | Mises Institute [LINK]

2024-09-10

チャーチルの真実

英雄とされる英首相チャーチルは1940年にすでに事実上終結していた戦争を再開し、ドイツ軍の侵攻の脅威がほとんどなかったにもかかわらず、市民爆撃で攻撃を続けた。ドイツの都市への恐怖の爆撃は、最終的に約60万人の市民の命を奪い、約80万人に重傷を負わせた。
The Truth about Churchill | Mises Institute [LINK]
チャーチルには主義主張がなかったが、一つだけ不変のものは戦争への愛だった。1925年に「人類の歴史は戦争である」と書いている。古典的自由主義の基本、とりわけ人類の真の歴史は協力と分業の拡大であり、戦争ではなく平和こそが万物の父であることを理解しなかった。
Rethinking Churchill | Mises Institute [LINK]

ある意味で、英首相を務めたチャーチルが「世紀の人」に選ばれるのは妥当なことだろう。20世紀は国家の世紀であり、福祉・戦争国家が台頭し、肥大化した世紀であったが、チャーチルは徹頭徹尾、国家の人であり、福祉国家の人であり、戦争国家の人であった。
Raico on Churchill | Mises Institute [LINK]

チャーチルは英国における福祉国家の立役者の一人であった。近代福祉国家は1880年代にビスマルク率いるドイツで始まった。英国では1908年発足のアスキス内閣で、財務相のロイド・ジョージ、通商相のチャーチルがドイツを訪問し、ビスマルク型の社会保険制度に改宗した。
How Churchill Built the Welfare State in Britain | Mises Institute [LINK]

チャーチルは英労働党を全体主義者と評したが、戦後の福祉国家の基礎を築いたベヴァリッジ報告を受け入れたのはチャーチル自身だった。経済学者ミーゼスがいうように、英国の社会主義はアトリー労働党政権の成果ではなく、チャーチル戦争内閣の成果だった。
The Real Churchill | Mises Institute [LINK]

2024-09-09

ナチスは社会主義

国家社会主義者(ナチス)は、革命的左翼の敵どころか、レーニン主義的左翼とは少し異なるタイプの全体主義に献身する左翼だった。国家社会主義者は、その名が示唆するように社会主義者だった。しかも全体主義的な社会主義者であり、その制度的モデルはソ連の全体主義だった。
The National Socialists Were Enemies of The West | Mises Institute [LINK]
現在ヒトラーは歴史上最も憎まれるべき人物だが、その見方は経済政策には向けられない。むしろ世界中の政府に受け入れられている。ヒトラーは金本位制を停止し、巨大な公共事業計画に着手し、外国との競争から産業を保護し、軍備を拡大し、国民医療と失業保険を実現した。
Hitler's Economics | Mises Institute [LINK]

ヒトラーは政権を握ると事実上、ケインズ政策に着手した。政府支出は経済を軍事路線に導くために重要になった。ケインズ自身はナチスの努力を好意的に見ていた。『一般理論』ドイツ語版への序文で、自著の考え方は権威主義的な体制のほうが容易に実行に移せることを示した。
Nazi Economic Policy | Mises Institute [LINK]

ナチスドイツのマスコミは初期のニューディール政策を熱狂的に歓迎した。機関紙によれば、米国はドイツと同様、市場投機の奔放な熱狂と決別した。同紙はルーズベルトが経済社会政策に国家社会主義思想の系統を取り入れたと強調し、ヒトラーと相通じるものがあると称賛した。
Three New Deals: Why the Nazis and Fascists Loved FDR | Mises Institute [LINK]

資本家や企業家が、共産主義かナチズムかという選択肢に直面し、ナチズムを選んだ理由は、説明するまでもない。スターリンによって「ブルジョア」として「清算」されるよりも、ヒトラーの下でただの店番として生きることを選んだのだ。資本家だって殺されるのは好まない。
"Progressive" Attacks on Capitalism Were Key to Hitler's Success | Mises Institute [LINK]

2024-09-08

大逆事件の闇

近代日本で国家主義が次第に台頭していた1910(明治43)年5月25日、長野県明科のとある製材所の奥で、注意深く隠された木箱が発見された。その中身は、明治天皇暗殺のために準備された爆裂弾の材料だった。後にいう大逆事件、すなわち社会主義者・無政府主義者の幸徳秋水一味が天皇暗殺を目論んだとして大逆罪に問われ、処刑された一大事件発覚の瞬間である。この事件は、国家によるフレームアップ(でっち上げ)の典型として知られる。明治の「闇」を象徴する出来事だ。

「社会」のない国、日本 ドレフュス事件・大逆事件と荷風の悲嘆 (講談社選書メチエ)

当時は産業革命の進展に伴って賃金労働者が増加し、社会主義運動が盛んになりつつあった。幸徳、安部磯雄、片山潜らは1898年に社会主義研究会をつくり、1901年、最初の社会主義政党である社会民主党を結成したが、治安警察法によってすぐに解散させられた。それでも幸徳らは日露戦争に反対し、反戦論を唱えた。

日露戦争反対を機に高揚した社会主義運動に対し、政府は機関誌紙の発禁や集会の禁圧、結社禁止などの抑圧を加えた。実質的な運動はほとんど展開できない状勢になり、幸徳、管野スガらの創刊した「自由思想」も発禁の連続で廃刊を余儀なくされ、合法的な運動は不可能になる。管野、宮下太吉、新村忠雄、古河力作の4人は、天皇の血を流すことにより日本国民の迷夢を覚まそうと爆裂弾による暗殺計画を練った。

宮下は長野県明科の製材所で爆裂弾を製造し、爆発の実験も試み、1910年1月には東京・千駄ヶ谷の平民社で投擲の具体的手順を相談するが、幸徳は計画に冷淡で著述に専念しようとした。

当時の第2次桂太郎内閣は、当局にスパイを潜入させたりなどしてこの計画を感知し、同年5月の長野県における宮下検挙を手始めに、6月1日には神奈川県湯河原で幸徳を逮捕した。政府は一挙に社会主義運動の撲滅を狙って、幸徳が各地を旅行した際の放談などをもとに26名を起訴するほか、押収した住所録などから全国の社会主義者、無政府主義者数百名を検挙して取り調べた。

検察当局は、爆裂弾で明治天皇の暗殺を計画したものとして、刑法の大逆罪を適用し、26人を起訴した。実際に計画を相談したことを認めたのは宮下ら4人だけだったが、翌1911年1月、わずか1カ月の審理で裁判所は幸徳ら24人に死刑を宣告し、その月のうちに幸徳、管野ら12人を絞首刑にした(12人は天皇の特赦として無期懲役に減刑)。管野はその手記に「今回の事件は無政府主義者の陰謀というよりも、むしろ検事の手によって作られた陰謀という方が適当である」と記している。

なお幸徳は弁護士宛の陳弁書で、無政府主義思想について「東洋の老荘と同様の一種の哲学」と述べ、「無政府主義者が圧制を憎み、束縛を厭い、同時に暴力をも排斥するのは必然の道理で、世に彼等程自由平和を好む者はありません」と力説した。このような無政府主義者からは、暗殺者は少なく、むしろ「暗殺主義なりと言わば勤王論愛国思想ほど激越な暗殺主義はない」と反論している。

大逆事件は同時代の文学者や思想家に衝撃を与えた。東京・本郷弓町の下宿に両親妻子5人とともに暮らしていた詩人、石川啄木にとって、事件の発覚した1910年は「思想上において重大なる年」となった。

啄木はかつて日露戦争を賛美したが、日露戦争後は痛烈な国家批判の立場に移っていた。幸徳やそのグループと接触はなかったが、大逆事件公判の進められている期間、絶えず旧知の弁護士から話を聞き、幸徳の陳情書などの記録を借り受けて、その膨大な記録を筆写した。幸徳らが処刑された日、「ああ、何という早いことだろう」と嘆いている。

小説家、徳富蘆花は翌月の2月1日、第一高等学校(現在の東大教養学部)弁論部の求めに応じて演壇に立ち、「謀叛論」と題して演説した。講演は暗くなってろうそくがともされるころまで続いた。それは痛烈な政府批判であり、また幸徳らの擁護論だった。

蘆花は幸徳らを「自由平等の新天新地を夢み、身をささげて人類のためにつくさんとする志士である」「死は彼らの勝利」であると断じ、志士をただ殺戮する以外に能のない閣臣、「蛇の蛙をねらうような」検察当局を痛罵したのち、「諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見なされて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものはつねに謀叛である」と訴えた。

しかし、蘆花のように幸徳らを堂々と擁護する言論人は他にほとんどいなかった。幸徳らを乗せた囚人馬車を偶然目撃した小説家、永井荷風は「わたしは世の文学者と共に何も言わなかった。私は何となく良心の苦痛に堪えられぬような気がした」と記した。

一方、取締当局は、事件をテコに弾圧体制の整備を図った。1910年7月、内務相は首相に社会主義に対する意見書を提出し、警察に社会主義専門の担当者を置いて偵察を徹底させることなどを提案した。このような意見を踏まえ、1911年4月、社会主義の取り締まりを専門に行う警察官の増員が図られた。8月には警視庁に特別高等課が設置された。のちの特別高等警察(特高)である。監視の網はいっそう厳しくなり、社会主義者などを「特別要視察人」としてリストアップして監視する体制が固められた。大逆事件を契機に社会主義には「冬の時代」が訪れた。

社会学者の菊谷和宏氏は著書『「社会」のない国、日本』で、ともに国家による冤罪であるフランスのドレフュス事件と日本の大逆事件を対比している。

ドレフュス事件では、軍部が捏造したスパイの証拠によってユダヤ系陸軍大尉ドレフュスが軍法会議で有罪とされる。これに対し作家ゾラはドレフュスを擁護し、一時亡命を強いられながらも、再審の道を開く。ゾラを衝き動かしたのは、「人間性が国の都合に優先されてはならない」「国家以前に尊重されるべきものがある」という信念だった。

このような信念を生んだものは何か。ゾラの同時代人である仏社会学者デュルケームによれば、それはキリスト教である。キリスト教が育んだ個人主義精神からみれば、国家という組織はそれがいかに重要であれ、ひとつの道具に過ぎず、目的のための手段でしかない。

一方、大逆事件では、荷風が恥じたように、ゾラのように立ち上がり、幸徳らを堂々と擁護する言論人はほとんどいなかった。キリスト教の伝統をもつフランスと異なり、日本には「国家以前に尊重されるべきものがある」という思想は根づいていない。菊谷氏の言葉を借りれば、国家のみがあって社会が存在しない。

日本では長い物に巻かれることがよしとされ、国家の暴走に歯止めをかける者がない。それは「和をもって貴しとなす」日本人の長所を帳消しにしかねない、深刻な短所である。

<参考資料>
  • 橋川文三編著『明治の栄光』日本の百年〈4〉、ちくま学芸文庫、2007年
  • 田中伸尚『大逆事件』岩波現代文庫、2018年
  • 菊谷和宏『「社会」のない国、日本 ドレフュス事件・大逆事件と荷風の悲嘆』講談社選書メチエ、2015年

2024-09-07

良い政治という幻想

なんとも甘っちょろい。民主制とは「調整して制度を作っていく仕組み」ではなく、多数派が権力を握る仕組み。政治とは「話し合いで合意するための手段」ではなく、権力で人々の財産や自由を一方的に奪う手段。政治は悪。良い政治がありうるという幻想をふり撒くのはやめよう。
▼言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル [LINK]
齋藤氏は企業の「市民営化」を提案する。企業の大株主から経営者やその一族を排除し、従業員や地域住民に株を持たせるという。やってみればいい。経営判断でプロの発言権が弱まれば、会社は競争に敗れて最悪倒産する。従業員は路頭に迷ううえ、買った株の価値はゼロになる。
▼齋藤幸平が語る、資本主義の矛盾と新システムの必要性〜資本主義の限界を理解することが第一歩〜 | 100年企業戦略オンライン [LINK]

低所得者の食費にまで課される消費税の軽減には賛成。けれど低所得者を苦しめる税は消費税だけではない。法人税は消費者などが実質負担するし、富裕層への累進課税は生産活動への投資を減らし物価高につながる。英国でも日本でも官営福祉を廃止し、あらゆる税の縮小・撤廃を。
▼「低所得者から徴収する消費税 憲法の生存権の保障に抵触するのでは?」ブレイディみかこ(AERA dot.) - Yahoo!ニュース [LINK]

「大学はタダであるべきだ」と白石氏。「大学には国家や経済とは違う無償性の論理がある」という。教員の給与はどうするのだろう。もし全員無償にするというなら見上げたものだ。もし税金で賄うのなら、国家の「論理に支配されない」どころか、国家に取り込まれることになる。
▼「大学はタダであるべきだ」 国家や経済の支配に立ち向かうために:朝日新聞デジタル [LINK]

「デフレに戻るおそれがあるから」脱却宣言は出せないと政府。無邪気なリフレ派以外、こうなることはわかっていた。あらゆる政策は政治の産物で、金融政策はその最たるもの。国債頼みでバラマキを続けたい政治家は、庶民が物価高で苦しもうと、異常な低金利が終わっては困る。
▼「デフレ脱却」宣言、出せないまま アベノミクス的政策いつまで?:朝日新聞デジタル [LINK]

2024-09-06

時代遅れの公立学校

公立学校は長い間、情報化時代の流れについていけず、思想と暴力の両方から生徒の安全を守ることができず、無能に運営される政府の教育制度という、時代遅れのモデルだ。在宅教育は、親の自主性と責任の行使を意味するだけでなく、破綻したモデルから救うチャンスを提供する。
The Problem with Trump’s Agenda 47 for Homeschoolers | Mises Institute [LINK]
在宅教育に対するマスコミの見方は、「脅威」の一語に集約できる。なぜなら、すべての子供はあらゆることに関して、政府が承認した物語や教義を学び、身につけるべきだからである。政府による教育とは、子供を忠実な臣民として形成するための課程なのだ。
What the Media Says about Homeschooling | Mises Institute [LINK]

米国では連邦や州の官僚や職員の複数、あるいは過半数が民主党員である。官僚は研究助成金を支給し、資金提供を支配する。大学の収入の行き先は結局左翼の官僚だ。大学当局は思想的に左翼でなくても、自身の存在を正当化できるような政策や研究を推し進めるよう奨励される。
Bureaucracy: The Death Knell of Higher Education | Mises Institute [LINK]

米国の大学では左派の教授の数が右派の教授を5対1で上回る。保守的で有能な教授を差別し、保守的な消費者(学生)を排除するのはコストがかかる。政府の介入がなければ、ほとんどの大学は、ビジネス上の判断として不適切であると認識し、すべての顧客に対応するだろう。
It Is Time to Treat Higher Education as the Business It Is | Mises Institute [LINK]

大学は公的な教育機関から、意識が高い「ウォーキズム」という心のウイルスを生み出すイデオロギーの温床へと堕落している。しかし現代のリバタリアンには楽観的になるだけの理由がある。他の領域と同様に、民間主導の大学教育が政府に対抗し始めているからだ。
A Review of Nock'sThe Theory of Education in the United States | Mises Institute [LINK]

2024-09-05

核戦争という現実

米政治学者ミアシャイマーら現実主義者がいうように、敵対する大国(ロシア)が核兵器で徹底的に武装し、自分たちを狙っている場合、非常に注意深く対処しなければならない。その大国を絶望的な状況に追い込んではならない。核兵器が使用される合理的な可能性があるからだ。
Russia Updating Nuclear Weapon Doctrine Due To Western 'Escalation' Of Ukraine War - The Ron Paul Institute for Peace & Prosperity [LINK]
何世紀にもわたり、ロシアは西側から攻撃されてきた。最近ではナポレオンとヒトラーによってである。当然ロシア人はこの血塗られた歴史に敏感だ。CIA長官らはこのことをよく考えたのだろうか。NATOがロシアに侵攻すれば、プーチンは折れるとでも想像したのだろうか。
The Western Way of War – Owning the Narrative Trumps Reality - The Ron Paul Institute for Peace & Prosperity [LINK]

ガザ保健省によれば、過去10カ月に米国の支援を受けたイスラエルによるガザ攻撃で、1万6000人以上の子供を含む少なくとも4万435人が死亡した。これには瓦礫の下で死亡したと推定される1万人を含まない。インフラ破壊により間接的な原因でさらに多くが死亡した可能性がある。
Israel Says US Has Delivered 50,000 Tons of Military Aid Since Start of Gaza Slaughter - The Ron Paul Institute for Peace & Prosperity [LINK]

経済学者ジェフリー・サックス教授によれば、イスラエルは今や完全な無法国家だ。中東での戦争を誘発するために何でもやっており、これは米国民が望んでいることではない。同教授は多くのインタビューで、米国はガザ地区で今も続く「大量虐殺に加担している」と語っている。
US Calls For Ceasefire But Keeps Supporting War - The Ron Paul Institute for Peace & Prosperity [LINK]

思想家トマス・ペインが警告したように、敵を罰しようとする情熱は自由にとって危険であり、罰する側の自由さえも危険にさらす。自分の自由を安全にしたいなら、敵であっても抑圧から守らなければならない。この義務に違反すれば、自分自身に及ぶ前例を作ることになる。
Searching for Monsters - The Ron Paul Institute for Peace & Prosperity [LINK]

2024-09-04

排除する権利を守れ

排除する権利は何かのおまけではない。文明の機能にとって核心をなす。企業が人を雇うとき、採用される人とされない人がいる。その他ほとんどすべての団体も同じだ。誰もが排除する権利を行使する。もしこの権利が否定されたら、代わりに何が起こるか。政府による強制である。
Freedom of Association | Mises Institute [LINK]
暴君が権力を得る典型的な方法は、大衆に憎むべき人物を与えることだ。嫉妬を助長することは、左派が企業を支配する効果的な戦略だ。経営トップが稼ぐ金額は関係ない。もしそうなら、左派は何百万ドルも稼ぐハリウッド俳優やスポーツスターに対する嫉妬を助長しているはずだ。
The Politics of Envy - LewRockwell [LINK]

公立学校の学費が安く見えるのは、その費用が税によって全国民に分散されるのに対し、私立学校の費用はそこに通う生徒のいる家庭だけが負担するからだ。公立学校と義務教育法を廃止し、すべて市場提供型の教育に置き換えれば、半額でより良い学校が手に入り、より自由になる。
What If Public Schools Were Abolished? | Mises Institute [LINK]

南北戦争前の米南部では、奴隷制は邪悪な制度であり、平和な進化を通じて黒人は教育され、自由な住民の地位を得られるという意見が支配的だった。だがその展開は、北部による流血の奴隷反乱の扇動と、南部人を悪として描く奴隷廃止論者のプロパガンダのために終わりを告げた。
The War Against the South - LewRockwell [LINK]

CIAは創設以来、数多くの暗殺計画に関与してきた。有名なのはキューバのカストロ殺害の度重なる試みだ。フォード大統領は大統領令で暗殺を禁じたが、CIAは新たな名目で殺害を続けた。リビアのカダフィ、セルビアのミロシェビッチ、イラクのフセインを空爆で殺害しようとした。
The CIA’s assassination plots | Mises Institute [LINK]

2024-09-02

ESGは環境を改善しない

ESGは環境への配慮や社会的原因を改善しない。経済成長が環境への配慮を可能にする。基本ニーズを満たせるようになって初めて、周囲に配慮する余裕が生まれる。ロンドンで大気汚染は工業化により初め増加したが、結局減少し、1700年に初めて測定されたときよりも低くなった。
ESG Undermines Social Welfare | Mises Institute [LINK]
生きるのがやっとの人々は、環境のことなど気にも留めない。しかしある一定の生活水準に達すると、こうした高次の財に関心を持ち始める。人々が清潔で魅力的な環境を維持するためにお金を使うことをいとわなくなれば、こうしたサービスを得るための外的障壁はなくなるはずだ。
An Austrian contribution to the praxeology of nature conservation | Mises Institute [LINK]

脱成長は環境持続可能性への道だといわれるが、自由市場経済が生み出す技術革新は、化石燃料や石炭への依存を小さくする。市場に基づく革新がなければ、脱成長活動家が非難するエネルギー源に代わるものは生まれない。成長率の低下は、気候変動適応技術に投資する能力を奪う。
The degrowth movement is antihuman, and its advocates are fine with that | Mises Institute [LINK]

環境保護主義者は、各国政府が化石燃料から人々を強制的に引き離すことを強く望んでいる。しかし、そのような野望は空想の域を出ることはないだろう。太陽光発電や風力発電のような再生可能エネルギーは、現在の開発レベルでは世界の人口を支えることはできない。
Banning Fossil Fuels Will Make Heat Waves More Dangerous, Not Less | Mises Institute [LINK]

地球の1次エネルギー消費の85%は、化石燃料から直接来ている。気候変動、ネットゼロ目標、化石燃料依存の引き下げ、クリーンな再生可能エネルギーについて、信念を語るがいい。政府の資金を投入するがいい。公共の場で説教するがいい。だが事実は変わらない。変えられない。
Climate Worries Are Non-Credible, Luxury Beliefs That Harm Civilization Itself | Mises Institute [LINK]

2024-09-01

秩父事件はなぜ起きたのか

1884(明治17)年11月、「困民党」と呼ばれた埼玉県・秩父地方の農民たちが、借金の10年据え置きと40年賦返済、学校費軽減のための3年間の休校や減税などを求めて蜂起し、郡役所、裁判所、警察署などを襲撃し、高利貸しに放火するなどした。秩父事件である。

秩父事件: 圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ

蜂起の発端となったのは秩父地方だったが、群馬県や長野県にまで広がる。鎮圧には警察だけでなく、憲兵隊や高崎鎮台兵が出動した。農民の一部は軍隊と交戦して、30人以上が死亡したとされる。検挙者は埼玉県で約3500人、群馬県で約300人、長野県で約600人という。広域にわたる大規模な事件だった。秩父事件はなぜ起こったのだろう。

秩父事件の背景の一つには、高揚期に達していた自由民権運動の影響がある。

1881(明治14)年、開拓使官有物払い下げ事件で民権運動による政府批判が強まり、国会開設をめぐる政府内の対立も激化した。その結果、大隈重信が下野し(明治14年の政変)、国会開設の勅諭が出されて10年後に国会が開かれることになった。

民権運動派は国会開設に向け、政党の結成に動く。板垣退助を中心とする自由党、下野した大隈重信を中心とする立憲改進党などが結成された。しかし改正集会条例で政治結社の支部の設置が禁じられており、全国的な組織づくりが困難だった。さらに政府は自らの主導権で憲法を制定するため、伊藤博文を欧州に派遣し、その一方で、板垣退助を外遊させるなどして自由党の切り崩しを図った。党内でも対立があり、自由党は解散するに至る。秩父事件の直前のことだ。

党の中核を失い、方向性が定まらないなか、福島事件、高田事件、群馬事件、加波山事件など、自由党が何らかの形で関わった激化事件が頻発した。秩父事件も、その一つに位置づけられてきた。しかし他の激化事件より規模がはるかに大きいうえ、異なる特徴をもつ。

特徴の一つは、秩父の蜂起勢の指導部には博徒(博打打ち)がいたことだ。自由党員の井上伝蔵、落合寅市、高岸善吉らのうち落合、高岸は博徒でもあり、その親分にあたる加藤織平も蜂起勢の幹部となっている。最高指導者の田代栄作も博徒だった。蜂起には農民、自由党員、博徒といった多様な人々が参加していたのである。

日記や裁判記録などには、次のような農民の言葉が書かれている。「圧政を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし」「恐れながら天朝様へ敵対するから加勢しろ」「総理板垣公の命令を受け、天下の政事を直し、人民を自由ならしめんと欲し、諸民のために兵を起こす」

これらの言葉からは、明治政府の圧制を改め、自由で安心して暮らせる政治を実現するのだという強固な思いが読み取れる。事件は全国各地の新聞のほか、ロンドンで発行されていた「ベルギー独立」紙、フランスの「ルタン」(現「ルモンド」)紙にまで報道された。

秩父事件のもう一つの重要な背景は、松方デフレだ。

1877(明治10)年に西郷隆盛を擁して士族が起こした西南戦争は、明治の士族反乱として最大規模のものだった。西郷軍の総兵力は約3万人であり、これに対して政府は約6万人の兵力を投入した。整ったばかりの徴兵制による軍隊だけでなく、軍夫も雇い、戦費は4200万円もの莫大な額になった。政府はその多くを、不換紙幣を増発することで賄った。

その影響は2~3年後に激しいインフレとなって現れた。市場に出回る紙幣が多くなったために、物価が急激に高騰したのである。この事態に対応するため、大蔵卿の松方正義は、不換紙幣の消却を急速に進めた。一言でいえば、デフレ政策である。これはインフレの害を静めるためにやむをえない措置だが、痛みを伴った。

政府は一方で、増税にも踏み切った。これは朝鮮半島での壬午軍乱(反日的クーデター)をきっかけに始まった、清国との交戦を念頭においた軍備拡張計画の財源でもあった。内務卿の山県有朋は軍備拡張の必要性を説き、たばこ・酒類などに課税することによって経費を生み出すと述べた。そして、増税の令を一度発すれば、増税反対が起こることは承知のうえだが、それには弾圧をもって臨むといった。

増税となったのは、地租以外の「雑税」だった。雑税の合計額は1879年が21万9975円、1884年が45万4619円と5年間で倍増した。税額のうち最も額が大きいのが酒税、次いで各種印紙税、車税、たばこ税などと続く。地方税も増加の一途をたどった。地方税とは県税で、地租割、戸数割、営業税、雑種税だ。地方税は5年間で1.9倍になった。とくに営業税の伸びが顕著だった(秩父事件研究顕彰協議会編『秩父事件』)。

折からの世界的な不景気の影響もあり、増税とデフレ政策によって多くの農家が深刻なダメージを受けた。租税が納められず、滞納によって強制処分を受けた農民は36万人にものぼり、やむなく競売にかけられた土地は4万7000歩にもなった(藤野裕子『民衆暴力』)。

松方デフレによるダメージがとくに大きかったといわれるのは、養蚕地帯だ。秩父事件に参加した地域は養蚕地帯だった。

幕末の開港によって生糸の輸出が増加したため、この地域は養蚕・製糸業に重点を移すことで農家の経営を発展させていった。生糸価格は下落しても一時的だった。収益性が高かったため、高利貸し(個人だけでなく、銀行・企業など)から高い利息で借金をしても、通常であればそれ以上の利益を得て返済できた。

しかし今回の急激なインフレとデフレは、政府の政策によってつくり出されたものだ。強気になって借金をしすぎた農家に自業自得の面はあるものの、激しいインフレを生み出し、経営判断を惑わせた政府の責任は軽くない。

借金を10年据え置きにし、40年かけて返済するという要求は、現在の感覚からすると、かなり法外な要求にも思える。だがこの要求の背景には、貧窮に陥った際に温情的な措置を施す、現在の金融とは異なる負債整理の伝統的な慣行があったと指摘されている。

事件後、憲兵隊と警察隊は各村々に入り、参加者を逮捕しつつ自首を強要していった。警察の厳しい尋問を経て、裁判は事件の中心人物らを死刑、懲役、禁固の刑に処し、多くの人々を罰金・科料とし、彼らを「暴徒」として断罪した。そのため事件参加者の遺族や子孫の多くは、事件に口を閉ざして生きてきた。近年に至り、ようやく名誉回復が進んでいる。

秩父事件を起こしたのは、インフレや増税など明治政府の誤った政策が招いた生活苦だった。蜂起した人々が夢見た、圧制のない、自由で安心して暮らせる社会は、今も庶民の理想であり続けている。

<参考文献>
  • 松沢裕作『自由民権運動 〈デモクラシー〉の夢と挫折』岩波新書、2016年
  • 藤野裕子『民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代』中公新書、2020年
  • 秩父事件研究顕彰協議会編『秩父事件 圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ』新日本出版社、2004年