2022-06-19

大恐慌を悪化させたニューディール政策

弁護士、オリバー・ダンフォード
(2020年5月25日)

ニューディール政策が経済を救い、世界恐慌を終わらせたというのが、これまでの常識だった。しかし、この説は次第に批判されるようになってきた。いずれにせよ、ニューディール政策が、現代の巨大で強力で押しつけがましい米連邦政府の前身となったことは、誰もが認めるところだろう。

ニューディール以前、連邦政府の日常生活における役割は乏しかった。経済に対する政府の規制は、ほとんど州や地方自治体の「警察権」によってのみ行われていた。警察権とは、個人や企業が他人の権利を侵害することを防止し、正当な行為を規制する(例えば、不動産の売買を適切に記録するために一定の手続きを要求する)ことを、連邦政府ではなく州や地方自治体に認めるものだと元来理解されている。

大恐慌は悲惨な状況を引き起こしたが、それまでの不況とは異なり、この時は米国民が連邦政府に「何とかしてくれ」という声を大きく上げた。ルーズベルト大統領は時間をかけなかった。就任宣言のわずか2日後、1917年に制定された「敵国取引法」に基づいて、銀行休業日を宣言したのである。ニューディール政策の実験が始まり、ルーズベルトは深刻な不況を食い止めるために、あちこちに事務所を開設し、委員会を設置し、各部門を再編成して、次々と政策を実行に移した。

ニューディール政策(および第二次世界大戦)の「緊急事態」が収まると、いくつかの制度が廃止された。しかし、連邦政府が経済活動において大規模かつ積極的な役割を担うという考え方は、根強く残っている。ニューディールの目玉の一つである公正労働基準法などは、民間産業を支配し続けている。これらの法律は随時更新され、政府自身も、政府の関与が健全な経済のために不可欠だと主張し続けている。

ニューディールの遺産の具体例として、住宅を取り上げよう。大恐慌が始まると、連邦政府は無数の委員会や委員会を設立し、住宅事業に連邦資金を投入し(1932年緊急救済建設法)、住宅保証と直接融資を行い(1932年連邦住宅貸付銀行法)、住宅法の採択、現行法の改正、拡大する官僚制度の再編成を続けた。

政府の住宅政策は1949年の住宅法で増強され、国の「一般の福祉」と「安全」の必要上、住宅の量や質を「改善」するために、住宅生産とそれに関連する地域開発を求めた。この問題の広範な性質を象徴するのは、1934年国家住宅法によって創設され、今日では「世界最大の住宅ローン保険会社」となった、連邦住宅局である。

ニューディールの絶え間ない実験は、人々の日常生活に対する政府の関与をさらに強めるだけだった。様々な問題を「解決」できない場合は、市場の失敗のせいにされ、政府だけが解決できると言われる。

裁判所は今や政府の実験を当然のように支持し、米国人が自分を自分で管理する能力を日々低下させている。新たなニューディールを求める声には抵抗しなければならない。政治家が危機を自分の利益のために利用するのを許してはならない。

(次より抄訳)
The New Deal Made the Great Depression Worse. Let's Not Repeat It - Foundation for Economic Education [LINK]

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