2014年12月18日木曜日

無政府主義者は棄権すべきか

衆議院総選挙投開票日のしばらく前、ミーゼス研究所の日替わり記事で、マレー・ロスバード(1926~1995年)の生前のインタビュー記事(1972年2月25日付「ニューバナー」誌)が再掲されていた。ロスバードは経済学、歴史学、政治哲学の幅広い分野で活躍した学者で、自由主義の究極の形といえる無政府主義を信奉した思想家でもある。インタビューの中で、国政選挙に対する興味深い意見を述べているので、紹介しよう。

リバタリアン(自由主義者)の中には1972年の大統領選(現職で共和党出身のリチャード・ニクソンが民主党のジョージ・マクガヴァンに圧勝し再選)で棄権を呼びかける運動もあったがと問われ、ロスバードはこう答える。
興味深い話題ですね。それ(棄権運動)が古典的な無政府主義者の立場だというのはたしかです。誰も投票してはならない、なぜならもし投票すれば、政府の機構(state apparatus)に参加したことになるからだ、と。あるいは、もし投票するのなら、自分の名前を投票用紙に書き入れるべきだ、と。その戦術が間違っているとは思いません。もし全国的な運動、たとえば500万人が棄権を誓うような運動があればですが。一方、私は投票がほんとうに問題だとは思いません。棄権する人々に対し、投票する人々が不道徳だとは思いません。
ロスバードはいう。人々は政府という強制組織に取り囲まれているけれども、限られた選択権を与えられてもいる。もしそれを行使することで自由や財産の状況になにか違いが生じると考えるなら、試さない理由はない。投票して大統領職をなくすことはできないけれども(できたらすばらしいことだが)、残念ながらできないからこそ、二人の候補になにか違いがあるのなら、投票を利用しない手はない。そして違いがないことはまずない。二人の人間、二つの集団には少なくともわずかな違いはあるのだから。ロスバードは続ける。
一方、誰に投票するかはほんとうは問題ではありません。私にとって重要なのは、誰を支持するかです。あなたは誰に勝ってほしいのか。「政府を認めたくない」といって棄権しても結構ですが、選挙の夜、残りの投票者たち、投票するそこらのカモたち(suckers)に、誰を選んでほしいのか。それは重要なことです。なぜなら違いがあるからです。大統領職は残念ながら、きわめて重要です。私たちの生活を四年間にわたり大きく左右します。ですから、ある候補者をもう一人の候補者よりも支持・支援、あるいは非難してはならない理由はありません。
そのうえでロスバードは、棄権主義者が投票に反対するだけでなく、誰も支持してはならないと主張する場合、それには賛成できないと異を唱える。

じつは私、ここ数年投票していなかったけれど、この記事が刺激になって、衆院選でひさしぶりに清き一票を投じた。どこに? あれこれ違いを比較した結果、資本主義を擁護するリバタリアンとは一見最も縁遠い政党になってしまった、とだけ白状しておきます。

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