2022-11-13

悲観論の歴史

ケイトー研究所アナリスト、チェルシー・フォレット
(2016年2月5日)

生活を向上させる可能性のあるテクノロジーに対する悲観論は、新しいものではない。ツイッターのアカウント「悲観論者の記録集」(インターネットの第一人者マーク・アンドリーセンのお気に入り)は、古い新聞の抜粋を使い、絶え間なく続く悲観論の流れを記録している。

悲観的な反応には、単に疑わしいもの(ガス灯のアイデアに対する1809年の反応や、麻酔のコンセプトに対する1839年の反応など)から、完全に警戒すべきもの(電子商取引は「創造するよりも多くを破壊する恐れがある」という1999年の警告など)まで、さまざまなものがある。

悲観論者は、古い技術の方が新しい技術より優れていると主張するケースもある。たとえば、そろばんはコンピューターやポケット計算機より優れていると主張する人もいれば、馬は危険な「恐怖の自動車」よりも長持ちすると主張する人もいる。

新しい技術が既存のビジネスや習慣にダメージを与えると主張する人もいる。特に1918年の記事では、自動車が馬小屋のビジネスを破壊し、「映画ショー」とともに、ロマンチックな馬車に乗る伝統を終わらせ、デートを永遠に変えてしまうという、感情に訴える表現があった。

新しい技術は富裕層が最初に取り入れがちなため、不平等を悪化させるという不満もよく聞かれる。1914年のある記事は、「無線電話は特権階級にしか恩恵がない」と嘆いている。この記事は、当時開発されていた初期の無線電話のことを指し、軽い携帯ではない。もちろん、今日では無線電話はポケットに入り、多くの機能を持ち、どこにでもある。結局、自由な市場は技術のコストを下げ、より多くの人々が利用できるようにする傾向がある。

新しい技術に対する悲観的な反応で最も注目されるのは、悲観論者が国家の力を使い、技術の進歩を止めようとすることがいかに多いかだろう。

1930年代、悲観論者はラジオが民主主義を脅かすものだと恐れ、この機器が子供時代をダメにするのではと心配した。1936年には、ラジオは気が散って消防車のサイレンが聞こえなくなる恐れがあるとして、米国の多くの都市で車内ラジオを禁止することに成功した。

悲しいかな、技術に対する悲観論者は、じつにさまざま技術の禁止や一部禁止に成功している。「馬なし馬車」(自動車)、「自動昇降機」(エレベーター)、自転車(1881年のニューヨーク・タイムズの記事によれば、「生命と財産にとってこれまで発明された最も危険なもの」)などがそうである。最近ではビデオゲーム、ヘッドフォン、ホバーボードなども含まれている。

日々新たな進歩が続くなか、過去の人々がどのように進歩を非難し、戦ってきたかを振り返ることは、現在の技術・科学に関する議論を整理するのに役立つ。

(次を全訳)
Pessimism Viewed in Historical Perspective - HumanProgress [LINK]

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