2022-09-24

ローマ帝国の経済を壊した政府

経済学者、リチャード・エベリング
(2016年10月5日)

紀元前449年、ローマ政府は「十二表法」を制定し、商業、社会、家庭生活の多くを規制した。政府は小麦の価格統制も行った。穀物が不足する時期に買い入れ、市場価格よりずっと低い固定価格で販売することにした。前58年、これを変更し、政府はローマ市民にタダで穀物を配るようになった。

その結果、農民は土地を離れ、ローマに集まってきた。当然ローマ周辺の領地では農民が少なくなり、穀物の生産量や市場に出回る量は以前より少なくなったから、問題はさらに深刻になった。奴隷の主人たちは奴隷を解放し、タダで養う財政負担をローマ政府に負わせた。

前45年、独裁者カエサルの時代、ローマ市民のほぼ3分の1が国から無償で穀物の供給を受けていた。

ローマ政府は、小麦の供給による財政コストに対処するため、通貨の切り下げ、つまりインフレに走った。穀物の価格操作、供給不足、財政悪化、通貨切り下げとそれによる物価高は、ローマの長い歴史で絶えず起こっていく。

ローマ史上、最も有名な物価統制は、ディオクレティアヌス帝(244~312年)の時代である。284年、ローマ皇帝に即位すると、ただちに巨額の財政支出に踏み切った。軍隊と軍事費の大幅増、小アジア(現トルコ)の都市ニコメディアに帝国の新首都を建設する巨大な建築事業、官僚制度の拡大、公共事業を完成させるための強制労働の導入などである。

ディオクレティアヌスはこれら政府活動の資金を調達するために、ローマの住民のあらゆる層に対し大幅な増税を行った。その結果、労働、生産、貯蓄、投資が抑制され、商業や貿易の衰退を招いた。

課税では十分な歳入を生み出さなくなると、通貨切り下げに踏み切った。金貨や銀貨の金属含有量を減らし、その金属価値は以前と同じだと主張して、再発行する。そしてローマ帝国の市民や臣民に対し、この価値の低下した貨幣を、表面に刻印された高い価値で受け取るよう義務づける法貨条例を制定したのである。

金や銀の価値が低い法定通貨は、商人に安く買いたたかれるだけである。つまり、市場ですぐに切り下げられてしまった。人々は金銀含有量の多い金貨や銀貨をひそかに蓄え、市場では含有量の少ない貨幣を使うようになった。同じ量の商品を買うのに、より多くの硬貨を渡さなければならなくなった。皇帝が価値のない貨幣を発行するにつれ、物価の高騰はさらにひどくなった。

301年、ディオクレティアヌス帝は有名な最高価格令を定め、穀物、牛肉、卵、衣服、その他市場で売られる品物の値段を決めた。これら商品の生産に従事する人々の賃金も定めた。この統制に違反した者、つまり、規定以上の価格と賃金で販売した者が捕まった場合、死刑となった。

ディオクレティアヌスは、統制により、多くの農民や製造業者は、商人が適正と考える価格よりもずっと安い価格で市場に商品を持ち込む意欲をなくすと考えた。そこで最高価格令では、商品の「ため込み」が判明した者は、商品が没収され死刑になることも規定した。

経済学者ミーゼスが結論づけたように、ローマ帝国が衰退し始めたのは、自由で豊かな社会を創造・維持するために必要な思想、すなわち個人の権利と自由な市場に関する哲学を欠いていたからである。

(次より抄訳)
How Roman Central Planners Destroyed Their Economy - Foundation for Economic Education [LINK]

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