シカゴ大学教授、ジョン・ミアシャイマー
(2023年12月18日)
2022年2月24日にウクライナで戦争が始まった直後、ロシアとウクライナが戦争を終わらせるための真剣な交渉に参加していたことを示す説得力のある証拠が増えつつある。この交渉は、トルコのエルドアン大統領とイスラエルのベネット前首相によって進められ、和解の条件について詳細かつ率直な話し合いが行われた。
The Myth That Putin Was Bent on Conquering Ukraine and Creating a Greater Russia
— Antiwar.com (@Antiwarcom) December 18, 2023
by John Mearsheimer@MearsheimerJ #Ukraine #Russia #NATO #Putin #Zelensky https://t.co/FOPRc35TqI pic.twitter.com/kTpxAFSVI0
誰が見ても、2022年3月から4月にかけて行われたこの交渉は、実際に進展していたのだが、英国と米国がウクライナのゼレンスキー大統領に交渉を放棄するよう指示し、同大統領はそれを実行した。
これらの出来事に関する報道は、それ以来、ウクライナが死と破壊を被り、戦争に負けそうになっていることを考えれば、バイデン米大統領とジョンソン英首相がこれらの交渉に終止符を打ったことがいかに愚かで無責任であったかに焦点を当てている。
しかし、ウクライナ戦争の原因に関するこの話の特に重要な側面は、ほとんど注目されていない。西側諸国では、プーチン露大統領はウクライナを征服し、大ロシアの一部にするためにウクライナに侵攻したというのが従来の通説だ。その後、プーチン氏は東欧の他の国々を征服するだろうという。西側諸国ではあまり支持されていないが、プーチン氏の侵攻の動機は主に、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、ロシア国境の西側の防波堤になるという脅威にあったという反論がある。プーチン氏をはじめとするロシアのエリートたちにとって、ウクライナがNATOに加盟することは存亡の危機だったのだ。
2022年3月から4月にかけての交渉は、主に二つの理由から、戦争の原因に関する従来の常識が間違っており、反論が正しいことを明らかにしている。第一に、この交渉は、ウクライナがNATOの一員にならず中立国になるというロシアの要求を満たすことに直接焦点が当てられていた。交渉に携わった誰もが、ウクライナとNATOの関係がロシアの核心的関心事であることを理解していた。第二に、もしプーチンがウクライナ全土の征服に執念を燃やしていたなら、このような交渉には応じなかっただろう。交渉の本質は、ロシアがウクライナ全土を征服する可能性と矛盾していたからだ。プーチン氏がこのような交渉に参加し、自らの野心を隠すために中立性を強調したという見方もできる。しかし、この主張を裏付ける証拠はない。言うまでもなく、1)ロシアの小さな侵攻軍にウクライナ全土を征服・占領する能力はなかったし、2)大規模な攻勢を遅らせても意味がなかった。ウクライナに防衛を強化する時間を与えることになるからだ。
要するに、プーチン氏はウクライナに限定的な攻撃を仕掛けたのだ。その目的は、ゼレンスキー大統領に、ウクライナの西側諸国との協調政策とNATO加盟を断念させることだった。英国と西側諸国が交渉に介入しなければ、プーチン氏はこの限定的な目的を達成し、戦争終結に合意していたと考える十分な理由がある。
また、ロシアがウクライナのドネツク、ルガンスク、ケルソン、ザポリージャの4州を併合したのは、交渉が終了した2022年9月のことだった。 もし協定が成立していれば、ウクライナはほぼ間違いなく、現在よりもはるかに大きな領土を支配していただろう。
ウクライナの場合、西側のエリートたちと西側の主要メディアの愚かさと不誠実さのレベルの高さには驚かされるばかりである。
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