「人間は不合理」のウソ
オーストリア経済学は、経済学史の教科書には出てくるものの、一般にはほとんど知られていないだろう。しかし、19世紀後半のオーストリアで起こったこの学派は、近代経済学の支柱の一つであり、ケインズ学派やマネタリズムによって混乱させられた現在の主流経済学よりも、はるかにロジカルで明晰な経済の見方を教えてくれる。
たとえば、物の価値は一人一人の主観によって決まるという考え方(主観的価値理論)である。あなたがある本を1000円で買うのは、本を作るのに1000円分の労力がかかったからではない。その本に1000円より大きな価値があると、あなたが思ったからである(1000円ぴったりではない。もしそうなら、同じ価値の本とお金をわざわざ交換する必要はない)。
だから、商品の価値は作るのにかかった労働量で決まるというマルクスの説は間違っている。どれほど多くの労力をつぎ込もうと、誰もほしいと思わない物に価値はない。
また、オーストリア経済学では、人間を対象とする経済学と物質を対象とする自然科学では、学問の方法論がまったく異なると考える。経済学に法則は存在する。しかしそれは自然科学の法則と違い、実験によって導くことはできない。経済学の法則は、「人間はより多くの幸せ(より少ない不幸せ)を求めて行動する」という不変の原理から、論理によって導かれる。
たとえば、まったく同じ本が一方は1冊1000円、もう一方は500円で売られていた場合、たいていの人は500円のほうを選ぶだろう。同じ物なら安く買えるほうが、より大きな幸せだからである。
しかし中には、その本の作家のファンで、作品に対してより大きな報酬を支払いたいとの気持ちから、あえて1000円の本を買う人もいるかもしれない。この人の行動は、最近流行の行動経済学に基づく俗説と異なり、不合理でもなければ、経済学の限界を示すものでもない。その人にとって、500円を節約するよりも、好きな作家に多くの報酬を支払うほうが、より大きな幸せであることを意味するにすぎない。
学問の分野を問わず、真理とはシンプルなものである。本書は、同じオーストリア経済学の立場から書かれたハズリット『世界一シンプルな経済学』と同じく、経済学のシンプルな真理を学ぶことのできる好著である。
<抜粋とコメント>
"主観的価値理論…は、物の価値は物そのものに本来備わっている客観的な尺度であるという古典的な概念を一掃した"
# 商品の価値は作るのにかかった労働量で決まるというマルクス説は誤り。
"彼ら〔資本家〕の利益は、彼らの投資が使われる期間の利子支払いであり、マルクスが主張したような労働者の搾取ではなかった"
# 資本家の取り分は投資への正当なリターン。搾取と責めるのは誤り。
"社会主義は…合理的な資源分配に不可欠な手段である市場価格の欠如のために、現代の経済では全く不可能"
# 社会主義は市場を否定するから、資源の効率利用ができない。だから破綻する。
"社会環境から生じる経済現象は複雑で変わりすぎるので、物理科学者が用いる種類の実験に基づく分析は許されない"
# 物質は同じ刺激に同じ反応を示す。人間は同一人物でさえ場合によって反応が異なる。
"経済現象は何らかの社会的な力、あるいは「社会」のような実体化した表現ではない…むしろそれらは経済活動に従事した個人の行為の結果"
# 「経済成長」という語は厳密には誤り。経済は動植物ではない。
*アマゾンレビューにも投稿。
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