2018年5月7日月曜日

「文明の衝突」の嘘

イスラム過激派によるテロや難民問題をきっかけに、かつて米政治学者ハンチントンが唱えた「文明の衝突」は避けられないとの説が勢いを増している。しかしそれは誤りである。文明・文化の衝突と呼ばれる現象は、実は国家・政治の衝突にすぎない。

現在最も深刻な国際問題の一つであるアラブとイスラエルの対立は、「イスラム教とユダヤ教の宗教的対立」「聖書時代に遡る宿命」などと言われる。だがそれは間違っていると、中東政治を専門とする臼杵陽は『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書)で指摘する。

1948年のイスラエル建国以前、アラブ世界の圧倒的多数派はアラビア語を話すスンナ派イスラム教徒だったが、少数派の中に同じくアラビア語を話すユダヤ教徒が存在した。つまり同じアラブ人(アラビア語を話す者)でも異なる宗教を信仰する者がおり、しかも暴力的な紛争につながることはなかった。

この事実は、アラブとイスラエルの対立が決して二千年来の宿命の対立などではないことを示している。それでは、現在の対立をもたらした原因は何か。それは近代になってナショナリズムのイデオロギーで形成された民族意識だと臼杵は述べる。

本来の宗教文化と近代ナショナリズムは異質である。臼杵によれば、次のような史実がある。

エルサレムにはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の共通の聖域があるが、7世紀にイスラム教徒がエルサレムにやって来たとき、この聖域は荒れ放題だった。なぜなら離散を前提に形成されたユダヤ教の信仰によれば、聖域に入ることは神によって禁じられていたからである。

敬虔なユダヤ教徒からすれば、聖域を排他的に占有することは意味のないことだった。このため、聖地を巡る争いが現在のような領土問題的な紛争をもたらすことはなかった。

ところが民族と領土を結びつける19世紀的な新しい考え方であるナショナリズムが登場すると、特定の土地は特定の民族あるいは国家に属さねばならないと考えられるようになる。イスラエルを建国したシオニストと呼ばれるユダヤ人たちからすれば、イスラム教徒が後からやって来てユダヤ教の聖地を占拠するのはけしからんという話になってしまう。

これが現代のアラブとイスラエルの対立をもたらした。文化の違いが暴力的な「衝突」を引き起こすわけではない。土地を領土として排他的に囲い込むナショナリズムこそ、真の原因なのである。

日本でも、シナ人には中華思想があるから侵略者だという言論を目にする。しかし少なくともこれまで、シナが日本を侵略したことはない。文明論を粧った法螺話に惑わされてはいけない。

(2016年7月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

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