2022-09-07

政府は決して自ら権力を手放さない

経済学者、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
(1927年)

あらゆる政治権力、政府、王、共和制権力は、つねに私有財産を軽んじてきた。すべての政府権力には、その活動に対するいかなる歯止めも認めず、その支配領域をできる限り広げようとする生来の傾向がある。すべてを支配すること、当局の干渉なしに自発的に何かが起こる余地を残さないこと、これがあらゆる支配者がひそかにめざす目標である。私有財産さえなければ……。

私有財産は、個人のために、国家から自由になれる領域を作り出す。権威主義的な意志の働きに歯止めをかける。政治権力と並存し、対抗する他の勢力の発生を可能にする。国家の側からの暴力的な干渉から自由な、すべての活動の基礎となる。自由の種を育む土壌であり、個人の自律、ひいてはすべての知的・物質的進歩の根源となるものである。

生産手段を私的に所有する制度(資本主義)の自由な発展を妨げないよう、自発的に思いとどまる政治権力は、かつて一度も存在しなかった。政府は、やむをえない場合には私有財産を容認するものの、その必要性を認識して自発的に認めることはない。自由主義的な政治家でさえ、権力を手にすると、自由主義の原則を多かれ少なかれ軽んじてしまう。

私有財産を抑圧する制約を課し、政治権力を濫用し、国家の支配の外に存在するいかなる自由な領域も尊重せず、認めない傾向は、政府の強制機構を支配する人々の精神にあまりにも深く根付いており、彼らが自主的にそれに抵抗することは決してできない。自由主義的な政府とは、形容矛盾である。政府には、国民の一致した意見の力によって自由主義を採用させなければならない。政府が自発的に自由主義になることは期待できない。

昔から、あらゆる絶対君主、専制君主、暴君は、資産家階級に対抗し、「人民」と手を組むことを考えた。このシーザー主義(大衆の支持を根拠とする独裁)に基づく体制は、フランスのナポレオン三世による第二帝政のほか、プロシアのホーエンツォレルン家による専制国家がある。プロシア憲法闘争の際、社会主義者ラサールによってドイツ政治に導入された、国家主義・介入主義の政策によって、自由主義的な資産家階級と戦うため労働者大衆を味方につけるという考えを取り入れた。

しかし、あらゆる迫害にもかかわらず、私有財産の制度は存続してきた。政府の敵意も、作家や道徳家、教会や宗教が行った敵対的キャンペーンも、大衆の憤り(それ自体、嫉妬の本能に深く根ざしている)も、私有財産制の廃止に役立ったことはない。他の方法で私有財産制に取って代えようとする試みはつねに、不条理なまでに実現不可能であることがたちまち明らかになった。人々は私有財産制が不可欠であることを認識し、好むと好まざるとにかかわらず、それに立ち戻らざるをえなかった。

それにもかかわらず、私有財産は悪であり、人間がまだ十分に倫理的に進化していない以上、少なくとも当面は排除できないだけだという考えは根強い。政府はその意図と性質に反し、私有財産の存在に甘んじているが、それでも反財産権のイデオロギーに固執し続けてきた。実際政府は、私有財産に反対することは原理的に正しく、そこから逸脱することは、単に政府自身の弱さか、強力な集団の利益への配慮によるものでしかないと考えている。

(次より抄訳)
Governments Never Give Up Power Voluntarily | Mises Wire [LINK]

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