2022-12-08

代理人による検閲

ジョージ・ワシントン大学法学教授、ジョナサン・ターリー
(2022年12月6日)

検閲とは何か


検閲を擁護する人々が昔から言うことの一つに、政府が言論の自由の抑圧を指示しなければ、それは検閲ではない、というものがある。

これは明らかに事実に反する。全米市民自由連合(ACLU)のような多くの団体は、「検閲は政府によって行われることもあれば、民間の圧力団体によって行われることもある」と強調している。

同じ人々が、もし(政府にしか適用されない)合衆国憲法修正第1条の違反がなければ、言論の自由の侵害はないと主張している。修正第1条は決して言論の自由の独占的な定義ではない。言論の自由は私たちの多くが人権とみなしており、修正第1条はそれを制限する一つの原因を扱っているにすぎない。言論の自由は政府機関だけでなく、私企業によっても損なわれる可能性がある。

企業には明らかに言論の自由がある。皮肉なことに、民主党は長い間、企業に対するそのような権利に反対してきたが、検閲となると受け入れる。また、バイデン陣営がバイデン政権になった後も、検閲(およびツイッターとの裏ルート)は続いていたことも注目に値する——代理人による検閲の典型例である。さらに、民主党の上院・下院議員からは、批判者を黙らせ、ハンター・バイデンの利益誘導スキャンダルを葬り去ろうとする圧力もかかっていた。

カリフォルニア州の民主党議員ロー・カンナは、ツイッター最大の検閲官であるビジャヤ・ガッデに接触し、自らを「完全なバイデン党員」であるとしながらも、この行動を再考させようとした。カンナ議員は「これは憲法修正第1条の原則に違反しているように思える」と指摘した。

これは言論の自由の原則に反するものであり、カンナはこの論争において、政治の都合でその原則を捨てようとしない左派の数少ない一人であった。

「汚い写真がすべて」


もう一つの主張は、これは記事を検閲するための努力ではなく、ハンター・バイデンが売春婦とセックスしたり、身体を露出したりして撮影した下品な画像を封じるためだけだったというものである。

この主張には、検閲のほかにプロパガンダの側面もある。ツイッター社の文書から明らかになったように、ツイッター社の関係者は、この記事全体がロシアの偽情報かハッキングではないかと議論していた。元連邦捜査局(FBI)弁護士のジム・ベイカー( ロシア共謀の騒動後にツイッターに雇われた)にとっては、「注意が必要」という理由で、他の人がこの話を共有しないよう手助けすることがすべてだ。

弾圧の時点でも、この動きがハッキングという誤った主張によって正当化されていることは、左派の多くの人々にとって明らかだった。

カンナ議員はガッデへの手紙の中で、「ジャーナリストはハッキングを積極的に援助しない限り、情報源の違法行為について責任を負うべきでない」と指摘した。だから、その資料の配布を制限することは、とりわけ大統領候補に関することは、ニューヨーク・タイムズ対サリバン事件(公共問題に関する討論を禁圧してはならないとする最高裁判決)の流れを汲んでいないようだ」と述べている。

もっと重要なのは、このことがツイッターの従業員に伝わらなかったことで、ある従業員は、「彼らはただ(検閲を)自由にやっただけだ。ハッキングは言い訳だったが、数時間のうちに、ほとんどの人がそれが通用しないことに気づいた。しかし、誰もそれを覆す勇気がなかった」と述べた。

さらに、ツイッター社はその後、記事を抑えたのは間違いだったと認め、写真付きの記事も含め、共有を許可した。「バイデンチーム」は、「ハンター・バイデンのポルノ」といった言及を含むツイートの検閲を望んでいたが、大統領選前に同社が記事を抑制する原因となったのは、露骨な写真ではなかった。

しかしこの議論には、直感に反しているとはいえ、みごとな見解がある。ニュースサイト「サロン」 にあるように、「ハンター・バイデンのノートパソコンの『スキャンダル』は、ほとんどが汚い写真についてである」というものだ。もし、このスキャンダルがすべて汚い写真についてなら、汚い政治や影響力の行使は関係なくなる。検閲についてもそうだ。議論は終わりになる。

これらの開示を否定する取り組みは、この話自体を封じ込めようとした以前の取り組みと同様に、うまくいかないだろう。

まだ多くの文書が公開されるよう期待する。さらに下院は、これらの企業が民主党の仲間のために検閲を行うよう利用されていたことを調査する見込みだ。

この調査が重要なのは、(そのような調査の脅威をとっくに承知していた)ツイッターの関係者が、文書によるやりとりを避けたり、あるいは破棄したりした可能性がつねにあるからだ。

実際、「何もない」という声が日増しに強まることで、多くの懐疑的な市民はむしろ関心を強めるかもしれない。

結局のところ、茶番劇ほど人を引きつけるものはないのである。

(次より抄訳)
“Fool Me Once . . . ” Why the Public is Not Buying the Latest Media Campaign Against Twitter – JONATHAN TURLEY [LINK]

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