2016-04-03

辻田真佐憲『ふしぎな君が代』


近代国家の呪縛

国歌であるはずの「君が代」の意味や歴史について、日本人は無関心であり、あやふやな知識しかないと著者は指摘する。これではいくら議論をしても空回りするばかりだろう。そこで著者は、「君が代」の意味と歴史を丹念に調べ、整理する。するとそこから、多くの興味深い事実が浮かび上がる。

たとえば「君が代」の「君」の意味である。日本ではしばしば、「君」が昔から「天皇」の意味だったと証明しようと躍起になっている人たちがいる。そうしなければ、「君が代」の権威が傷つくと恐れるかのように。一方で、もともと「君」が「天皇」を意味しないという事実を指摘することで、現在の国歌「君が代」の正統性をも否定できると考えている人たちもいる。

これに対し著者は、「両者ともやや視野が狭いのではないか」と批判する。事実をいえば、「君」とはもともと、「あなた」という意味であり、千年近く前からあった古歌「君が代」は、「あなたの健康長寿を祈る」という意味のおめでたい歌として、江戸時代に至るまで日本文化に根づいていた。「あなた」が天皇、将軍、大名など統治者の場合、その治世が長く続くことを祈る歌にもなりうる。それが明治時代になって国歌に選ばれたときに、「天皇」のみを讃える歌へと変貌したのである。

著者は、「君が代」には軍国主義や植民地支配に利用された負の歴史があることを認識したうえで、ナショナリズムやイデオロギーの影響がなく、伝統文化に裏打ちされたこの歌を評価し、国歌の取り替えは現実的でないと考える。

そのうえで著者は、「君が代」を「歌う国歌」から「聴く国歌」に変えることを提案する。「歌う」という行為は、強制されたときの屈辱感や抑圧感が強い。これに比べ、「聴く」という行為は、一分程度であれば、強制されてもそれほど強い抑圧感はもたらさない。我々は、「国民は全員国歌を歌うべきだ」という近代化の呪縛からそろそろ逃れるべきだ、と著者は強調する。

穏当な提案だと思う。しかしおそらく著者が考える以上に、ラディカルな提案でもある。なぜなら国家はまさしく、屈辱感や抑圧感を伴う強制に文句を言わない、従順な国民をつくる一手段として、国歌をとらえていると考えられるからだ。課税や経済規制をはじめ、近代国家は国民への広汎な強制なしに成り立たない。「歌う」から「聴く」への転換は、著者の想定を超えて、国家という呪縛を解く第一歩になりうる。

<抜粋とコメント>
"古歌「君が代」は、「あなたの健康長寿を祈る歌」と理解することができるだろう。「あなた」が天皇、将軍、大名など統治者の場合、その治世が長く続くことを祈る歌にもなりうる"
# 「君」の二重の意味。

"国民の敵愾心が燃え上がっている今こそ、国歌を作り普及させる千載一遇のチャンス"
# 血なまぐさい歌詞の仏国歌「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命の最中に誕生。日本でも日露戦争時に一時同様の機運。

"「君が代」のアレンジは、海軍軍楽隊の吉本光蔵や、プッチーニもやっていることで何の問題もない"
# 忌野清志郎によるパンク調アレンジを非難した人々の無知。

"先進国の多くでは国歌斉唱は強制されていない…。日本の文部科学省は、どうやら中国や韓国の事例に倣おうとしているようだ"
# 中国・韓国を笑う右派が、国家斉唱では同じ政策を支持する皮肉。

"北朝鮮さえ、単に人民を無理やり歌わせればよいなどと乱暴なことはいっていない"
# 金日正いわく、歌を無理やり押しつけると反発を招くので、できるだけ優れた音楽を提供するよう工夫しなければならない。

アマゾンレビューにも投稿。

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