「科学的根拠」の落とし穴
著者は、教育や子育てを議論するときには、大量のデータという「科学的根拠」が欠かせないと強調する。しかし、その考えには危うさがつきまとう。なぜなら、経済学は自然科学と異なり、データから正しい結論を導けるとは限らないからである。
著者は、教育評論家や子育ての専門家と呼ばれる人たちがテレビや週刊誌で述べる主張の多くは個人的な経験に基づいているため、「科学的根拠」がなく、それゆえに「なぜその主張が正しいのか」という説明が十分になされていないと批判する。一方、「経済学がデータを用いて明らかにしている教育や子育てに関する発見は、教育評論家や子育て専門家の指南やノウハウよりも、よっぽど価値がある」(「はじめに」)と自負する。
多くのデータを観察することによって何らかの規則性を見出すのは、もともと自然科学で発達した手法である。20世紀以降の経済学は、この自然科学の手法を模倣することによって、より「科学的」になろうとしてきた。
しかし、この考えはある深刻な問題をはらんでいる。すなわち、自然科学の手法を経済学に流用することは、果たして適切なのかということである。
そもそも自然科学と経済学には、本質的な違いがある。自然科学の対象は物で、経済学は人間ということだ。
物を対象とする自然科学は、閉じられた実験室でさまざまに条件を変えながら実験を繰り返し、事象を観察することができる。だが経済学の対象は自分の意思で行動する生身の人間であり、倫理的・金銭的にもそのような実験はほぼ不可能である。
著者が強調するように、経済学でも実験の手法が発達してきたといわれる。人をランダムに二つのグループに分け、一方には効果を確かめたい介入を行い、もう一方には介入をせず、比較対照する「ランダム化比較実験」は、その代表例とされる。
だがこの手法も弱点を抱える。人が実験に反応して行動してしまう可能性があることである。著者によれば、ケニアで学校給食の提供が子供の出席や学力に与える因果関係を明らかにするため、一方のグループでは給食を無償にし、他方ではしなかったところ、給食を目当てに子供を無償の学校に転入させようとする親が出てきたという。
正しい比較のためには、二つのグループの間に親の所得などの諸条件で偏りがあってはならない。しかし、もし転入によって無償グループに親の所得の少ない子供が過度に増えれば、出席や学力の違いが給食の無償提供によるものか、親の所得によるものかがわからなくなってしまう。
ケニアの場合は問題が表面化したけれども、気づかれないままに調査に偏りが生じる恐れもある。著者は実験手法の改善に期待をかけるが、経済学の対象は意思をもち、行動する人間だから、実験に歪みが生じ、誤った結論を導くリスクから逃れることはできない。
もうひとつ、指摘しておくべきことがある。著者は、科学的根拠に基づく知見が現実の教育政策に活かされれば、子供、親、納税者である国民に「大きな恩恵があるに違いありません」(「補論」)と強調する。ところが、科学的根拠に基づく画期的な教育政策として著者が挙げる米国の「落ちこぼれ防止法」は、失敗に陥っているのだ。
2001年にブッシュ政権下で成立した同法の中では、「科学的な根拠に基づく」というフレーズが実に111回も用いられているという。
同法は学力を測るため、毎年すべての生徒に対し、読解力と数学のテストを義務づける。前年と比較して進展の度合いを細かくチェックし、基準を満たさない場合、教員の再訓練などを行い、それでも成果が上がらない場合、学校閉鎖という厳しい措置をとる。競争強化により、生徒の学力は底上げされるはずだった。
ところが期待に反して、学力に大きな改善が見られない一方、教育省全体の予算は2015年でおよそ874億ドルと2000年の2倍強に膨らんだ。子供、親、納税者のいずれにも「大きな恩恵」があったとはいいにくい。この不都合な事実について、本書では言及がない。
厳密な物理実験から導いた知見に基づき設計したロケットですら、空中爆発することがある。まして自然科学のような精度の高い実験が事実上不可能な経済は、誤った知見に基づき誤った政策が実行されるリスクが大きい。落ちこぼれ防止法の失敗は、それを象徴的に物語る。
代表的なマクロ経済学者である米国のロバート・バローは1990年代、こう述べている。「景気が思わしくないときに出される質問は決まっている。(1)なぜ景気回復の足取りは予想以上に重いのか。(2)来年の景気はどうなるか。(3)政府は何をすべきか。正しい答えはこうである。(1)わからない。(2)わからない。(3)何もすべきではない」
「科学的根拠」を錦の御旗のように振り回す経済学者は、景気のことに限らず、バローの謙虚さに学ぶべきだろう。
本書の提唱する具体的な政策には、結論だけみれば賛同できるものもある。しかし、たまたま結論が正しいからといって、誤った方法が正しいことにはならない。自然科学を模倣する経済学の倒錯は欧米に端を発する現象だから、著者を責めるのは酷かもしれないが、ベストセラーとなっている本だけに、誤りに気づかず広める罪は小さくない。
(アマゾンレビューにも投稿)
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