米国のオバマ大統領は先週、北朝鮮の金正恩第一書記の暗殺を題材にした米コメディー映画「ザ・インタビュー」に絡み制作元の米ソニー・ピクチャーズエンタテインメントがハッカー攻撃を受け、公開中止を決めた問題に触れ、同社は「過ちを犯したと思う」と批判した。政治家や映画関係者の間にもソニー・ピクチャーズは脅しに屈したと非難する声が広がった。同社の判断は間違っているのだろうか。
ジャーナリスト、ロバート・ウェンゼルはソニー・ピクチャーズへの非難に異を唱える。ハッカー攻撃は北朝鮮政府のしわざといわれているが、かりにそうだとしてみよう。ソニー・ピクチャーズは明らかに、北朝鮮の反応を読み間違えた。これは米国人すべてが気にかけるべき問題だろうか。ウェンゼルは続ける。
ソニー・ピクチャーズは「ザ・インタビューの」公開中止が自分にとって一番利益になると判断した。リスクを制限しようとしているのである。それはちょうど、夜中の3時に地下鉄に乗らない女性と同じといえる。……同社は自身の費用・便益・リスク評価分析(cost-benefit/risk assessment analysis)にもとづいて行動しなければならない。率直にいって、これは同社の問題なのである。
そのうえでウェンゼルは、断固上映すべきだと主張するニュート・ギングリッチ、ミット・ロムニーといった政治家の声を紹介し、「政府タイプの人間はなぜ、ソニー・ピクチャーズが問題を大きくし、リスクを高めるべきだと考えるのだろうか」と問いかける。そして自分でこう辛辣に答える。
政府が大好きなのは、問題を大きくし、格好をつけ、国民を戦争に引き込むことである。政府の連中ははっきりいって、いかれている。……何もかもが国家レベルの危機に祭り上げられる。個人、集団、企業による単純な費用・便益・リスク評価分析の代わりに、国家的対応が求められる。……現実には、これはソニー・ピクチャーズの問題だし、そうしておくべきなのだ。ギングリッチ、ロムニー、オバマはかかわるべきではない。連中は報復を口にし、ソニー・ピクチャーズにけんか腰の対応(in your face response)を求めるが、これはいかれた人間の典型的反応である。連中は個人の責任の性質も理解できないし、そのような責任につきものの費用・便益・リスク評価分析も理解できない。
理性的な個人や個人の集団は、冷静な損得勘定にもとづいて行動する。それは無用な血を流さないための知恵である。しかしなかには政治家をはじめ、損得勘定を軽蔑し、正義の旗を掲げて「悪」に立ち向かえと勇ましく叫ぶ人々もいる。結構なことである。だがもしそうしたいのであれば、他人の生命や財産ではなく、自分自身の生命や財産をリスクにさらして実行してもらいたい。それが責任ある個人というものだろう。
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