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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2022-10-08

アサンジ告訴を取り下げよ

作家、ジェームズ・ボバード
(2022年10月7日)

内部告発サイト「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジは、機密情報を開示したことによる十七件のスパイ活動法違反で、身柄の引き渡しを迫られている。英国がアサンジを米政府に引き渡した場合、連邦裁判所における八百長裁判では、彼が公正な裁判を受けるチャンスはほとんどない。

ウィキリークスが米軍によるアフガニスタンやイラクの民間人に対する犯罪を暴露する数万の文書といくつかのビデオを公開した後、アサンジは米政府から標的にされた。ジョー・バイデン副大統領(当時)は、アサンジを「ハイテク・テロリスト」と糾弾した。

連邦政府機関は、ウィキリークスの公開した情報が虚偽だと証明できなかった。文書をリークしたブラッドリー・マニング米軍上等兵の軍法会議では、検察はウィキリークスの公開した情報が、アフガンやイラクで誰かの死につながったと証明できなかった。バイデンでさえ2010年に、ウィキリークスの暴露による「実質的な被害はないと思う」と認めている。しかしアサンジは、米国民から真実を隠す米政府の神聖な権限を侵したから、有罪なのだ。

米政府の為政者らはアサンジを非難し、アフガン紛争で米軍の作戦を拡大させた。残虐行為は続き、アフガン国民を米軍・政府の傀儡とみなされたアフガン政府に敵対させることになった。2021年、アフガン軍がトランプの家のように崩壊した際、米政府の為政者らはタリバンの電光石火の勝利に唖然とした。しかしそのようにショックを受けたのは、ウィキリークスの明らかにした真実を無視したからにほかならない。

2019年にアサンジに対する連邦訴追が発表された際、ニューヨーク・タイムズは社説で、「憲法修正第1条(報道の自由)の核心を直撃しようとするもの」であり、「何世代にもわたって実践されてきた米国のジャーナリズムに冷や水を浴びせる」だろうと断じた。残念ながら米国人と外国人は、米国の海外介入に関する長年にわたる隠蔽工作のために、苦しみ続けている。

バイデンはソマリアで米国の爆撃を強化した。私たちは一体誰を殺しているのだろうか。それは秘密だ。米政府はシリアのどのテロ集団に資金援助をしているのか。それは秘密だ。なぜ米国はイエメン市民に対するサウジアラビアの残虐行為を支援し続けているのか。それは秘密だ。

そして、現在進行中の最大かつ最も危険な秘密作戦、ロシア・ウクライナ戦争への米国の介入がある。人々がロシアを非難し、ウクライナを支援するのはいいが、米国を核戦争に巻き込む恐れのある白紙委任状に米政府の為政者が値すると信じているのだろうか。米中央情報局(CIA)のアナリストや国防総省の役人は、ウクライナ紛争における米政府の行動が、大惨事に至る悪循環を招くかもしれないと警告しているだろうか。残念ながら米国人は被害が発生するまで、そのような内部文書を知ることはないだろう。そしてもし大惨事が起きたら、イラク戦争後と同じようなペテンが見られるだろう。上院の何かの委員会で、政府の全員が「集団思考」の犠牲者だから、誰も悪くないとほざくのだ。

連邦政府の検察は、アサンジが「機密」情報をリークしたと強調する。しかし連邦政府機関は、毎年何兆ページもの新たな「機密」情報を作り出している。機密扱いの情報はすべて、暴露すれば国家を呪ったことになる、政治上の聖なる遺物のように扱われる。

秘密主義の蔓延は、政府の信頼失墜を説明するのに役立つ。今日の米国人は連邦政府よりも、魔女や幽霊、占星術を信じるだろう。アサンジの剥製を司法省の戦利品棚に追加したところで、米国をこれほど多くの大失敗に引きずり込んだ政治支配層に対する不信感を解消することはできまい。

アサンジの罪は、政府の愚行、詐欺、犯罪を暴露して政府を困惑させた「不敬罪」である。アサンジは数年前、「戦争が嘘によって始められるなら、真実によって止めることができる」と宣言した。バイデン政権がアサンジに対する告訴を取り下げれば、過剰な秘密主義を真剣に終わらせるつもりがあると証明する、最善の方法になる。

(次より抄訳)
Julian Assange and Our Impunity Democracy | Mises Wire [LINK]

2022-10-07

プーチン対ディープステート

戦略コンサルタント、オスカー・シルバ・バラダレス
(2022年10月5日)

先日行われたウクライナ四地域のロシア加盟式典で、プーチン大統領は、現在のロシアの苦闘の理由、敵の性格と正体、さらに重要なこととして、ウクライナで進行中の軍事衝突を超えてロシアが西洋と対峙する、次の段階への土台を築く演説を行った。 プーチンは演説の中で現在の戦いを、ロシアが中心となりディープステート(闇の政府)に立ち向かう世界規模の戦いだとはっきり定義した。ディープステートは西側を牛耳る究極の存在で、軍事、経済、文化、社会などあらゆる手段を用いて世界一極支配を維持しようとしているという。

プーチンの言葉は、西側諸国、グローバルサウス(南半球を中心とする途上国)、ロシアという三地域の聴衆に向けられた。プーチンは中世の歴史に立ち返り、帝国主義戦争、人種差別、奴隷制を通じた米州、アジア、アフリカにおける西洋の資源開発、植民地主義の起源と影響を思い起こさせた。 また、20世紀における米国とその同盟国による軍事行動、第二次世界大戦末期のドイツと日本、1950年代の韓国、1960〜70年代のベトナム、最近のイラク、リビア、シリア、アフガニスタンにおける冒険の失敗について触れた。さらに、1990年代のロシアの悲惨な日々や、ロシアをまとまりがなく無抵抗で、天然資源を安く貢がせるカモにしようとする欧米列強の試みも取り上げた。ロシア人へのメッセージは、民族主義的、宗教的な色彩が強く、人口減少の脅威に対する呼びかけとして、伝統的家族観の擁護に触れた。また、西側諸国が自己保存と覇権の目標を達成するために使用している重要な手段の一つとして、米国の通貨印刷を挙げ、紙は人間を養うことも暖めることもできないと念を押した。

この演説は、地政学的な大戦におけるロシアの立場を示すものと狭くとらえがちだが、プーチンが行ったのは、国際的な対立を歴史的、文化的に深く位置づけたことであり、世界中に間違いなく訴える。批判する側からすれば、プーチンがロシアを悪意のない存在に描いたのは、第二次世界大戦後、ソ連の司令塔を通じて東欧諸国を服従させた役割を隠す皮肉な策略に見えるだろうが、それでも南側諸国は違った見方をしているはずだ。

プーチンの西側に対する痛烈な攻撃は、複数の武器を組み込んである。まず、伝統的な家族観、結婚観、性愛観に反するグローバリズムにうろたえる、保守層を取り込む。また左派の色彩を帯び、富の格差を悪化させる同じグローバリズムに反対する。さらにリバタリアン(自由主義者)への訴えもあり、西側の生んだ全体主義の例として、緊急事態の強制、メディア統制、他国への制裁発動に言及する。プーチンのおもな標的は米英を中心とするアングロサクソンの体制であり、西側諸国にくさびを打ち込むため、ハンガリーやイタリアなどで共感を得ている主権に焦点を当て、ドレスデン、ハンブルク、ケルン、広島、長崎での第二次世界大戦の爆撃の恐怖を思い起こさせることで、ドイツと日本の伝統的な反戦感情に訴えている。

プーチンの激しい言葉遣いによって、米国はただちに南側諸国に対し、反ロシア制裁に従うよう圧力を強めるだろう。この脅威にうまく対抗するには、ロシアは南側諸国からの支持を失わないためにも、思想を実用的な支援と組み合わせなければならないだろう。貧しい国が重要なエネルギーと食糧資源を利用できるようにしてやるのだ。先日、ウクライナの住民投票を非難する国連安保理決議で中国、インド、ブラジルが棄権したのは間違いなく、これら諸国がロシアの今後の行動に期待したからだ。

冷戦の終結とソ連の崩壊後、社会主義を放棄したロシアは、数十年にわたり南側諸国や西欧の反体制陣営で発揮してきた強力な思想の訴求力を失っている。 今回のプーチンの演説で最も注目すべき点は、思想的な対立を前面に押し出したことである。この新たな戦いは、民主主義、自由、主権を擁護する西側諸国の姿勢が空虚な偽善だと示すもののようだ。反植民地主義と保守主義を組み合わせたメッセージは強力な手段だが、プーチンが遠回しかつ微妙に訴えた、人々の力こそがディープステートに最後に対抗する唯一の手段だという考えは、さらに強力である。プーチンがディープステートを人類の敵とみなしたことは、彼の究極の思想的遺産かもしれない。もし米国が自身をただの普通の国だと認め、自国民の繁栄だけを考えていたら、こんなことにはならなかっただろう。

(下記を全訳)
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : Vladimir Putin’s Battle Cry Against the Deep State [LINK]

2022-10-06

住民投票によるゲームチェンジ

元国連大量破壊兵器査察官、スコット・リッター
(2022年10月3日)

北大西洋条約機構(NATO)はウクライナに数百億ドル規模の軍事支援を行うことで、ロシアのバランスを崩す「ゲームチェンジャー」的な動きを演出してきた。ところがへルソン、ザポロジェ、ドネツク、ルガンスクの各地域で住民投票を実施したことで、ロシアは完全にゲームを変えてしまった。

ウクライナで七カ月以上続くロシアの軍事作戦は、両軍がそれぞれ望む行動方針を変更せざるをえない状況に直面した例を数多く示している。ロシアが特別軍事作戦の初期にウクライナに対し行った「陽動作戦」は、ウクライナ側が東ウクライナで軍を強化することを妨げたし、最近ハリコフ州で終了したウクライナ側の反攻は、ロシアを以前占領していたかなりの範囲から早急に撤退せざるをえなくした。

4月にジョンソン英首相(当時)がキーウ(キエフ)を訪れ、ゼレンスキー大統領にトルコのイスタンブールで行われていたロシアとの和平交渉から手を引くよう説得して以来、NATOはウクライナに数百億ドルの軍事・財政支援を行うための計画に着手した。最新の重火器を提供するほか、西側の施設を使用させ、ロシアの介入を恐れずに数万のウクライナ軍の訓練と組織化を行うなど、その計画は進んでいる。

NATOがウクライナに兵器を投入した目的は単純明快で、紛争を長引かせることに加え、ウクライナ政府とその支持者が同国の占領地と考えているドンバスやクリミアなどの地域からロシアを追い出すため、攻撃的な軍事作戦をウクライナに実施させるためだった。9月初旬のハリコフでの反攻作戦は、NATOの行動の深刻な結果を浮き彫りにした。攻撃したウクライナ軍が受けた人命と物資の多大な損失を考えれば、ハリコフの勝利は割に合わなかったが、それはウクライナの勝利であり、ロシアに撤退を強いるものだった。

ウクライナ軍をウクライナ人が配置されたNATO軍に変身させたことで、米主導の陣営は、ゲームの性質を、ロシア対ウクライナの単純な「特別軍事作戦」から、ロシアが当初戦いに割り当てた軍事資源では不十分な「ロシア対米欧集団」の戦いに変えてしまったのである。

ウクライナ・NATO側が有利になったのだ。

しかしロシアは、NATOのゲームチェンジの動きを静観していたわけではなかった。プーチン大統領は、ウクライナの新しい現実を受け、NATOが主導するこの新しい軍事力増強のゲームに単に参加するのではなく、完全にゲームを変えることを選択したのである。プーチンは特別軍事作戦に現在投入されている部隊を強化するために、約30万人のロシア予備役の部分動員を命じただけでなく、そのときロシア軍が戦っていたへルソン、ザポロジェ(旧ウクライナ占領地域)、ドネツク、ルガンスク(旧ウクライナ地域、2014年から事実上独立)の四地域で住民投票を承認したのである。この住民投票は四地域の市民に、「あなたはロシアの一部になることを望みますか」というシンプルな問いを投げかけた。

五日間にわたる投票の結果、四地域の結果は明らかになった。圧倒的多数で、住民投票の参加者は議案を承認したのである。そしてまもなくロシア連邦に編入された。以前ウクライナだった地域は、母なるロシアになったのである。

ロシアはゲームのルールを変えただけでなく、ゲームそのものを変えてしまった。ウクライナ軍がウクライナ領内でロシア軍と戦うのではなく、今後ウクライナがロシア軍に対して行う戦闘は、ロシア本国への攻撃そのものとなるのだ。

NATOはどうなるのだろうか。NATOの指導者は、ロシアとの直接対決を望んでいないことを、初めから明らかにしている。NATO加盟国は、ウクライナの軍備再建のために数百億ドルの物資を投入し、重要な兵站、情報、通信の支援を行ってきたが、ロシアと直接戦争をする気はなく、むしろウクライナに事実上のNATO代理人としてモスクワに対抗してもらいたいと繰り返し、しつこく表明してきた。

NATOはウクライナ支援に関し、経済的にも政治的にも「全力」で取り組んでおり、加盟国の中には、それぞれの軍事機構から装備や資材をはぎ取ってしまい、何も残らない状態になっている国もあるほどだ。にもかかわらず、欧州の政治・経済界のエリートたちは、ウクライナへの強い支持を表明し続けている。

(次より抄訳)
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : NATO in the horns of a dilemma after former Ukrainian regions vote to join Russia [LINK]

2022-10-05

プーチンを倒すには

ジャーナリスト、ケイトリン・ジョンストン
(2022年10月3日)

私はプーチンを止める方法を知っている。魔法のような戦略を西側帝国にタダでお教えしよう。

早く実行したくてうずうずしているこの計画を明かす前にまず、AP通信の報道を理解しなければならない。それによれば、ロシアのガスをドイツに運ぶために建設されたパイプライン「ノルドストリーム」を破壊した責任が米国にあるというのは、「根拠のない陰謀論」である。この根拠のない陰謀論を広めているのは、ロシアと極右団体だけだ。

「ロシアの政府と国営メディアは、バルト海の天然ガスパイプラインの損害について米国を非難する、根拠のない陰謀論を熱心に広めている。これはアナリストによれば、米国と欧州の同盟国を分裂させるための新たな企て」だとAP通信は伝える。「ロシアの主張の影響は、米国の保守派や極右団体に人気のあるソーシャルメディアの場にも及んでいる」という。

APのこの情報は、米国犯人説を広める者はロシア人か極右しかいないということを知らない多くの人にとって、驚きかもしれない。例えば、ポーランドの元外相で欧州議会議員のラデク・シコルスキは、米国がパイプラインを爆破してくれたとおおっぴらに感謝したのである。

「根拠のない陰謀論」という報道は、次のような事実を知る人にも驚きだろう。バイデン大統領とヌーランド国務次官が、ロシアがウクライナに侵攻すればノルドストリーム2を止めるとはっきり言ったこと。米国がノルドストリーム2の建設者(ロシア)に制裁を加えたこと。米政府の内部関係者が、欧州がロシアからのパイプラインよりも北米のエネルギーに依存するよう望むと公言していること。怒ったドイツ人が、米主導のロシア制裁の終了とノルドストリームのガス再開を求め始めていたこと。米海軍が最近、パイプラインが攻撃された場所で無人潜水機の訓練をしていたこと。過去にもロシアのパイプラインの近くで爆発物を積んだ無人水中車が発見されていること。ポーランドがノルウェーからデンマークとバルト海を経由してガスを輸送するガスパイプラインをまさに開通させたばかりであること。爆発の直前、米軍のヘリコプターが二つの爆発地点の間をノルドストリーム2のパイプラインに沿って移動した記録があること。アメリカ帝国は欧州を含め、みずからの世界覇権に挑むことのできる国が現れないようにするという、明確な政策を持っていること。米中央情報局(CIA)はロシアのガスパイプラインを爆破した過去が知られていること、等々である。

しかし、ニュースになっているのだから、間違いなく事実なのだ。嘘をつくことは許されない。アメリカは無実なのだ。

それでは、米政府またはその帝国の代理人がロシアのパイプラインの破壊に関係していたかもしれないと信じるのが、狂った陰謀論だとしたら、誰が破壊したのだろうか。

あまりに常識に反するので肝をつぶすかもしれないが、答えを申し上げよう。ロシアだ。

つねに公平で完全に信頼できる専門家たちが、そう言っているのだ。「ロシアが最も怪しい容疑者だ」という元CIA長官ジョン・ブレナンや、自分が「狂人」であることを世界に示すため、プーチンがパイプラインのバルブを閉める代わりに爆破したと言う、北大西洋条約機構(NATO)系シンクタンクのアレクサンダー・バーシュボーらである。

さて、プーチンを打ち負かす私のみごとな戦略を聞く準備はできただろうか。それは、プーチンがロシアの残りの地域を爆破するのを、ただ黙って待つことだ。

結局のところこの狂人は、ニューヨーク・タイムズ紙によれば、すでに支配している原子力発電所を砲撃するよう軍隊に命じている。もしプーチンがわけのわからないことを口走る、理性のない狂人で、狂気の沙汰という以外の理由もなく、自分のものを爆破するのを楽しんでいるのなら、ただ一歩下がって放っておけば、きっとすぐにロシアを瓦礫の山にしてしまうだろう。

プーチンの自滅が楽しみだ。

(次より抄訳)
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : How To Defeat Putin [LINK]

2022-10-04

政府による災害

元米連邦下院議員、ロン・ポール
(2022年10月3日)

先週、米連邦議会は予算継続決議を可決し、中間選挙終了まで休会となった。議会が再開されれば、ハリケーン「イアン」の被害を受けた人々に対する数十億ドルの支援策がほぼ間違いなく可決されるだろう。この支出はおそらく「緊急」と銘打たれるため、議員たちは優先順位の低い他事業の削減で新たな支出を相殺するふりをする必要もあるまい。

議会で災害救助への支出を他事業の削減で相殺できないことが、私が議員時代、たとえそれが自分の選挙区で起きた災害のための支出であっても、つねに災害援助に反対票を投じた理由の一つである。もちろん、反対の理由はそれ以外に、災害救助が他の所得再分配政策と同様、違憲かつ非道徳でもあるからだ。

災害救助に反対すると、事務所に有権者から怒りの電話がかかってきた。しかし数カ月もすると、その有権者の多くが、米連邦緊急事態管理庁(FEMA)とやり取りした後、また電話をかけてきて、被災者は連邦政府の「助け」がないほうがいいと気づいたと言う。

連邦政府が運営する災害救助は、効率的でもなければ、思いやりのあるものでもない。私の事務所でも不満を募らせた人たちからよく耳にしたのは、連邦政府の援助が遅れたせいで建て直しの計画が延び延びになっていると言う話だ。

FEMAが被災者を不当に扱ったというひどい話も、私と職員は数多く耳にした。たとえば、ハリケーン「アイク」で屋根が壊れた家に防水シートをかけるはずだったFEMAは、隣の家の屋根に問題がないにもかかわらず、その家に防水シートをかけてしまった。防水シートが必要な家の所有者がFEMAに電話したところ、間違いを正すために人を派遣するには数週間かかると言われた。家の所有者が近所の人の助けを借りて自分で防水シートを移動させるとFEMAに伝えたところ、承認なしに防水シートに触れた者は、罰金を払わせられたり刑務所に入れられたりするかもしれないと言われた。

ハリケーンの直後には、自分の土地に入るのを政府職員が邪魔しているという苦情を聞いたこともある。もちろん、こうした規制はすべて「国民のため」だと言われた。

FEMAのお粗末な対応は、災害救助の権限を大規模で中央集権的な官僚機構に委ねた結果、当然生じたものだ。したがってこの問題は、人事異動やFEMAの手続きの更新・合理化によって解決できるものではない。むしろFEMAを廃止し、災害救援の責任を個人、地域社会、市民・慈善団体に戻すべきである。個人が自然災害からの復旧にかかる費用の100%を所得税から控除できるようにするべきである。自然災害の被害を受けた企業にも、寛大な税制上の救済措置がとられるべきだ。非課税の貯蓄口座は、米国民が自然災害の際に使う資金を蓄積するのに役立つだろう。

1900年、テキサス州ガルベストンは巨大なハリケーンに襲われた。当時はFEMAなどの連邦災害救済制度がなかったにもかかわらず、ガルベストンの人々は何とか町を再建することができた。この事実は、災害復旧に連邦政府が関与する正当な理由がないことを証明している。連邦政府はFEMAを廃止し、災害救助の責任を国民に返すべきである。議会はまた、福祉と戦争による政府の肥大化を終わらせ、憲法修正第16条とそれに伴う所得税を廃止し、連邦準備銀行を監査・廃止することによって、国民が自分の面倒を見るための資源を確保するべきだ。

(次を全訳)
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : Americans Suffer from Natural and Government-Created Disasters [LINK]

2022-10-03

戦争のコストを隠すインフレ政策

経済学者、ジョセフ・サレルノ
(2021年8月21日)

戦争のコストは膨大である。インフレ(通貨供給量の膨張)は、政府が国民からこのコストを隠そうとする手段である。戦争は兵士の生命と身体を破壊するだけでなく、交戦国の蓄積された資本ストックをじわじわと消費することによって、結局は民間人の生命を縮め、粗末にする。

戦争によって生産的な富が甚だしく破壊される事実は、もし開戦の際、政府に増税以外の手段がなければ、たちまち明らかになる。政府は貨幣供給を自由に膨張させる能力によって、物価、利益、賃金の上昇、金利の安定、株式相場の好況というベールの下に、その破壊を隠すことができるのだ。

国民は、貨幣供給量の膨張が物価全般の上昇として現れた後でも、物価高の原因は必要資材の一時的な不足のせいだとか、悪徳な戦争成金や転売屋の策略だと誤解する可能性がある。しかし軍産複合体と無関係な労働者や投資家が、通貨価値の下落が戦争経済につねにつきまとう特徴だと認識し、実質賃金の侵食と利益の幻想をはっきりと痛感するのは、時間の問題にすぎない。

政府は、戦争費用を正しく計算する日をさらに先延ばしにするために、価格統制を実施する。価格統制によって生じるのが避けられない、品物や労働力の不足と非効率の結果、政府は生産、流通、労働に対する統制を必死に導入して急拡大し、市場経済とその資本構造はほとんど残らないまでになる。この過程の最終結果は、生産資源がまだ名目上、私的に所有されているにもかかわらず、国家が事実上すべての重要な生産決定を行う権限を奪い取った経済である。すべてを覆う戦争経済は結局、ファシズム経済にたどり着かざるをえない。

米ジャーナリスト、ジョン・フリンは「悪いファシズムとは、戦争で我々の敵になるファシズム政権である。良いファシズム政権とは、我々の味方である」と書いている。しかし、すべての戦争経済は、結局はファシズム経済であり、そうなる運命にある。

インフレは、戦争に伴う膨大なコスト、とりわけ国家が生産的富をしだいに破壊する事実を、政府が国民に隠そうとする手順の重要な第一段階である。インフレは、戦争動員によって引き起こされた資本減少の危機を覆い隠すために欠かせない。さもなければ、資本の破壊は貨幣計算によってすぐに明らかにされる。インフレが現実の経済にベールをかけていなければ、戦争がもたらすとされる栄光に対する国民の熱狂は、金利高騰、株式・債券相場の急落、企業倒産、取り付け騒ぎの蔓延によって、急激に損なわれるだろう。財産没収に等しい内容と税率の税が課されることになるのは、言うまでもない。

通貨供給量の膨張が戦争の実質コストを覆い隠す手段になるという事実は、価値中立な経済理論からの推論であり、戦争は通貨膨張以外の財政手段で賄われるべきだという価値判断を論理的に含意するものではない。戦争資金をどのように調達すべきか、また、戦争を行うべきかどうかは、政治倫理理論に照らしてのみ解決されうる問題である。もちろん、そうした理論が広義の「帰結主義」(行為を道徳的に判断する際に、その行為から生じる結果を考慮に入れる立場)であり、政府の諸政策の結果に関する経済学および他の関連科学の明確な結論を、その定式化において考慮に入れることを否定しているのではない。

実際、オーストリア学派経済理論によれば、「公共財」の概念そのものが成り立たず、国防は他の望ましい財と同じく、市場経済によって最も効率的に供給することができるし、供給される。ここから導かれるのは、地域の犯罪者や外国の侵略者に対する身体・財産の防衛は自由な市場経済に任せるべきだという、政治倫理論の構築である。

(次より抄訳)
War and the Money Machine: Concealing the Costs of War beneath the Veil of Inflation | Mises Institute [LINK]

2022-10-02

「もの言う」江戸の百姓たち

「もの言う株主」がしばしば経済ニュースをにぎわす。「もの言う」態度がニュースになること自体、沈黙を美徳とし、あからさまな自己主張を差し控える日本社会の特質を示しているのかもしれない。

しかし、日本人は昔からそうだったわけではない。江戸時代の人口の約八割を占めた百姓たちは、武士に一方的に支配される無力で弱い存在というイメージが強い。しかし、じつは村のルールを自分たちで決め、自分の利益を守るためなら積極的に訴訟を起こし、ときには支配層である領主たちに敢然と自己主張するたくましい人々だった。

言いなりにならない江戸の百姓たち: 「幸谷村酒井家文書」から読み解く

まず、村のルールを見てみよう。近世の村社会を特徴づけるのは村掟である。村はどこでも自分たちの手で掟を作っていた。農業用水や共有山の利用から日常生活にいたるまで、緊密な連携を必要とする農業社会にあっては、 他所からの奉公人を含むすべての村構成員を統制し、違反者に対して制裁を加えるルールが必要だった。

たとえば1662(寛文2)年、近江国蒲生郡の三津屋村で定められた村掟では、「2月1日から11月1日までの間は、木の葉の掻き集めをしてはいけない。もし盗み掻きした者は、米五升の罰とする」などと定めている。

この村では米五升が制裁の標準だったが、各地の村では掟に違反した者に対する制裁を取り決め、実際に執行していた。制裁の種類はおおむね追放刑を頂点に、付き合い禁止(村八分)、見せしめ刑、罰金刑から構成されていた。

見せしめ刑には、坊主にして謹慎させる、片鬢を剃り落とし赤頭巾を着せて葬式行列の前に立たせる、人前に出る時は赤頭巾を被せるなど各種あった。なかには前代以来の慣習と思われる「耳を削ぎ追放する」といった過酷な制裁を掲げる村もあった(水本邦彦『村——百姓たちの近世』)。

次に、訴訟の実態を見てみよう。戦国時代までは、村々は自力で自村の領域を守っていた。そこでは村同士の話し合い、近隣の有力者の仲介を得ての交渉、ときには武器を取っての実力行使など、さまざまな手段がとられた。

それが江戸時代に入ると、泰平の世のもと実力行使が禁止される一方で、幕府・領主への訴訟が紛争解決手段としてきわめて大きな意味をもつようになった。訴訟に勝てなければ、自村の領域を維持できない時代になったのである。

百姓たちは、訴えたいことがあると、幕府領の百姓なら自分が住む村を管轄する代官所、大名領(藩領)なら藩の農政担当部局である代官所や郡奉行所に訴え出た。領主が異なる村・百姓間の争いは幕府が裁いた。

百姓・町人が領主に提出した訴状は、「恐れながら……願い上げたてまつり候」という言葉から書き始められることが多い。江戸時代の庶民は、民事紛争の解決を領主に要求する権利をもっていたわけではなく、庶民の訴訟は「お上の手を煩わす」ものとされていたのである。領主が訴訟を受理することは、領主の義務ではなく、お慈悲だった。

けれども、こうした建前にもかかわらず、実際には百姓たちは武士たちが辟易するくらい頻繁に訴訟を起こした。百姓たちは、「お上の手を煩わす」ことを恐れはばかってばかりはいなかったのである(渡辺尚志『百姓たちの山争い裁判』)。

とくに水は、飲料水・生活用水であるとともに、農業用水としても不可欠だった。このため水不足の年などには、同じ川から農業用水を取水する村々の間で、水をめぐる争いが起こった。たとえば、上流部の村が多く取水したため、下流部の村まで水が行き渡らなくなり、下流部の村が上流部の村に抗議するといったケースである。

今でも、互いに自己主張して譲らず、延々と言い争うことを「水掛け論」というが、これは百姓たちが互いに自分の田に水を引こうとして、一歩も譲らず争ったことからきた言葉である。

複数の領主が錯綜して村々を支配しているところでは、用水をめぐる村々の争いに複数の領主が関係することになる。領主の異なる村々が争った場合には、訴訟は幕府に持ち込まれる。しかし、幕府の担当部局も一元化してはいなかった。

そこで村々の側も、願いを聞き届けてくれそうな役所を選んで願い出ることがあったし、それでもだめなら江戸の評定所(現在の最高裁判所にあたる幕府の機関) に訴え出ることも辞さないといった、したたかさを持ち合わせていた(同『百姓たちの水資源戦争』)。

百姓たちは、訴訟で互いに争っていただけではない。支配階級である武士に対しても、自己の利益を守るためには堂々と自己主張した。

近江国蒲生郡の鎌掛村で1758(宝暦8)年から庄屋を務めた平蔵が残した記録によれば、領主への願書や届書の中でも最も多いのは、納税に関するものである。平蔵の庄屋時代は、年貢徴収方法は毎年の作柄を調査して年貢額を決める検見取りだったが、この件に関して何通かの願書を提出している。

たとえば、「蒲生郡村々の早稲方の見分をお願いします。今年はことのほか永旱(ながひでり)で、例年より赤らみが早いようです。ことに山方村は猪鹿の制動(制圧)に難儀するので、今月20日頃に御出でくださり御見分ください」とある。

百姓と領主役人との間で、日程や方法をめぐって折衝が続く。どの時点でどのような検見を受けるかは、百姓たちにとって稲刈り、収穫作業に関わる最重要のテーマだった。

年貢額そのものに関する願書もたびたび提出された。宝暦8年9月には、じつに八十年も前からの経緯を述べながら、年貢の減額を願い出ている。庄屋平蔵たちは古い文章を博捜して、根拠資料を調べあげたのである。こうしたデータにもとづいての願い出は一定程度効果を上げたらしい(水本前掲書)。

さらに一歩踏み込んで、百姓が武士の罷免を求めるケースもあった。

1773(安永2)年、春日氏の知行所(領地)常陸国真壁郡赤浜村など六カ村が共同で、18世紀後半以降、財政赤字が増大し、安永2年当時約400両の借金を抱えて苦しんでいた春日氏に対して、その負債内容を村々に公開させたうえで、支出削減などの財政再建策を行うよう、具体的な金額をあげて提案した。

提案には、春日氏の家臣の人員削減も含まれていた。百姓が武士のリストラを要求しているのだ。さらに、財政収支を知行所村々が管理して収支のバランスを適正化し、確実に財政健全化を図ることとされた(渡辺尚志『言いなりにならない江戸の百姓たち』)。

もちろん武士と百姓という身分の違いは歴然としているものの、武士が百姓を一方的に搾取したという江戸時代のイメージとは大きく異なる。税・社会保障の負担にじっと耐える現代の日本人は、むしろ江戸の百姓たちを見習い、政府に「もの言う」姿勢を示してみてはどうだろうか。

<参考文献>
  • 水本邦彦『村 百姓たちの近世』(シリーズ 日本近世史 2)岩波新書
  • 渡辺尚志『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』草思社文庫
  • 渡辺尚志『百姓たちの水資源戦争:江戸時代の水争いを追う』草思社文庫
  • 渡辺尚志『言いなりにならない江戸の百姓たち: 「幸谷村酒井家文書」から読み解く』文学通信

2022-10-01

英雄エドワード・スノーデン

元裁判官・コラムニスト、アンドリュー・ナポリターノ
(2022年9月29日)

トランプ米政権が1917年スパイ活動法違反でエドワード・スノーデンを起訴したとき、合衆国憲法修正第4条(不合理な捜索・押収・抑留の禁止)の意味を信じる人々の多くは政府を強く批判したし、現在もそれに変わりはない。今週、スノーデンは米国籍を保持したまま、ロシア国籍を取得した。

スノーデンは米中央情報局(CIA)および国家安全保障局(NSA)の元工作員であり、NSA と連邦捜査局(FBI)が米国のあらゆる人物に対し行っている、令状のない大量の無差別スパイ活動を内部告発した人物である。

このスパイ活動は、米国内外に送信されるすべての光ファイバーデータを捕捉することで成り立っていた。令状も取らず、対象も特定せず、したがってスパイ行為は無差別であり、あらゆる人の通信を捕捉した。政府は憲法修正第4条の定めに反し、わざわざ証拠を探し出し、正当な理由があると認めた者だけを標的にすることはなかった。

1970年代初め、米議会は外国情報監視法(FISA)に基づく裁判所を創設した。このFISA裁判所は、政府の弁護士だけが出席して秘密裏に会議を開き、その判決のほとんどすべてを他の裁判官にも秘密にし、独自に作り上げた「相当な理由」という基準を用いる。その基準とは、監視令状の必要条件として、外国人と通信している相当な理由があるというものだ。この基準は憲法に大きく反する。

あなたがカナダの従兄弟や英国の書店員に電話をかけたとして、この恐ろしい法律の下で、FISA裁判所は NSA や FBI があなたのすべての通信を捕捉することを可能にするのだ。この「すべて」というのがミソで、監視の対象は従兄弟や書店員だけでなく、通信相手のすべてに及ぶ。

ジョージ・W・ブッシュ大統領は、2006年と2007年に立法を強行し、通信会社とインターネットプロバイダー会社に対し、FISA裁判所が出した令状に従ってFBIへの協力を強いる代わりに、責任から免除することを決定した。

スノーデンの暴露によれば、NSAとFBI がFISA裁判所から令状を取得するものの、それは大量の無差別無令状スパイ活動を行うための隠れみのにすぎない。NSAとFBIは法律を守るよりも、法律を破って令状なしでスパイするほうが簡単なので、FISA裁判所の利用はほとんど形だけであり、必要ないのである。

NSAとFBI の違憲で犯罪的なスパイの規模には、愕然とする。スノーデンのおかげで、FBI が収集した全データを印刷すれば、毎年、国会図書館の27倍の容量を満たすことがわかった。これは憲法修正第4条に反するので違憲である。たとえ大統領の許可があったとしても、コンピューター・ハッキングにあたるので犯罪である。

スノーデンはCIAとNSAで仕事を始めた際、二つの宣誓をした。一つ目は、上司から秘密だと言われたことは何でも秘密にすること。これにはおそらく、NSAが収集したデータだけでなく、そのデータすべてを取得するために用いた違憲で犯罪的な手段も含まれる。

スノーデンが行った二つ目の宣誓は、憲法を守ることだった。これは憲法の条文だけでなく、条文の根底にある価値観も意味する。

誓った法的義務が衝突したとき、どうすればいいのか。二つの誓いが根本から相反する場合、人はどのように遵守すればよいのだろうか。政治家やスパイに対する宣誓と、憲法の理想に対する宣誓とでは、どちらが偉大で上位の宣誓なのだろうか。

歴史の教えによれば、偉業にはしばしば挑戦が必要となる。スノーデンは米国務省からパスポートを無効にされ、モスクワの空港で立ち往生した際、「声(言論の自由)を失うよりは国籍を失うほうがましだ」と発言した。今日、スノーデンは祖国から追放された米国人である。しかし、彼は歴史的な偉大さの象徴であり、真実を求める英雄がしばしば耐えなければならない苦難を思い起こさせる存在であり続けている。

(次より抄訳)
Edward Snowden: An American in Moscow - Antiwar.com Original [LINK]

2022-09-30

バイデン国連演説のファクトチェック

ライター、テッド・スナイダー
(2022年9月27日)

バイデン米大統領は9月21日、国連総会で演説を行い、冒頭、「武力によって隣国の領土を奪うことを明確に禁止する、国連憲章の中心的な原則」にロシアが違反していると非難した。

それが国連憲章の中心的な原則であるのは、そのとおりである。しかし、この原則が破られたのは今回が初めてではない。そして過去には、米国はそのような違反を擁護してきた。

米国は(イスラエルによる)ゴラン高原の領有を承認している。また、あまり知られていないが、(モロッコによる)西サハラの領有を承認している。ほぼ半世紀前、モロッコは西サハラを武力で奪い、自国の一部とした。国連も国際司法裁判所も、西サハラの自治権を認める判決を下している。しかし米国はトランプ政権時代に、西サハラをモロッコの一部と公式に認めた。バイデン政権は、その認識を覆すことを拒否している。

ロシアがウクライナのドンバス地方を武力で奪ったというのも、そう単純な話ではなさそうだ。2014年、ドンバス地方はウクライナからの独立を宣言した。ロシアはその独立を認めなかった。ロシアは2014年にクリミアの住民投票を受け入れたが、プーチン大統領はドンバスで同様の住民投票が行われるのを防ごうとした。(英政治学者)リチャード・サクワによると、「プーチンがクリミア式の地域併合を望む気配はほとんどなく、ロシアの一部として領土を受け入れるという要求を繰り返し拒否した」という。

フランスとドイツが仲介し、ウクライナとロシアが合意し、米国と国連が受け入れた2015年のミンスク合意2は、ドンバス地方に完全な自治権を認めながら、平和的にウクライナに返還するものであった。

ウクライナはミンクス合意の履行を拒否した。そして(ウクライナの外交イニシアチブである)クリミア・プラットフォームは、必要とあらば軍事力に訴え、クリミアを再統合すると公約した。(2022年2月に)ロシアがドンバスとの西側国境に軍を増強する前に、ウクライナはドンバスとの東側境界に沿ってドローンミサイルを完備した6万人の精鋭部隊を集結させていた。ロシアには、ウクライナが7年前の内戦を激化させ、ロシア系民族の多いドンバス地方に侵攻しようとしているという「真の警戒感」があったのである。

2022年2月、欧州安全保障協力機構(OSCE)の国境監視団が気づいたように、ドンバスへのウクライナの砲撃が著しく増加し、警戒が強まった。サクワによると、停戦違反のほとんどはウクライナのドンバス側で激増していた。国連の資料によると、民間人の死傷者の81.4%が自称「共和国」(ドンバス地方のドネツク州、ルガンスク州)で発生している。ロシアは、公約された軍事作戦が始まったと恐れた。

誰がドンバスを攻撃し、武力で領土を奪ったのか、誰がドンバスの人々を守ったのかは、バイデンの述べた物語よりも複雑な問題である。

バイデンは、ドネツク、ルガンスク、ザポロジエ、ヘルソン各州で計画されているロシア連邦加盟に関する住民投票を、「ウクライナの一部を併合しようとする偽りの住民投票」と呼び、「国連憲章のきわめて重大な違反」であるとした。

しかし2008年、コソボが住民投票すら行わずにセルビアからの独立を一方的に宣言した際、米国は度重なる国連決議に反してその宣言を承認した。

バイデンは9月18日の米テレビ番組「60ミニッツ」で、「台湾は独立について自分で判断する。〔略〕それは台湾が決めることだ」と自論を繰り返したが、その主張は、東ウクライナの住民投票は「国連憲章のきわめて重大な違反」という彼自身の主張と矛盾する。これでは、米国が推進する「ルールに基づく国際秩序」とは、米国が自分の都合しだいで国連憲章を押しつけたり回避したりしているだけではないかという、ロシアと中国の疑念を裏付けるようなものだ。

(次より抄訳)
Fact-Checking Biden's UN Speech - Antiwar.com Original [LINK]

2022-09-29

テロリストの勝利

ミーゼス研究所編集主任、ライアン・マクメイケン
(2019年9月11日)

2001年9月11日、テロリストが世界貿易センタービルと国防総省に飛行機を飛ばした。数時間後、2900人以上が死亡し、その大多数がニューヨークの世界貿易センターの民間オフィスビルにいた。

24時間以内に、米国政府はその得意とするところを発揮した。さらに権力を求め、巨大な軍事・国家安全保障機構(その会計年度内に5兆ドル以上を受け取っていた省庁群)を利用するための計画を練り始めたのである。

9・11テロで米国の国家安全保障が破綻したとき、重要な責任者は誰一人、職を失わなかった。

注目すべきことに、9月11日に国家安全保障の提供に完全に失敗したのと同じ人々が、9月12日に安全保障の提供を任された。ただし、その人々や政府機関には、より大きな権力と予算が与えられ、法的・公的な監視の目がこれまで以上に行き届かなくなった。

11月までに、連邦政府は自分の無能さに対し、早くも惜しみなく報酬を与えた。議会は愛国者法を可決し、大統領はそれに署名した。この法律は、アメリカの法体系を一変させ、すべての米国人をテロリストの容疑者とし、政府職員による監視の対象とするものであった。ワシントンの政治家たちは、さらに別の連邦政府機関、国土安全保障省を設立した。国防総省は米国の「国土」以外の防衛に従事しているかららしい。

米国民に対するこの戦争は、9月11日の爆撃事件とはまったく関係のない国家を含む、他の国家に対する通常の銃撃戦によって補完された。例えば、イラクへの侵攻は、ホワイトハウスと中央情報局(CIA)長官ジョージ・テネットによって操作・歪曲された情報に基づいて行われた。イラクは米国にとってまったく脅威ではなかった。しかし、米政府は戦争が大好きで、9・11の後、米国民は何でも信じようとしたようである。だから政治家たちは戦争を始めた。それ以来、多くの戦争が起こっている。

一方、米国内では政府が、権利章典を尊重するという政府よりも、中国を手本にしたようなものに変貌しつつあった。

今日の米国では、誰もが潜在的なテロリストである。国はつねに戦争状態にある。「国家安全保障」のために、米国民は裁判を受けることなく、ドローン(無人機)で殺される。あるいはグアンタナモ収容所に投獄され、忘れ去られる。

テロ事件後、米国民がしょっちゅう言われたのは、日常生活を続けなければならない、さもなければ「テロリストが勝つ」ということだった。しかし、米国を最も変えたのは、テロリストたちではなかった。米国にとって、9月11日以降の世界は、捜索の拡大、規制の増大、監視の強化、負債の増大、「軍隊の支援」、「我々の仲間かテロリストの仲間か」に関する果てしない演説を意味した。「犠牲を払わねばならない」と言われた。「自由」がそれを求めているというのだ。

何か良いことはあったのか。今のところ、あったと信じる理由はない。とくに連邦政府は、すべてが秘密、機密であり、公開に適さないものだと主張しているので、証拠は提供されていない。「政府を信じてください、政府はあなたの安全を守っています」というのが、つねに繰り返される言葉だ。なぜか、多くの人がそれを信じている。

一方、連邦政府自身は何も犠牲にしていない。連邦政府にとって、いつも欲しがっていたものが増えただけなのだ。より多くの税金。より多くの権力。投獄・監視・課税・捜査・統制のための、より自由な権限。9・11での大失敗は、何の変化も、何の改革も、何の説明責任も生まないままであった。政府にとっては、すべてが良くなったのだ。

米国の自由の破壊がテロリストの望んだことであるなら、テロリストもまた望んだものを手に入れたのだ。

(次より抄訳)
America After 9/11: The Terrorists Won | Mises Institute [LINK]

2022-09-28

自由な企業活動が世界を良くする

ケイトー研究所主任研究員、マリアン・テューピー
(2017年3月2日)

特許専門家スティーブン・ヴァン・ダルケンは2002年に出版した本で、20世紀で最も重要な100の発明を挙げている。年に一つずつ。ほぼすべてが自由主義国から生まれたものである。

発明者の出身地を見ると、米国47人、英国30人、フランス4人、カナダ3人、ドイツ3人、スウェーデン2人となっている。アルゼンチン、オーストリア、デンマーク、フィンランド、ハンガリー、アイルランド、イスラエル、イタリア、日本、ソ連、スイスはそれぞれ1人ずつ発明家を輩出している。

特許を取得した国・地域を見ると、多少様子が変わるが、それほど大きな違いはない。米国が46件、英国が29件、世界知的所有権機関(WIPO)が11件である。ドイツは5件、フランスは2件、欧州連合(EU)全体では2件、カナダ、デンマーク、ハンガリー、日本、スイスはそれぞれ1件である。

ヴァン・ダルケンの選択は主観的だと反論する人もいるかもしれない。しかし、飛行機、エアコン、電気洗濯機、舗装道路、掃除機、ネオン照明、ステンレス鋼、食品の急速冷凍、テレビ、信号機、ナイロン、レーダー、テフロン、バーコード、コンピューター、ボールペン、電子レンジ、マイクロチップ、高強度素材ケブラーなど、誰だってリストに入れただろう。

言うまでもないが、ヴァン・ダルケンの挙げた発明家たちは、自国だけに利益をもたらしたのではない。発明の恩恵は世界中に広がり、すべての人々の生活を向上させた。その中には、専制政治のもとで暮らす人々や暮らしていた人々の多くも含まれる。

アフリカが独立した1960年から2015年までの間に、サハラ以南のアフリカ(SSA)と米国の所得格差は拡大した。1960年、SSAの一人当たり平均GDPは米国の6.31%に相当した。逆に、米国の一人当たり平均GDPはSSAの1586%だった。

その後55年間で、インフレ調整後のSSAの所得は55%伸びた。しかし、米国では203%の成長だった。つまり2015年にSSAの所得は米国の3.21%に相当し、米国の所得はSSAの3111%になったのである。ドルに換算すると、SSAの所得は1075ドルから1660ドルに増え、米国の所得は1万7037ドルから5万1638ドルへ増加した(数字はすべて2010年のドル)。

しかし、生活水準全般を示す最良の指標である平均寿命では、両者の差は縮まった。1960年にSSAの平均寿命は米国の58%だった。その逆は174%。その後55年間で、SSAの平均寿命は47%伸び、米国では14%伸びた。つまり2015年にSSAの平均寿命は米国の75%に伸び、米国はSSAの134%に縮まったのである。年数で言うと、SSAの平均寿命は40.17年から59年に伸びたのに対し、米国では69.77年から79.16年にしか伸びなかった。

つまりアフリカの人々は、より長く、より良い人生を送るために、金持ちになる必要はなかったのである。独立以来、多くのアフリカ諸国が社会主義や保護主義を試してきたことを考えれば、金持ちにならなくても不思議はない。

その代わり、アフリカ全土が自由主義国、つまり資本主義国で起こった技術進歩の恩恵を受けている。飛行機は米国の発明で、命を救う医薬品をコンゴの奥地まで運んでくれる。合成インスリンはカナダの発明で、南アフリカで命を救っている。コピー機も米国の発明で、アンゴラで貧しい子供たちが読み方を学ぶのに役立っている。

人類の進歩が持続するために最も重要なことは、経済学者ハイエクが言うように、地球上の少なくとも少数の人々が自由であり続けることだ。それは難しいことではないと思う。

(次より抄訳)
Free Enterprise Is Making the World Better - HumanProgress [LINK]

2022-09-27

命がけだった農村生活

ケイトー研究所主任研究員、マリアン・テューピー
(2019年3月11日)

工業化以前の欧州社会は、少数の超富裕層と大多数の超貧困層に二分されていた。ルイ14世時代の軍事技術者ド・ヴォーバンの推定によれば、フランスの人口構成は、10%が富裕層、50%が極貧層、30%が乞食に近く、10%が乞食だった。同様に、イタリアの歴史家でマキアヴェリの友人でもあったフランチェスコ・グイチャルディーニは、「(スペイン)王国の少数の大公が非常に豪華に暮らしていることを除けば、他の人々は非常に貧しく暮らしていると思われる」と書いている。

実際、17世紀末にフランスのアルザス地方アランコンで行われた国勢調査では、41万人の住民のうち、4万8051人が乞食であったことがわかっている。これは人口の約12%に相当する。ブルターニュ地方では、人口165万5千人のうち、乞食は14万9325人で、約9%を占めた。 ヘンリー8世当時の英国の人口550万人のうち、130万人(つまり4分の1近く)が「下宿人と貧民」と表現された。つまり、農村の下宿人と都市の貧民は同じような生活水準にあると考えられていたのである。このような惨めな人たちの大多数は、田舎に住んでいた。

経済学者カルロ・チポラが述べるように、飢饉の年に都市で貧困層が急増したのは、飢えた農民が貧しい田舎から逃げ出し、慈善が受けやすく、富裕層の家に食料が蓄えられている見込みのある、都市中心部に押し寄せたからである。1629年の飢饉の際、イタリアのミラノでは数カ月の間に乞食の数が3554人から9715人に増えたという。

16世紀の伊ロンバルディアにおける農村生活の記録によると、「農民の暮らしは小麦しだいだ。……他の支出は無視してもよさそうに思える。労働者の不満を高めるのは小麦不足だからだ」。15世紀の英国では個人消費の80%が食料に費やされ、そのうち20%をパン代だけで占めた。

それに比べ、2013年の米国では、個人消費のわずか10%が食費に費やされているにすぎない。この数字自体、米国人がレストランで費やす金額によって膨らんでいる。健康上の理由から、多くの米国人はパンを食べることを避けている。

水や森、家畜から取れる食品はどうだろうか。チポラによれば、産業革命以前の英国では、野菜は体液を腐らせ、腐敗熱、憂鬱、鼓腸の原因になると信じられていた。こうした考え方の結果、果物や野菜の需要が少なくなり、国民は病的な状態で生活していた。また文化的な理由から、多くの人々は、優れたタンパク源である新鮮な牛乳を避けていた。その代わり、裕福な人々は乳母を雇い、乳房から直接母乳を飲んだ。

大陸欧州の食生活は、やや変化に富んでいたが、農民の生活水準はどちらかといえば英国より低かった。17世紀フランスの農村の暮らしぶりを描いた本によると、貧しい農民はほとんど食べられず、せいぜいパンと果物だけだが、それでも慰めにはなった。賃金は英国の農夫や貧しい工員ほどではないが、イタリアのヴィラーノ(農民)よりははるかにましだった。

私たちの祖先は、女性や子供も含めて、生きるために十分なカロリーを追求することに夢中になっていたのである。女性は家政婦として働くだけでなく、パンやパスタ、毛織物や靴下など、市場で売れるものを生産していた。14世紀の細密画には、農業に従事する女性の姿が描かれている。

ロマン派の画家、哲学者、詩人たちが描いた理想的な農村生活のイメージは、現代の読者の現実感覚を非常にゆがめている。チポラによれば、実際には多数の人々が栄養不足の状態で生活していた。このため、深刻なビタミン欠乏症が起こった。不潔が蔓延していたため、厄介でつらい皮膚病が発生した。地域によってはマラリアが流行したり、婚姻の選択制限によりクレチン病(先天性甲状腺機能低下症)が発生したりした。

(次より抄訳)
Rural Life in the past Was a Battle for Survival - HumanProgress [LINK]

2022-09-26

反資本主義の起源は労働者ではない

政治学者、エリック・フォン・クーネルト=レディーン
(1972年)

資本主義の起源は北イタリアである。複式簿記を発明したのは(カトリックの)フランシスコ会修道士パチョーリだった。(プロテスタントの)カルバン派は資本主義に新たな刺激を与えたものの、資本主義を発明したわけではない。

自由な企業活動に対する真の反感は、労働者から生まれたものではない。19世紀初め、労働者階級に支払われる賃金は悲惨なほど少なかった。理由は二つある。第一に、製造業の収入は非常に限られていた(真の大量生産はその後始まる)。第二に、利益の大部分は再投資に回され、典型的な製造業者はむしろ質素な暮らしをしていた。

欧州の初期資本主義における、この禁欲主義によって、労働者の生活水準は驚異的な上昇が可能になった。製造業が華美な生活をしていないことから、労働者は自分たちの境遇を驚くほど冷静に受け止めた。社会主義の推進力は、中産階級の知識人、(ロバート・オーウェンやエンゲルスら)風変わりな実業家、既存の秩序に憤りを感じていた貧しい貴族たちから生まれた。

人為的に作り出された怒りは、まず製造業者に向けられた。製造業者は結局、労働者と大衆の間のある種の仲介者にすぎない。労働者が自分の仕事を商品に変換するのを助ける。この過程で、製造業者は道具や販売にかかる費用の一部など、さまざまな経費を負担する。そして自分の努力に見合うだけの利益を、この取引から得ようとする。企業家の企業に対する責任は、多くの労働者のそれよりもはるかに大きい。

企業家がもし失敗したら、自分一人の問題ではなく、何十、何百、何千の家族の生活がかかっている。株式会社でも事情はあまり変わらない。株主は配当という形で利益を得ることもあれば、そうでないこともある。労働者はつねに給料が支払われると期待している。大きなリスクを負うのは組織の下層部ではなく、上層部である。

労働者の賃金は、いくつかの要因に左右される。第一は、高い賃金を保証するのに十分な価格を、消費者が完成品に支払う用意があるかどうかである。第二に、総利益のうちどれだけを配当、ボーナスなどとして分配し、どれだけを再投資または積み立てるかという企業家(時には株主)の決定がある。

企業は競争にさらされるため、不注意の多い労働者よりも、はるかに具体的に「先を見通す」必要がある。事業というものは通常、何年も先を見越した計画を立てなければならない。そのためには、最適な生産手段(高価な機械の購入を意味する)を採用しなければならないだけでなく、蓄えとして金融資産も必要である。

賃金は商品が売れる可能性、仕事の質、労働者や従業員の義務感に見合ったものでなければならない。美徳も含まれる。投資家に支払われる純利益さえも、労働者にとって必ずしも「損失」ではない。儲かっている企業には投資家が集まるし、企業にとって良いことは当然、労働者にとっても良いことだからだ。

企業家と労働者の共通の利益は、どちらかの側によって大きく狂わされる恐れがある。言うまでもなく、物事を台なしにする一番ありふれた方法は、過度の賃金要求だ。企業がそれに応じれば、利益を失い、商品を市場に出せなくなりかねない。政治的に組織された労働者は、政府に圧力をかけ、インフレ政策をとらせることもある。ストライキは一定期間の生産を中止させ、経済的損失をもたらす。過剰な賃金や長引くストライキのために企業が商品を販売できなくなると、経済が破綻することもある。

このような生産コストと購買力の相互関係は、とくに発展途上国と呼ばれる国々では見落とされがちだ。良識あるキリスト教徒の評論家が主張する「生活賃金」(労働者自身とその家族の一定の生活を保障する賃金)は多くの場合、製品が市場で売れなくなるような価格設定をしないと実現できない。評論家たちは忘れているが、労働者はまったく働かないよりは、低賃金で働くことを好むかもしれないのだ。

(次より抄訳)
The Roots of "Anticapitalism" | Mises Wire [LINK]

2022-09-25

君主は国家の下僕

ミーゼス研究所編集主任、ライアン・マクメイケン
(2022年9月9日)

今日の君主制は、16世紀から17世紀にかけて国家が台頭する以前に存在した君主制と混同されるべきではない。

国家が誕生する前の君主は、基本的に私的な土地所有者であり、その収入は私有地から徴収する地代に大きく依存していた。地代は必ずしも金銭の形で徴収されたわけではなく、また金銭が不足することもしばしばあった。地主たちは、自分の土地を利用する人々から、農作物や兵役などの現物支給という形で資源を徴収していた。強制手段を独占する「主権」機関が存在せず、基本的に私法制度であった。「公権力が私人の手に渡り、軍隊の重要な部分が私的な契約によって確保される」体制である。

17世紀になると、君主は巨大な常備軍を育て、火薬を動力とする新兵器に耐えうる巨大な軍事施設を建設するようになった。個人で軍隊を率いる時代はとっくに終わっていたのである。この新しい官僚制の中心的な重要性は、馬に乗って戦う君主から、スペインのフェリペ2世のように「書類の山に囲まれた机で一日を過ごす」君主への進化がよく示しているのかもしれない。

国家が大きくなれば、それを管理するための書類の山も大きくなる。しかし、やがて国家は君主を圧倒するようになる。歴史学者マーチン・ファン・クレフェルトによれば、15世紀の終わりには、支配者とその臣下はすでに、国家の中に君主とは別の機械が存在するということを意識し始めていたのだという。王はもはや自分の私有地を管理することは許されない。これは、個人的支配から公権力への質的転換であった。別の言い方をすれば、私的な地主から国家の代理人への移行と表現できるかもしれない。

18世紀末には、国家は「もはや支配者の個人と同一ではなくなっていた」とファン・クレフェルトは指摘する。「国家は、君主を絶対的な支配者にするための道具から発展し、それ自身の生命を獲得した」

偶然ではないのだが、このことはおそらく、その時代に最も強力な国家を擁した王国で最も顕著になった。英国とフランスである。たとえば英国では、内戦で革命家が王の首を切っただけでなく、君主制を完全に廃止した。これは暴徒の仕業ではなく、英国国家の代表である議会の同意のもとに行われた。つまり、議会が代表すると言っている「人民」こそが「国」を定義するのだと、議会派は明確にしたのである。国王の役割は、ある種のサービスを提供することである。結局、議会は王政復古を行ったが、教訓は生かされた。1688年、再び議会が介入し、国王を議会の意向に沿った別の国王に交代させたのである。

フランスでは、革命家たちが同じ主題を発展させた。革命に先立つ数十年間、ルイ14世は、欧州で最も大きく、裕福で、強力な国家を作るために長い年月を費やした。そして、その国家の道具が、ルイ14世自身の王朝に対して向けられたのである。ルイは死の床でこうつぶやいた。「私は去るが、国家はいつまでも残るだろう」。 子孫のルイ16世も、断頭台で同じことを言ったかもしれない。

これら危機の後、英国も英国国家も、国王やその王朝の所有物ではないことが明らかになった。フランスの王政の残骸も同様だった。実際、欧州中の君主制国家は、同じような状況に陥っていた。君主制が民主共和制に取って代わられる数十年前の出来事である。そのころ、王権はすでに名目上、さまざまなタイプの国家体制に取って代わられていたのである。

今日、欧州の多くの国は、制度的な君主制を容認している。これら王室の男女は、しばしば戦争の応援団となる。あるいは、スペインのフェリペ国王がカタルーニャの分離独立派を非難するために介入したように、敵に対して国家をあからさまに支援するために利用されることもある。ナショナリストはしばしば君主を「国民統合」の象徴として称賛する。しかし、そこには王朝支配の時代に君主が自らをどのような存在とみなしていたかの痕跡はない。それは何世紀も前に消滅している。

(次より抄訳)
How Monarchs Became Servants of the State | Mises Wire [LINK]

2022-09-24

ローマ帝国の経済を壊した政府

経済学者、リチャード・エベリング
(2016年10月5日)

紀元前449年、ローマ政府は「十二表法」を制定し、商業、社会、家庭生活の多くを規制した。政府は小麦の価格統制も行った。穀物が不足する時期に買い入れ、市場価格よりずっと低い固定価格で販売することにした。前58年、これを変更し、政府はローマ市民にタダで穀物を配るようになった。

その結果、農民は土地を離れ、ローマに集まってきた。当然ローマ周辺の領地では農民が少なくなり、穀物の生産量や市場に出回る量は以前より少なくなったから、問題はさらに深刻になった。奴隷の主人たちは奴隷を解放し、タダで養う財政負担をローマ政府に負わせた。

前45年、独裁者カエサルの時代、ローマ市民のほぼ3分の1が国から無償で穀物の供給を受けていた。

ローマ政府は、小麦の供給による財政コストに対処するため、通貨の切り下げ、つまりインフレに走った。穀物の価格操作、供給不足、財政悪化、通貨切り下げとそれによる物価高は、ローマの長い歴史で絶えず起こっていく。

ローマ史上、最も有名な物価統制は、ディオクレティアヌス帝(244~312年)の時代である。284年、ローマ皇帝に即位すると、ただちに巨額の財政支出に踏み切った。軍隊と軍事費の大幅増、小アジア(現トルコ)の都市ニコメディアに帝国の新首都を建設する巨大な建築事業、官僚制度の拡大、公共事業を完成させるための強制労働の導入などである。

ディオクレティアヌスはこれら政府活動の資金を調達するために、ローマの住民のあらゆる層に対し大幅な増税を行った。その結果、労働、生産、貯蓄、投資が抑制され、商業や貿易の衰退を招いた。

課税では十分な歳入を生み出さなくなると、通貨切り下げに踏み切った。金貨や銀貨の金属含有量を減らし、その金属価値は以前と同じだと主張して、再発行する。そしてローマ帝国の市民や臣民に対し、この価値の低下した貨幣を、表面に刻印された高い価値で受け取るよう義務づける法貨条例を制定したのである。

金や銀の価値が低い法定通貨は、商人に安く買いたたかれるだけである。つまり、市場ですぐに切り下げられてしまった。人々は金銀含有量の多い金貨や銀貨をひそかに蓄え、市場では含有量の少ない貨幣を使うようになった。同じ量の商品を買うのに、より多くの硬貨を渡さなければならなくなった。皇帝が価値のない貨幣を発行するにつれ、物価の高騰はさらにひどくなった。

301年、ディオクレティアヌス帝は有名な最高価格令を定め、穀物、牛肉、卵、衣服、その他市場で売られる品物の値段を決めた。これら商品の生産に従事する人々の賃金も定めた。この統制に違反した者、つまり、規定以上の価格と賃金で販売した者が捕まった場合、死刑となった。

ディオクレティアヌスは、統制により、多くの農民や製造業者は、商人が適正と考える価格よりもずっと安い価格で市場に商品を持ち込む意欲をなくすと考えた。そこで最高価格令では、商品の「ため込み」が判明した者は、商品が没収され死刑になることも規定した。

経済学者ミーゼスが結論づけたように、ローマ帝国が衰退し始めたのは、自由で豊かな社会を創造・維持するために必要な思想、すなわち個人の権利と自由な市場に関する哲学を欠いていたからである。

(次より抄訳)
How Roman Central Planners Destroyed Their Economy - Foundation for Economic Education [LINK]

2022-09-23

金融緩和策は道徳を壊す

経済学者、ヨルグ・ギド・ヒュルスマン
(2016年5月10日)

今日、世界のすべての国で、貨幣の生産は政府の介入によって統制されている。政府は中央銀行を設立し、競争から保護するために特別な法的特権を与える。そのため、中央銀行は技術的・商業的な制約を受けることなく、紙幣や帳簿の形で不換貨幣を生産し、政府やその他の人々に信用を与えることができる。このような制度は、非常に有益であらゆる代替手段よりも優れていると信じられている。しかし、この考え方は間違っている。

増え続ける信用を作り出すための金融介入主義は、個人の責任を弱める。安易な信用は、その受益者に、預けた資本を浪費するよう促す。なぜなら、いつでも新しい信用で損失の補填を望めるからである。しかし、資本の浪費は短期の結果にすぎず、物質的なものにしか関係しない。それより重要なのは、安易な信用供与が受益者の人間そのものに与える影響である。

信用供与を受ける個人は、自分の選択による悪い影響をすべて被るわけではないので、自分の行動の結果を理解し、その結果に自ら気を配ることを学ぶ動機が乏しくなる。要するに、責任感の欠如は、原因と結果、善悪の観点からの思考を破壊しやすい。思考が混乱する。個人的な尊敬や思いやりは、無関心になるか、せいぜい曖昧な表現になり、行動で示される個人的な約束もなくなる。人間はまだ道徳的な存在だが、その道徳は深く傷つくことになる。

特に安易な信用供与によって福祉国家が拡大した国々では、道徳の退廃が起こった。安易な信用供与が道徳の衰退の唯一の原因だと言うわけではない。しかし安易な信用は、経済的に成り立たない生活スタイルに資金を供給するだけでなく、人々が怠惰で、他人や自分に無関心であるように人々にお金を払うことで、根本的な役割を果たした。

現在の金融・経済危機も、直接には金融介入主義にさかのぼることができる。中央銀行は不換貨幣を生産し、銀行システムやその他の金融市場を安定させるはずだった。しかしこうした安定化策は、銀行家や投資家が無責任な選択をする逆インセンティブを作り出した。中央銀行からの支援によってリスクの一部が「社会化」されたため、銀行家や投資家は特にリスクの高い投資、特に高いリターンが期待できる投資を探したのである。

しかも、自己資本比率を1〜3%という途方もなく低い水準で運用することで、自らのリスクに対する備えを弱めた。この選択は、個々の銀行や投資家から見れば合理的であっても、全体から見れば明らかに破滅的だった。しかし、こうした選択が、いわゆる安定化政策に反して行われたのではなく、まさに安定化政策のために行われたことは、いくら強調しても強調しきれない。金融・財政の安定化政策は、結果的に非安定化政策となった。

さいわい、直接の代替案がある。政府による通貨供給の統制を廃止し、民間企業に委ねることである。貨幣は個人・団体・企業によって競争的に生産することができる。真に自由な貨幣市場では、不換貨幣は消滅し、銀や金のような商品貨幣に取って代わられやすい。そうなると、もはや好き勝手な量の貨幣や信用を生産・供与することはできなくなる。その結果、あらゆるレベルの意思決定がより責任あるものになる。物質的な浪費と道徳的な退廃は、適度な割合に減少する。

(次より抄訳)
Easy-Money Policies Are Both Economically and Socially Destructive | Mises Wire [LINK]

2022-09-22

州が分離独立しても中国は米国を侵略しない

ミーゼス研究所編集主任、ライアン・マクメイケン
(2021年1月22日)

米国で一部の州による合衆国からの分離独立が現実味のある政策目標となり、将来の理論上の理想ではなくなってくれば、反対派はうろたえ、慌てふためくだろう。今のところ反対派は注意深く、分離独立を単に軽蔑しているだけのように見せかけている。怒りに満ちて脅しをかけ、破滅を予言するのは、その後のことだ。

その際反対派は、分離独立などありえないというさまざまな理由を提示するだろう。賛成派は裏切り者、非国民と呼ばれるだろう。分離独立は貧困をもたらすと言われるだろう。実際、近年のスコットランドの分離独立をめぐる論争でも、そのような声が聞かれた。

議論は外交政策にも焦点が当てられるだろう。スコットランドでは外交政策のタカ派が、スコットランドの独立は英国の核軍縮につながると警告している(訳注・英国の核兵器はスコットランドのファスレーン海軍基地にある)。その意味するところは当然ながら、英国は外敵から自国を守ることができなくなるということだ。

米国でも独立運動の高まりに直面し、同じようなことを耳にする。分離独立で米国の体制が弱体化すれば、中国による北米の征服にすぐにつながってしまうという。

私たちはこれまで、北米で分離独立後の国々は、中国と衝突した場合、それぞれ独立して中国と対峙しなければならないと想定してきた。しかし、この想定はあまり良いとはいえない。これら独立諸国が相互防衛を避けるとは思えない。むしろ経験上、その逆である。

似たような成り立ちのカナダ、米国、オーストラリア、英国は一世紀以上にわたり、外交政策においておおむね結束してきた。このことに気づけば、北米に北大西洋条約機構(NATO)のような機関がたやすく生まれうるのは、明らかなはずだ。

それにもかかわらず、近隣諸国は今にも戦争に突入しそうだという話をよく耳にする。米国が国の一部でも独立させれば、そうなるのは当然だという。独立反対論者はよくユーゴスラビア戦争のような例を挙げ、民族浄化が起きると主張する。しかし北米は南・東欧ではない。北米の場合、国々は言語が共通で、生活水準が高く、戦争で失うものが多い。貿易関係も深く、広範囲にわたる。

似た成り立ちの二つの国が戦争に巻き込まれると主張するのなら、カナダがなぜ二百五年間も米国と平和を保ってきたのかを説明しなければならない。カナダが小さすぎて米国に対抗できなかったからだという人がいるかもしれない。しかし、これはカナダの外交政策が英国(1931年まで世界の大国であり、米国の友好国)によって決められていた事実を無視している。1812年の米英戦争後、英国は英国領カナダを通じ米国と陸海で広大な国境を接していたが、米国との戦争には無関心だったようである。

もし米国が小さな独立国家に分裂したら、「青い州」(民主党支持者の多い州)は「赤い州」(共和党支持者の多い州)に対抗するため、中国がタンパ湾(フロリダ州)に侵攻するのを歓迎するだろうとまことしやかにいわれる。中道左派の米国人はすべて中国の手先だと信じているような、偏執的な反中冷戦主義者には、もっともらしく思えるかもしれない。しかしそのシナリオは、カナダが中国人民解放軍にボストン(マサチューセッツ州)への侵攻を頼むのと同じくらい、ありそうにない。

(次より抄訳)
No, the Chinese Won't Invade America If Secessionists Succeed | Mises Wire [LINK]

2022-09-21

ケインズは社会主義者だった

経営学修士、エドワード・フラー
(2020年4月10日)

英経済学者ジョン・メイナード・ケインズはソビエト社会主義に共感しており、生粋の自由主義者ではなかった。

1917年11月7日、ロシアでレーニンとボルシェビキ(ソ連共産党の前身)が政権を握った(十月革命)。ケインズは「私に与えられた唯一の道は、ボルシェビキになることだ」と嬉々として宣言した。

12月には、ロンドンで「1917年クラブ」を共同設立した。もちろんボルシェビキ革命の年を記念して命名されたものである。クラブのメンバーには20世紀英国の社会主義者が並ぶ。G・D・H・コール(学者・作家)、ヒュー・ダルトン(労働党政権の財務相)、J・A・ホブソン(経済学者)、ラムゼイ・マクドナルド(英国初の労働党出身の首相)、オズワルド・モズレー(英ファシスト党党首)、ジョン・ストレイチー(政治家)、H・G・ウェルズ(作家)、レナード・ウルフ(作家。作家ヴァージニア・ウルフの夫)らである。

1924年7月、ケインズは対ソ文化関係協会(SCR)の創立副会長となった。SCRは全ソ連対外文化関係協会(VOX)が管理・資金援助する親ソ団体であり、VOXはソ連政府の国際宣伝機関で、実質的にはソ連国外での社会主義宣伝の隠れみのだった。

ケインズは、1930年代初頭の英国の社会主義運動と密接に関係していた。新フェビアン研究局の準会員であった。この団体は、1917年クラブとSCRのメンバーであるG・D・H・コールが運営する、英国を代表する社会主義シンクタンクだった。ケインズはその姉妹組織である社会主義調査宣伝協会にも関与していた。

ケインズは、1917 年クラブの旧友で、英国初の社会主義政権で首相となったラムゼイ・マクドナルドの重要な経済顧問だった。実際ケインズは、マクドナルドや同じく 1917 年クラブの会員だったヒュー・ダルトンよりも急進的な社会主義者だと自認していた。1930 年 6 月、彼らとの会合で、ケインズは自らを「この場にいる唯一の社会主義者」だと述べた。

1923 年、ケインズは政治週刊紙「ネーション・アンド・アテネウム」を買収した。1931 年初めには、英国の代表的な社会主義新聞であるニュー・ステーツマンと合併させた。この新聞は、ケインズの親しい友人であるウェッブ夫妻によって1913年に創刊された。合併後の新聞は「ニュー・ステーツマン&ネイション」と呼ばれ、ケインズは会長に就任した。1931年2月から1946年4月に亡くなるまで、ケインズは英国を代表する社会主義新聞の会長だった。

ケインズの主著『雇用、利子および貨幣の一般理論』は、1936年2月4日に出版された。ケインズは、出版からわずか119日後にこう宣言している。「最近まで、(スターリン政権下の)ロシアの出来事はあまりにも速く進み、紙上の公約と実際の成果との食い違いは、適切な説明を行うにはあまりにも大きかった。しかし新体制は、いまや見直すことができるほど十分に明確になった。その結果は印象的である」。

ソ連における農業集団化の時期は、『一般理論』の出版と重なる。この期間、スターリンは1億人を奴隷にし、1150万人の自国民を殺害した。さらに強制収容所を急拡大させた。1936年にスターリンのロシアを「印象的」だと主張したことは、ケインズが真の自由主義者でなかったことを示すものだ。

(次より抄訳)
Keynes Called Himself a Socialist. He Was Right. | Mises Wire [LINK]

2022-09-20

緑の革命の神話

経済学者、クリストファー・ムステン・ハンセン
(2022年9月17日)

1960年代のインドの飢饉をきっかけに、「緑の革命」(農業技術の革新)が始まり、その主人公である米農学者ノーマン・ボーローグが世界的に有名になった。しかし、この革命は当初から政治的な理由で歪められていた。

60年代、米国の農業は多額の補助金を受けており、その結果、膨大な余剰生産が生じていた。この余剰生産物は、少なくとも米国の農家が破産しない限り、市場価格で売ることはできない。米政府は米国産農産物の輸出に補助金を出し、国内市場での価格を人為的に高く保った。

インドでは安価な米国産小麦があふれたが、これはインドの食糧不足を解消せず、むしろ食糧不足を引き起こした。インド人は(食用作物から)輸出用の換金作物(サトウキビやジュート)に生産を移し、それによって安価な米国産穀物の輸入資金を調達したのである。

1965年以降の干魃で、食用作物だけでなく、ジュートやサトウキビが不作になり、農業労働者は困窮にあえいだが、飢饉とまではいかなかった。1965年、ジョンソン米大統領はインドの干魃と飢餓の恐怖を煽り、農産物輸出への補助金を増やし、海外援助を行う新農業法案を成立させた。

インドの悲惨な状況を強調することは、ボーローグらの意図でもあった。メキシコで育成された特殊な小麦品種がインド北部に広く導入され、都合よく干魃が終息すると、最初の収穫で大量の作物が穫れた。インドと中国でほぼすべての作物の収量が記録的な水準に達していたのに、ボーローグは平然と自分の手柄にしたのである。

緑の革命は、政府と非政府組織(NGO)のテクノクラート(技術官僚)が主導し、主に欧米の開発援助機関が資金を提供した。国際稲作研究所(フィリピン政府、フォード財団、ロックフェラー財団が設立)と国際トウモロコシ・コムギ改良センター(メキシコ政府とロックフェラー財団が設立)による、ハイブリッド米と小麦の品種改良は、農業近代化の旗手とされた。

実際には欧米など先進国の農業が、多くの資本投入を必要とする、きわめて集約的な栽培にシフトしていった。ボーローグの小麦品種は、大量の肥料を投入して初めて、インド原産の小麦に打ち勝ったのである。インド政府と海外援助機関が肥料や灌漑設備に多額の補助金を出していなければ、ボーローグの小麦が広く普及することはなかっただろう。

緑の革命の支持者があげるメリットによれば、効率よい食糧生産が実現し、農業以外の仕事に労働力が解放され、遺伝子技術を利用して食糧の質を高め、栄養失調を避けることができるという。良識ある人々でさえ、コメ生産国における栄養不良の解決策として、ビタミンAを多く含むよう遺伝子操作された「ゴールデンライス」の導入を長年支持してきた。

しかしテクノクラートとその支持者は、緑の革命自体が栄養失調の原因だったという事実に触れない。インドで小麦の収量が増加すると、その相対価格が下がり、タンパク質と微量栄養素を豊富に含む代替食品に取って代わった。緑の革命の直接の結果として、インドの栄養失調率は上昇した。先進国でも類似の理由で同様の現象が起こった。

技術で労働力を解放したといっても、実際には、農業への過剰投資で農業労働力の需要が減ったにすぎず、他の産業で労働力の需要が増えたわけではない。それどころか、非農業部門に投じる資本が減ったため、他産業で労働需要と賃金は増えなかった。こうして緑の革命は、低賃金の仕事と政府の施しで生活する第三世界のスラムの増加に重要な役割を果たした。

緑の革命は恵みではなかった。統制なしに作物を育てる愚かな農民に対する、賢い科学者の勝利だった。いやむしろ、生態学的、栄養学的、社会的な災厄だった。

(次より抄訳)
The "Stunning Success" of the Green Revolution Is Yet Another Progressive Myth | Mises Wire [LINK]

2022-09-19

アメリカ革命という誤った名称

ロン・ポール研究所 上級研究員、アダム・ディック
(2022年7月4日)

独立記念日には、多くの米国人がアメリカ革命について思いを馳せる。ここで重要なのは、「アメリカ革命」は誤った名称であるということだ。より適切な名称は「アメリカ分離独立」だろう。

米政府の権力と米国人の不満が膨らんだ今、再びアメリカ分離独立を果たすべきときが来たのかどうかが、適切な問いとなる。

アメリカの「革命家」たちは、英国の王や議会に取って代わろうとしたのではない。それは革命家が求めるものだ。そうではなく、植民地が英国の支配から独立すること、つまり分離独立することを望んだのである。

このアメリカ分離独立は、英国の十三の植民地が同時に進めた「十三の分離独立」とさえ考えられる。植民地間の連携もあり、異なる植民地の人々が協力して英国の軍隊と戦うこともあった。しかし、分離独立は個々の植民地のために行われたものであり、米政府を包括するものではない。

約二百五十年の時を経て、毎年7月4日の独立記念日を祝うようになった独立宣言の末尾では、十三の植民地が独立を主張し、それぞれが独立国家として、英国のような国家が持っていたすべての権限を独自に主張していることが明確にされている。

米国では独立宣言に署名して以来、「州」という言葉の理解が、時とともに変質してきた。米国の各州は、英国からの分離独立に成功してから十年後、合衆国憲法の規定に基づき、いくつかの権力を手放した。その後、時間の経過とともに、首都ワシントンにある中央政府は成長を続け、州が持つと理解されていた他の多くの権力を連邦の州から奪い取った。五十州は米政府の単なる行政区にすぎなくなった。

しかし、各州はまだかなりの独立性を保っている。所得税や売上税を課さないことで相対的に租税回避地としての地位を築いた州がある。この四半世紀、米政府がマリファナとの戦いを続ける一方で、多くの州が自由化を選択してきた。コロナウイルス騒動の際、初期は各州が一斉に自由を厳しく制限したものの、その後はまったく異なる政策をとった。

現在、米国民が抱く不満の理由の大部分は、米国が今や五十州にいくつかの準州を加えた、独立当初より何倍も広い地域を支配し、中央政府の下にすべてを束ねるようになったことにあるようだ。1700年代後半に誕生して以来、強力な中央政府は、各州の独立性を大きく奪ってきた。

もし米政府が消滅し、その代わりに五十の「自由で独立した国」が誕生したらどうだろう。不満は解消されるだろうか。考えてみる価値はある。独立宣言は、長年にわたり続いた政府からの離脱は慎重に考えるべきだが、それが適切な行動である場合もあると語っている。

米国は「苦難を耐え忍ぶ」時を過ぎ、再び分離独立の時が来たのだろうか。その答えは人によって意見が分かれるだろうが、誰にも明らかなのは、州と自由を犠牲にして中央政府が握ってきた大きな権力と、多くの米国人の現状に対する不満を考えると、この問い自体が重要で、的を射ているということだ。

合衆国を解体し、真に「自由で独立した国」を取り戻すことは、重要な話題となるべきである。実際、今このテーマをオープンかつ十分に議論することは、分離独立を革命戦争(あるいは分離戦争)によってではなく、平和的に実現するための鍵となりうる。

(次より抄訳)
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : American Secession [LINK]