『21世紀の資本』で起こったピケティ・ブームを受け、経済的不平等論について整理した本。著者にその意図はないはずだが、読むにつれ、ピケティが不平等論にとって根本的な問題を考えていない思慮の浅い学者だとわかる。
経済的不平等に関しては、大きく2つの対立する意見がある。一言でいえば、「成長か格差是正か」。富の格差は是正しなければならないという考えと、社会全体が豊かになり貧困が減れば格差は問題ないという考えだ。
「成長か格差是正か」の意見対立は、18世紀のルソーとアダム・スミスの論争に遡ると著者は指摘する。ルソーは市場経済が不平等と貧困をもたらすと批判し、スミスは不平等が貧困の改善を伴っているから問題はないと反論した。
ルソーとスミスのどちらが正しいかについて著者は判断を保留しているが、問題は貧困なのだから、ルソーでなくスミスが正しい。格差是正のために政府が介入すれば、経済が不効率になり、社会全体が貧しくなる。ところが欧米の左がかった学者先生の間では、いまだによく理解されていないらしい。
さて著者によれば、ピケティは「平等を追求すべきなのはなぜなのか?」「平等を追求するとどんなよいことがあり、それを軽視するとどのような悪いことがあるのか?」という根本の議論を「十分に深めていない、あるいはそうした問いかけをなされた時に、応える準備が十分でない」ように見えるという。
たしかに、あの分厚い『21世紀の資本』を最後まで読んでも、訳者の山形浩生も認めるように、「格差が拡大すると何がいけない?」という本質的問いに対する説明は一切ない。世間で「知の巨人」ともてはやすにしては、お粗末すぎる。
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