2019-02-07

ゴードン『古代・中世経済学史』


経済学の真の父

アダム・スミスは「経済学の父」と呼ばれ、それが一種の権威として市場経済の批判に利用される。「アダム・スミスは単純な市場原理主義者ではなかった」という具合にである。けれどもスミスを「経済学の父」として必要以上に権威付けるのは、経済学史の正しい理解からすれば、間違っている。

現在の通説によれば、経済学が成立したのは、欧州の重商主義時代か重農派の誕生、またはさらに下ってスミスが古典派を形成した18世紀とされる。これを「経済学啓蒙起源説」と呼ぶ。しかし、この主張に確たる根拠はない。著者ゴードンは「本書の目的の一つはこの間違った考えを正すこと」と強調する。

じつは経済学啓蒙起源説が通説になったのは、比較的最近の話だ。海外で経済学史の本はシュンペーターの大著『経済分析の歴史』をはじめ、多くは古代から始まる。日本でも明治前半から戦前にかけて阪谷芳郎、乗竹孝太郎、福田徳三、高橋誠一郎、上田辰之助らが古代や中世の経済学史を著した。「かつては古代から始めるのがスタンダードな経済学史であった」と訳者の村井明彦氏は指摘する。

ところが近年、専門化の弊害で研究者の視野が狭くなった。とくに日本の学者はマルクス主義の影響もあり、中世には資本主義が未発達だと考え、経済学史から古代と中世を切り捨てた。しかし実際には本書が述べるとおり、資本主義は中世イタリアで生まれたものであり、その時代を無視して経済学史は書けない。

商業の栄えた中世欧州では、市場経済に関する洞察が蓄積された。それを担ったのはスコラ哲学者である。ドイツのドミニコ会士ヨハネス・ニーダーは「あるものの適正な価値は買手や売手が価格をどう考えるか次第である」と述べた。商品の価値は労働量で決まるというスミスマルクスの誤った労働価値説とは異なる、現代的な主観価値説である。経済学の真の父は、中世スコラ哲学者だった。

近年の研究によれば、大陸欧州では19世紀にも主観価値説が通説であり、スミスらが島国・英国で形成した古典派は「要するに経済学のガラパゴス」(村井氏)だったという。本書の知見をもとに、経済学史の教科書が大胆に書き換えられる日が待ち遠しい。

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