2022-08-31

市場に訪れる「最後の審判」

経済教育財団(FEE)コンテンツ・ディレクター、ダン・サンチェス
(2022年6月15日)

恐ろしいことだが、経済はとっくに崩壊している。「最後の審判」を先延ばしにすればするほど、事態は悪化する。

キリスト教の伝統では、「清算の日(Day of Reckoning)」とは最後の審判のことで、すべての人の善行と悪行が説明され、それに応じて永遠の報酬と罰が割り当てられるという。

この言葉は金融用語を文学的に応用したものである。「清算(reckon)」とは、数えること、計算すること、量を見積もることだ。歴史上、「清算」は金融の清算を意味した。

好況・不況の景気循環において、「不況」や「景気後退」は、直前の「好況」や「バブル」の歪みを修正する「清算」であり、市場と経済の現実を調和させる大規模な損益計算のやり直しである。

米経済における好景気とバブルの歪みは、連邦準備理事会(FRB)が経済を「刺激」するために新しいお金を作り、ローン市場や資本市場に投じた結果生じた。

このような過剰で人為的な「景気刺激」は、目先は投資家、労働者、消費者、政府にとって快適かもしれないが、将来大きな痛みを伴うことは必至だ。

経済学者ミーゼスは、この状況を建築資材の在庫が膨らんでいる住宅建設業者に例えた。おそらく、普通の一戸建てを建てるだけの資材・人手しかないにもかかわらず、偽りの金利低下に惑わされ、豪邸を建てる基礎を作ってしまったのだろう。

しかし、どうしても現実とぶつかってしまう。建築のある時点で、建設業者は自分の計画が持続不可能であることに気づかなければならない。「棚卸し」をして、自分が本当にいくら持っているかを「清算」しなければならない。

そのとき、「ああ、これは大変だ」と思うはずだ。しかし、それが早ければ早いほど、浪費する資源は少なくなる。労働力だけでなく、建築途中の邸宅から引き揚げられない材料もあるのだ。もし、「清算の日」があまりに遅れると、軌道修正する頃には、間違った投資によって貧しくなり、一戸建てを建てるだけの資金もなくなり、掘立て小屋で我慢しなければならないかもしれない。

同じく、貯蓄の増加によってではなく、FRBの資金注入によって金利が引き下げられ、「刺激」された経済は、事業に充てる資源が足りないという限界にぶつからざるをえない。経済の現実は偽ることはできても、逆らうことはできない。

不況とは、経済の真実が明らかになることである。それはたしかに痛みを伴う啓示である。しかし、ミーゼスの住宅建設業者と同じように、不況を完全に起こさせるのは早ければ早いほどよい。FRBが資金注入で経済計算をごまかし、経済の「最後の審判」を先延ばしにすればするほど、資源は浪費され、文明は疲弊し、避けられない清算は、より耐えがたいものになるだろう。

(次より抄訳)
Markets Must Have Their Day of Reckoning - Foundation for Economic Education [LINK]

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