2025-02-10

墨子の侵略戦争批判

墨子は、姓は墨、名は翟。その生涯については不明なところが多いが、魯に生まれ、手工業者階級の出身と伝えられる。若いころは儒学を学んだが、後に墨家の祖となった。

墨攻(ぼっこう)(1) (ビッグコミックス)

墨子は天の意志に基づく博愛主義である「兼愛」を説いたが、戦争が兼愛主義と相容れないことは言うまでもない。その著書とされる『墨子』には「非攻」の篇があって、戦争、とりわけ侵略戦争が道徳上の罪悪であることを詳述している(以下、原則として和田武司訳を参照)。

墨子はまず、次のように説く。ここに男が1人いる。この男が他人の果樹園に忍び入って、桃や季を盗んだとする。もしこの事実を知れば、誰もがこの男を非難するだろう。役人は男を捕らえて処罰する。自分の利益のために、人に害を与えたからである。

墨子は以下、「もしこの男が、他人の犬や羊、鶏や豚を盗んだとしたら、どうか」「他人の厩舎に押し入って、馬や牛を盗んだらどうか」「罪もない人を殺して、着物や剣を剥ぎとったとしたら、どうか」と問いを重ねていく。後になるほど、男の罪は重くなり、「以上のような場合、天下の君子は、いずれもみなこの男を非難し、不義と認めるだろう」と述べる。誰もが墨子の主張に同意するだろう。

しかし、と墨子はここで指摘する。「そういう君子であっても、他国を侵略するという大きな不義については、非難しようとしない。それどころか、かえって称賛し、他国侵略を「義」とみなしている。いったい、かれらは、本当に義と不義との区別をわきまえているのであろうか」

墨子は他国への侵略を最大の犯罪として、日常的に起こる犯罪の延長線上に位置づけ、その不当性を主張している。これは現代西洋の徹底した自由主義哲学であるリバタリアニズムに通じるものがある。

米経済学者ウォルター・ブロック氏は、リバタリアニズムの原則は「誰の権利も侵害していない者に対する権利の侵害(暴力の行使)は正当化できない」ということだとしたうえで、この原則を世の中のありとあらゆる場面に適用させようとする点にリバタリアニズムの特質があるという(『不道徳な経済学』)。たとえば、徴税は国家による暴力的な権利の侵害として批判される。戦争も同様だ。

墨子は続けて、同様の主張を別の表現でたたみかける。人ひとりを殺せば、不義であるとして、必ず死刑に処せられる。もしこの論理に従うとすれば、人を10人殺したときには、不義を10回犯したのだから、10回死刑に処すべきである。100人を殺せば、100回死刑に処すべきである。こういう犯罪については、天下の君子は、いずれもこれを非難し、不義と認める。

ところが、と墨子は再び指摘する。「他国侵略という大きな不義については非難しようとしない。それどころか、かえってこれを「義」とみなしている」

ここでの墨子の論理は、チャップリンの映画『殺人狂時代』の有名な場面を思わせる。チャップリン扮するベルドーは勤めていた銀行をクビになり、金持ちと結婚しては殺し、保険金を奪うようになる。逮捕され、裁判長に向かって言う。「なるほど、私は7人の女を殺した。生活のために……。だが、戦争で100万人の人間を殺した者は、罰せられない。勲章をもらい、英雄と呼ばれる。なぜです、なぜですか」

『墨子』非攻篇には、2つの「兵」が説かれている(湯浅邦弘『諸子百家』)。1つは肯定される「兵」であり、もう1つは否定される「兵」である。否定される「兵」は、「大いに非(不義)をなして他国を攻める」「季節や民情を無視していたずらに戦争を起こす」「無実の国を攻伐する」などで、要するに侵略戦争である。

これに対して、肯定される「兵」は、「誅」と「救」の語によって端的に示される。「誅」とは古の聖王が天命を受けて不義の暴君を罰するための誅罰であり、「救」とは大国から攻伐から弱小国を救済するための防衛戦である。このうち「救」の防衛戦が、まさしく墨者の活動にあたる。

墨家は、兼愛と非攻の理想を実力行使によって実現しようとした。単に戦争反対を叫ぶのではなく、軍事集団を組織して、弱小国の防衛にあたったのである。その実践体験の中から、城の防衛に関する様々な技術も編み出した。前述したように、墨家の非戦論は侵略に反対するもので、絶対平和主義ではない。正当防衛であれば実力行使を認め、その手段として外部の民間組織を活用する点は、やはりリバタリアニズムと共通する。

フィクションだが、墨家の防衛活動を具体的に描いた作品がある。漫画『墨攻』(作画・森秀樹、原作・酒見賢一)は、大軍にたった1人で立ち向かった墨者の物語だ。中国の戦国時代、趙の1万5000の大軍は燕の小さな梁城を落とそうと迫る。梁は墨家に救援を要請したが、やって来たのは革離というみすぼらしい、たった1人の墨者だった。革離は、様々な守城技術を駆使し、趙の攻撃を見事に跳ね返す。

あるとき、死を覚悟した革離は部下に対し「今度の戦でもし拙者が死んでも、拙者のなきがらは野ざらしにしといてくれ」と頼む。「そんな失礼なことは出来ません」と驚く部下に、革離は「いや、それが一番うれしいのだ」と答える。「何の報酬も望まず、他人に奉仕する墨者にとって、薄葬(手厚い葬式の反対の意)こそ最高の礼であった」と作者は説明する(単行本第3巻)。

中国哲学研究者の湯浅邦弘氏によれば、墨家は、ひたすら「天下の利」のために、侵略戦争を実力で阻止しようとする。一国の王に殉ずるのではなく、あくまで天下のために奔走するのである。彼らを支えるのは、墨者の「義」であり、王から与えられる褒賞ではない。

墨家は、儒家と天下の思想界を二分するほどの勢力を築き上げたが、秦帝国の成立以降、歴史上から忽然と姿を消す。秦帝国が法家思想に基づいて導入した中央集権的な郡県制と、封建体制の下、諸国家が平和に共存する世界を理想とする墨家思想の対立が原因だとみられている。

墨家は思想活動のためには武装を伴い、治外法権的集団を必要とするうえ、常に全世界的視野にのみ立ち、個人的信条としてはほとんど意味をなさないゆえに、漢代以降、諸学派が形を変えて復興する中にあって、ひとり墨家だけは、再生することなく絶学への道をたどることになった(浅野裕一『諸子百家』)。

戦争という国家の暴力が世界で頻発する現在、墨子の思想は再評価の価値がありそうだ。

2025-02-03

トランプ就任演説の光と影

ミーゼス研究所創設者・会長、ルーウェリン・ロックウェル
(2025年1月27日)

ドナルド・トランプが2期目の任期を開始するにあたり、私たちは当然、今後を予想したくなる。確かに、マルクス主義者のカマラ・ハリスが、脳死状態の「大統領」ジョー・バイデンの後任にならなかったことは喜ばしいが、その残念な大失敗者と比べて、トランプ大統領はどれほど改善されるのだろうか。今週のコラムでは、就任演説からいくつかの手がかりを得ようと思う。
トランプは非常に楽観的な口調で次のように述べている。「アメリカの黄金時代は今始まる。今日から、わが国は再び繁栄し、世界中で尊敬されるようになる。すべての国がうらやむ存在となり、これ以上、つけこまれることはない。わが国の主権は回復する。安全は回復する。正義の天秤は再び均衡する。司法省や政府による悪質で暴力的で不公平な武器化は終わる。そして、私たちの最優先事項は、誇り高く、繁栄し、自由な国家を築くことだ。アメリカは、まもなくこれまで以上に偉大で、強力で、はるかに卓越した国となるだろう。私は、自信と楽観的な見通しを持って大統領職に復帰する。なぜなら、私たちは国家的な成功のわくわくするような新しい時代の始まりに立っているからだ。変化の波が国を席巻し、世界全体に陽光が降り注いでいる。そして、アメリカには、この機会をこれまでにないほどつかむチャンスがあるのだ」

ここで強調されているテーマは「強さ」である。アメリカは他国から尊敬され、羨望の的でなければならない。そして、この目標を達成するには、これまで以上に強くなる必要がある。ロスバード派にとって、これは間違っている。私たちは、他国とどちらが強いかを競い合うべきではない。むしろ自分のことに専念し、他国と平和的な関係を築くべきだ。一方で、この幕開けには良い点もある。特に、「悪質で暴力的かつ不公平な司法省の武器化」との戦いについてはそうだ。私たちの真の戦いは、「目覚めた」左派との戦いであるべきだ。

トランプは、私たちに警戒を促すべきもう一つの発言をしている。彼は自分自身に対して無限の信頼を寄せており、神が彼を「偉大さ」を取り戻すためにアメリカに呼び寄せたと主張している。「ほんの数か月前、ペンシルベニア州の美しい野原で、暗殺者の銃弾が私の耳を貫通した。しかし、私はそのとき、そして今ではさらに強く、自分の命は理由があって救われたのだと感じている。私はアメリカを再び偉大にするために神によって救われたのだ」。ロスバード派はリーダーを望んでいない。重要なのは政府の権力を減らすことであり、増大させることではない。ロン・ポールは決してこのようなことは言わない。

このスピーチで最もすばらしいのは、トランプが、私たちが「目覚めた」左派と戦う必要があることを認識している点である。彼は、マイノリティを優遇する連邦政府の雇用要件を廃止し、伝統的な家族を破壊することを目的としたトランスジェンダー政策に対する政府の支援を打ち切るだろう。「今週、私はまた、公私にわたるあらゆる側面で人種やジェンダーを社会的に操作しようとする政府政策を廃止する。本日をもって、今後はアメリカ政府の公式政策として、性別は男性と女性の2つだけであるとする。そして、勤務中に過激な政治理論や社会実験の対象となることを、我が国の戦士たちに止めさせる命令に署名する。即座に終了させる」

また、トランプが外国での戦争に関与しない意向を示していることも、私たちを勇気づけている。「私たちは、勝利した戦いだけでなく、終結させた戦争によっても、そして、おそらく最も重要なのは、参加しなかった戦争によっても、その成功を測るだろう。私の最も誇らしい遺産は、平和の使者であり、調停者であることだ。それが私のなりたい姿だ。平和の使者であり、調停者なのだ」。しかし、他国に平和的解決を押し付けるのは私たちの仕事ではない。トランプがプーチンにウクライナ戦争を終わらせろ、「さもなければ」とメッセージを送ったのは良いニュースではない。

トランプは、インフレ対策、政府支出の削減、グリーン・ニューディールの終了が必要だと正しく言っている。もう一度言うが、トランプがカマラ・ハリスを破ったことを喜ぶべきだ。「インフレ危機は、大規模な浪費とエネルギー価格の高騰によって引き起こされた。私の今日の行動により、グリーン・ニューディールは終了する。つまり、自分の好きな車を購入できるようになる」。しかし、インフレを終わらせるには、さらなる紙幣の印刷を止め、連邦準備理事会(FRB)を廃止し、金本位制を復活させることだ。

インフレを終わらせるには、アメリカの消費者を傷つける関税や貿易制限を課さないことだ。関税は価格を吊り上げる。関税は、アメリカが他国に税金を支払わせる魔法の公式ではない。私たちは自由市場が妨げられることなく機能することを許容するべきであり、アメリカの製造業の雇用を増やそうとする産業政策を課すべきではない。トランプはこのことを理解していない。「我々は、ほんの数年前までは誰も想像できなかったようなペースで、再びアメリカ国内で自動車を生産する。私は、アメリカの労働者と家族を守るために、貿易制度の改革を直ちに開始する。他国を潤すために自国民に課税するのではなく、自国民を潤すために外国に課税するのだ。マッキンリー大統領は関税によって我が国を非常に豊かにした」。とはいえ、トランプが、いわゆる「貿易協定」の多くは政府管理の貿易であり、真の自由貿易ではないと指摘しているのは正しい。そして、私たちはそれらの協定から脱退すべきである。

私たちが、トランプが言うように平和を望むのであれば、アメリカの領土を拡大しようとしたり、パナマ運河を乗っ取ろうとしたり、それに関して中国と戦争をしたりすべきではない。「アメリカは、つまり、考えてみてほしい。これまでにないほど多額の資金を投じ、パナマ運河の建設で3万8000人の命を失った。決して行うべきではなかった愚かな贈り物によって、私たちはひどい目に遭わされた。パナマが私たちに約束したことは破られた。私たちの取引の目的と条約の精神は完全に踏みにじられたのだ。アメリカの船は、あらゆる面で厳しく過剰請求され、公平に扱われていない。それにはアメリカ海軍も含まれる。そして何よりも、パナマ運河は中国が運営している。私たちは中国にそれを与えたわけではない。私たちはパナマにそれを与えたのだ。そして、私たちはそれを取り戻す」。1世紀前に私たちがプロジェクトに資金を提供したからといって、現在それを所有しているという主張は有効ではない。

また、トランプが「今日はキング牧師の日だ。彼の名誉を称え、我々はともに彼の夢を現実のものとするために努力する。我々は彼の夢を実現させる」と述べたことにも落胆した。キング牧師は親共産主義の扇動家であり、彼の「夢」はアメリカを社会主義国に変えることだった。

問題はあるものの、トランプのスピーチには多くの優れた点がある。私たちは、彼がこれらの政策を実施するよう全力で働きかけ、自由市場と不干渉主義の外交政策を支持するよう強く促すべきだ。

野望は偉大な国の活力の源であり、今、私たちの国は他のどの国よりも野心に満ちている。私たちの国のような国は他にない。

(次を全訳)
A New President Takes Office - LewRockwell [LINK]

【コメント】故マレー・ロスバードとともにミーゼス研究所を設立したロックウェル氏による、バランスの取れたトランプ新大統領評。全体としてはトランプ氏に期待を寄せながらも、リバタリアンとして批判すべき点はしっかり批判している。これがシンクタンクや言論人の果たすべき役割だろう。トランプ氏やアルゼンチンのミレイ大統領の問題点に目をつぶり、ひたすら持ち上げるのは、シンクタンクではなく応援団である。