搾取しているのは誰か
著者は利潤の最大化をめざす資本主義を批判し、利潤を追求しないパン屋の経営を実践する。利潤は労働者をはじめ、人を搾取した結果だと信じるからである。しかし著者の利潤批判は的外れであるばかりか、自分自身こそ本当の意味での搾取に加担していることに気づかない。
著者が信奉するマルクスによれば、利潤の源泉は資本家による労働者の搾取だとされる。だがそれは間違っている。搾取理論の前提である労働価値説(商品の価値はそれを作るためにかかった労働時間で決まるという説)が間違っているからである。
マルクスを批判したオーストリアの経済学者ベーム=バヴェルクは、資本家と労働者は搾取・被搾取の関係ではなく、他の様々な商取引と同じく、自発的な協力関係にあると指摘した。
高度で複雑な製造過程で商品を作り、販売し、代金を回収するには時間がかかるし、そもそも売れるかどうかもわからない。だが売れるのを待っていたのでは、労働者は生活できない。そこで資本家が前もって賃金を支払い、その代わり将来利潤を得るのである。
著者は修行時代に働いたパン屋について、労働環境が劣悪だったとこぼし、それでもクビにされたら困るので「無茶苦茶に働かされても、文句のひとつ言うことすらできない」と書く。しかし著者自身が認めるように、やめる自由はあったし、実際やめる人も多くいた。かりにマルクスがいうように労働が搾取だとしても、選んだのは本人の意思である。まるで奴隷制のように非難するのはおかしい。
だがすでに述べたように、自発的な意思にもとづく限り、労働は搾取ではない。本当の搾取とは、自発的な意思にもとづかず、他人の労働の成果を強制的に奪うことだ。その典型は、政府による課税である。
皮肉なことに、搾取を何よりも忌み嫌うはずの著者は、この本当の意味における搾取の恩恵にあずかっている。
本書には書かれていないが、出版から一年余りのちの2014年12月、著者は経営するパン屋を岡山県真庭市から鳥取県智頭町に移転すると公表する。その際の公式ブログによると、著者は真庭市から補助金を受けていた(移転に伴い全額返済)。また、移転先の智頭町からも「多大なるご支援」を受けたという。
いうまでもなく、補助金の原資は税金である。つまり著者は、政府が労働者などから搾取したカネの分け前にあずかり、それを助けに事業を営んでいる。そして誇らしげに、自分はいかなる搾取にも手を染めていないと胸を張るのである。
むろん世の中には、政府と癒着して、著者などよりはるかに多額の血税をせしめる業者がいる。しかし少なくとも彼らは、自分が道徳的に正しいとうぬぼれてはいないだろう。
著者にマルクスを読むよう勧めた父は学者で、息子の志をほめつつ、パンの値段が高い(平均400円!)のが問題だと話す。そこで解決策として、「社会的な意義、文化的な意義を評価して、誰もが気兼ねなく買える値段にできるシステム」を作るという教え子の提案を紹介する。財源について父は語らないが、これも税以外にないことは明らかである。
20世紀末に社会主義諸国が崩壊し、誤りが明らかになったはずのマルクス理論は、しぶとい幽霊のように地上を去らず、杜撰な資本主義批判本をベストセラーに押し上げる。少なからぬ知識人やメディアが本音ではマルクスや社会主義への郷愁を捨てきれない現実を考えれば、著者の無知を責めるのは酷かもしれない。
(アマゾンレビューにも投稿)
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