2023-01-15

【コラム】獣というレッテル貼り

木村 貴

ノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏の朝日新聞インタビュー記事第1回のタイトルは「人から獣がはい出したウクライナの戦争」である。これはアレクシエービッチ氏の「ウクライナ侵攻では人間から獣がはい出しています」という発言から取られている。獣という言葉は印象的だ。同氏は別の箇所で、「ドストエフスキーやトルストイは、人間がなぜ獣に変貌するのか理解しようとしてきました」とも述べている。
人間に潜む獣性は、たしかに文学でも扱われる深刻な問題だ。しかしその前提となるのは、獣はあらゆる人間に潜むという普遍的な事実である。ある特定の国民や民族だけの特殊な問題ではありえない。

ところが今回のインタビューを読む限り、アレクシエービッチ氏の目に映る獣は、ロシア人だけである。これまで同氏が語ったエピソードはどれも、信憑性はともかく、ロシア人の残虐さを示すものばかりだ。こういうのもある。「彼ら〔ウクライナ人〕は絶望の淵に立たされています。街が破壊され、人々が拷問を受け、殺されているからです」

ロシア兵による反人道的行為はデマの可能性があることはすでに触れたが、かりに事実としても、それと同様の行為はウクライナ側も行なっている。ウクライナ軍は親ロシアのウクライナ市民に砲撃を加えているし、ソーシャルメディアは規制もあるものの、ウクライナでロシア系市民が「スパイ行為」などへの制裁として柱に縛られ、顔にペンキで落書きをされたり、下半身をむき出しにされたりする映像が流れている。

ウクライナによるこれらの野蛮な行為は、まさに獣の所業としか言いようがない。ところが人間に潜む獣に深い関心を抱くはずのアレクシエービッチ氏は、ウクライナ側の反人道的行為については一言も語らない。「ウクライナ=善」「ロシア=悪」という政治的図式に反し、都合が悪いからだ。

アレクシエービッチ氏は人間に潜む獣という深遠なテーマを掲げてみせるが、結局その背後にあるのは、とにかくロシアを邪悪なものとして描きたいという、政治的な意図でしかない。文学ではなく、プロパガンダである。議論に箔を付けるために名前を出されたドストエフスキーやトルストイにしてみれば、迷惑千万だろう。

獣という言葉によって、アレクシエービッチ氏の議論がなにやら高尚に見える読者もいることだろう。しかし実際は逆だ。特定の国民・民族に獣というレッテルを貼り、非人間的な存在と決めつけることは、過去のさまざまな人種差別を持ち出すまでもなく、きわめて卑劣で危険な行為だ。相手が人間でなければ、どんなに残酷な扱いをしようと正当化されてしまう。

獣というレッテル貼りは、とりわけ戦争中には悪い影響を及ぼす。戦争をやめる和平交渉には互いに妥協が必要だが、相手は獣のように邪悪な存在だという見方がプロパガンダによって国民の間に広まっていればいるほど、妥協は許されず、相手が破滅するまで戦いをやめないという強硬ムードが強まってしまうからだ。

しかし、もし和平交渉を拒み、戦争を長引かせることこそ目的であれば、獣のレッテル貼りは役に立つ。そして事実、アレクシエービッチ氏はインタビュー記事の第2回で、妥協による平和ではなく、あくまでもウクライナの勝利に対する希望を表明するのである。

「今、何がウクライナの人々のよりどころになっているのでしょう」という記者の質問に対し、アレクシエービッチ氏はこう答える。

私はベルリンで大勢のウクライナ難民と会っています。彼らは皆、まもなくウクライナが勝利すると信じています。なぜなら、国民全員が立ち上がったからです。全てのウクライナ人があらがい、故国を守っています。おそらく、これこそがいま、ウクライナ人が(絶望に)打ち勝ち、耐え抜くためのよりどころなのでしょう。

アレクシエービッチ氏は「国民全員が立ち上がった」「全てのウクライナ人があらがい」とぬけぬけと語るが、これほど露骨な事実の無視はない。すでに説明したように、ウクライナ東部にはロシア系住民がいて、政府から迫害されており、そのためロシアに助けを求めている。これがそもそも2022年2月にロシアが「侵攻」に踏み切った理由の一つだ。けっしてウクライナの「国民全員」がロシアに対して「立ち上がった」わけでもなければ、「全てのウクライナ人があらが」っているわけでもない。

つづいてアレクシエービッチ氏は、「この戦争はどのように終わると思いますか」という記者の質問に対し、こう答える。

私はウクライナが何らかの勝利を収める形で終わると考えています。世界が団結し、ロシアのファシズムに立ち向かうのです。ロシアのファシズムは危険で、ウクライナで止まるとは限りません。プーチンは(ソ連から脱退した)バルト3国やモルドバのことも惜しんでいます。ソ連の全ての断片を惜しんでいるのです。ウクライナが戦っているのは自らのためだけではなく、全世界のためです。

ウクライナとロシアが交渉によって妥協の道を探り、早期に平和を実現するべきだという考えは、アレクシエービッチ氏の頭にはかけらもない。あくまでも「ウクライナが何らかの勝利を収める形で終わる」という道しかない。つまり戦争を続けるということだ。同氏の代表作のタイトルは『戦争は女の顔をしていない』だが、ひたすらウクライナの勝利を念願するアレクシエービッチ氏は、間違いなく戦争の顔をしている。

たんにウクライナが戦争を続けるだけではない。「世界が団結し、ロシアのファシズムに立ち向かう」ことが必要だという。「団結」とは具体的には、すでに西側諸国が実行しているように、武器をふんだんに提供することだろう。さらに踏み込んで、米欧(あるいは日本も)がロシアと直接交戦することも含むのかもしれない。少なくともアレクシエービッチ氏はそれを否定していない。そうなれば核戦争も現実味を帯びる。チェルノブイリ原発事故の遺族の声に耳を傾けてきたというアレクシエービッチ氏が、核戦争につながりかねない紛争激化は容認するのである。

ロシアは「ファシズム」で、ソ連時代の領土の回復をたくらんでいるという。根拠のあやふやなこうした主張をもとに、アレクシエービッチ氏は全世界がウクライナとともに戦わなければならないという。ロシアがファシズムかどうかはさておき、ウクライナでネオナチというファシズム勢力が政府に組み込まれているのは紛れもない事実だ。もしファシズムがそれほど問題なら、西側によるウクライナ支援は即刻停止しなければならないだろう。しかしもちろん、アレクシエービッチ氏はそんなことは一切言わない。

アレクシエービッチ氏は最後まで、「ウクライナ=善」「ロシア=悪」のプロパガンダを、事実を無視して読者に刷り込もうとする。記者から「ウクライナ、ロシア、ベラルーシの3国は、これからどうなるでしょうか」と問われ、「民主的な道を歩み始めたウクライナは、今後もその道を行くでしょう」と答える。

ウクライナは「民主的」だろうか。そうは思えない。今回の戦争が始まる前から、世界で最も腐敗した国の一つといわれ、汚職が横行している。反体制者への嫌がらせ、検閲、批判的とみなした外国人記者の出入りを禁止し、国際人権団体などから批判された。複数の野党系メディアを「ロシアのプロパガンダの道具である」という疑惑のもとに閉鎖した。戦争が始まるとさらに悪化し、ゼレンスキー大統領は野党を非合法化し、いわゆる偽情報を防ぐために全国のテレビ局を一つの組織に統合した。

これらの事実をアレクシエービッチ氏や、インタビューした朝日の記者が知らないはずはない。それにもかかわらず、何も触れず、ウクライナを「民主的」と持ち上げる。こうした欺瞞と偽善に満ちた記事が、正月の目玉企画として日本の代表的新聞の紙面を飾る。文学者とメディアの堕落に対する絶望は深い。(この項おわり)

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