2016年11月15日火曜日

村上由美子『武器としての人口減社会』

武器としての人口減社会~国際比較統計でわかる日本の強さ~ (光文社新書)
武器としての人口減社会~国際比較統計でわかる日本の強さ~ (光文社新書)

平等強制の誤り

女性は不当に束縛されず、自由に生きる権利がある。なぜなら人間はすべてそうだからである。しかし人間はともすれば、男女を問わず、他人の自由を不当に束縛することに鈍感になりがちだ。本書の著者も、その誤りに陥っている。

著者は、企業で指導的立場に立つ女性が少ない日本の現状を打破するには、男女の待遇差別を罰する制度の強化など「ムチ」に関する議論が必要と述べる。しかし誰を雇い、どのように待遇するかは、事業主にとって大切な自由のはずだ。

著者が女性の自由を大切に思うのなら、事業主の自由も尊重し、それを侵害しかねない法規制には慎重でなければならない。「差別」の処罰強化で事業主の自由が束縛されれば、それは経済全体だけでなく、女性自身の利益にもならない。

待遇の違いが不当な差別に当たるかどうかは微妙なケースが多い。罰則強化で企業が萎縮し、女性差別と受け止められないことを第一に人事を決めるようになれば、規制の緩やかな国の企業との競争で不利になり、払える賃金は少なくなる。

著者の元勤務先であるゴールドマン・サックスでは、性差別で訴えられるのを防ぐため、幹部社員に研修を徹底していたという。だが企業のそうしたコストを負担するのは結局消費者だ。生活費が上がり、低賃金の女性が苦しむことになる。

日本で女性の子育て後の継続就業が難しいのは、長期雇用保障、年功昇進・賃金の日本的雇用慣行が暗黙のうちに「夫は仕事、妻は家事・子育て」という家庭内の役割分担を前提としているからだ(八代尚宏『新自由主義の復権』)。背景には労働組合をはじめ利益団体の既得権があるため、改革が進まない。

著者は労働市場の流動化を高めるよう唱える。これは既得権に踏み込む改革だから賛成だ。しかしせっかく労働を流動化しても、女性「差別」が厳罰の対象となれば、企業は女性の採用に尻込みしかねない。権力によって平等を強制しても、人間は幸せになれない。

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