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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2016-11-09

植木雅俊『仏教、本当の教え』

日本仏教の権力迎合

すぐれた宗教は、世俗の権力や権威とは異なる価値観を示す。インドで生まれた仏教もそうである。ところが本書によれば、中国を経て日本に渡った仏教は、最初から国家のためという思想で始まった。その影響は現在にも及んでいる。

著者によると、インド哲学者の中村元は常々、「インド仏教では、国王を泥棒と同列に見ていた」と話した。人の物を取り上げる点で変わりないからだ。泥棒が非合法的に取る一方、国王は税金という形で合法的に取るのが違うにすぎない。


中国では、天命を受けた帝王に民衆は服従するものとされた。一切衆上の平等や慈悲を説く仏教とは対立する。北宋の初め、国家は宗教を従属させるが、それでも仏教者は、国家のために積極的に働こうとまではしなかったとされる。

ところが日本の仏教は伝来した当初から、鎮護国家の思想が支配的だった。ここがインドや中国との大きな違いという。また、インド仏教では「人」より「法」を重視するが、日本では聖徳太子信仰や弘法大師信仰など個人崇拝が顕著だ。

国家など帰属する集団を優先し、自己の自覚に乏しい傾向は、仏教用語の意味にまで影響する。「義理」とは本来「ものごとの正しい筋道」を意味するが、日本では「義理を欠く」などと「目上の人に対する義務」という意味で用いられる。

日本でも仏教が政治と違う価値観を貫く時代はあった。元寇や島原の乱の戦死者は「怨親平等」の精神から、敵味方の区別なく弔われたという。明治政府はここから逸脱し、靖国神社には官軍だけが祀られ、賊軍の死体は野ざらしにされた。

世俗権力に迎合し、同じ価値観を説くのであれば、宗教の存在意義はない。国家に対する批判精神の弱さは日本仏教の弱点である。税は合法的な窃盗にすぎないと覚めた目で突き放す、仏教の原点に立ち返る必要がある。

2016-11-08

カール・シュミットの亡霊

Tom G. Palmer, Carl Schmitt: The Philosopher of Conflict Who Inspired Both the Left and the Right(カール・シュミット――左右両翼を奮い立たせた対立の哲学者)より抜粋。

カール・シュミット(Carl Schmitt)はドイツの法学者で、著書『政治的なものの概念』は、自由主義に反対する左翼と右翼に大きな影響を及ぼした。シュミットによれば、政治上の相違をせんじ詰めれば、友と敵(friend and enemy)の関係に行き着くという。

マルクス主義哲学者のスラヴォイ・ジジェクによれば、反自由主義的な左翼・右翼の政治思想家はいずれもシュミットの「友敵関係」説を信奉している。この左右の思想家たちにとって、「生まれつきの敵意」(inherent antagonism)こそが人間の本質である。

近年、「カール・シュミット業界」をにぎわすのは極左だ。シュミットの思想は自由主義と平和への攻撃で中心的役割を果たす。左翼著作家アントニオ・ネグリと文学研究者マイケル・ハートは「新たな共産党宣言」(new Communist Manifesto)として売り込んでいる。

シュミットの政治思想は米国のネオコン(新保守主義)思想とも関係がある。おもにシュミットに影響を及ぼした哲学者レオ・シュトラウス(Leo Strauss)とその一派(ウィリアム・クリストルやNYタイムズのデビッド・ブルックスら)を通じてである。

シュミットにとって自由貿易は戦争に代わる平和的手段ではなく、戦争よりも残忍な搾取をごまかすものにすぎなかった。普遍的人権(universal human rights)という自由主義の考えも、友敵関係を否定するものとして拒絶した。

2016-11-07

トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』

問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)
問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)

国家依存は個人の自立?

日本語で「自立」とは、「他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと」(大辞林)を意味する。フランス語でも同じだろう。ところがフランスの高名な知識人であるはずの著者トッドは、それを無視し、おかしな議論を展開する。

核家族は「個人を解放するシステム」だが、「そうした個人の自立は、何らかの社会的な、あるいは公的な援助制度なしにはあり得ません」と著者はいう。自立は援助なしにありえないとは、言葉の定義に反する珍妙な主張である。全体主義を描いたジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する標語「自由は隷属である」を思わせる。

著者は、「ネオリベラル革命」は国家による個人の援助をなくして「個人が家族に頼らざるを得ない状況」を作り出し、「個人の自立」を妨げているという。家族に頼るのは自立に反し、国家に頼れば自立とは、これまたわけがわからない。

家族、親族、部族は個人の自由を縛る場合もある。だからといって、個人が国家に助けてもらう必要はない。そもそも国家は自前の財産がないから、人を助けることはできない。真の自立を築くのは、市場取引を含む個人間の自発的協力だ。

米国で1935年、ルーズベルト大統領が社会保障を導入し、その後の繁栄の礎になったと著者は述べる。因果関係があべこべだ。米国は経済が比較的自由だから繁栄し、そのおかげで社会保障を維持できたのである。政府は富を生まない。

以前の共著『グローバリズムが世界を滅ぼす』では、著者は真の問題がネオリベラリズム(新自由主義)ではなく、官民癒着の縁故資本主義であることを正しく認識していた。ところが今回の本ではそれを忘れたかのように、言葉の定義を無視してまで、俗耳に入りやすいネオリベラリズム批判を繰り返す。残念である。

2016-11-06

悪いのはグローバル化か

Patrick Trombly, Central Banks Have Robbed Us Of the Benefits of Free Trade(中央銀行は自由貿易の利益を盗んだ)より抜粋。

能率が改善すると、通貨量など他の条件が一定なら、物価は必然的に下がる。だが実際には通貨量は一定でなかった。ほとんどの中央銀行は「デフレと戦う」(fight deflation)ために、2%の物価上昇率を目標に、通貨量を大幅に増やした。

もし中央銀行のインフレ政策がなければ、グローバル化で物価は下がり、実質所得(real incomes)を高めただろう。その結果、人々はグローバル化に不満を抱くのではなく、満足したはずだ。

物価が下がらなかったのは、中央銀行がデフレ阻止に成功したことを意味する。しかしそれは実質所得の増加を妨げたということだ。一方、金融緩和政策は世界中で不動産と商品価格のバブル(bubble)、株式・債券相場の高騰を招いた。

中央銀行の主張に反し、デフレは経済にとって脅威ではなく、恩恵である。米ミネアポリス連銀のエコノミストが書いた2004年の論文によれば、歴史上、不況と物価下落の間には相関関係(correlation)がなく、まして因果関係(causal link)の印はなおさらない。

中央銀行はデフレの「死の連鎖」(death spiral)とやらを防ごうと貨幣量を増やしたものの、経済の力学に逆らうことはできなかった。その結果、資産価格が高騰する一方で実質所得は減り、労働者は憤っている。

2016-11-05

山田正彦『アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!』

アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!
アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!

管理貿易の正体

環太平洋経済連携協定(TPP)を巡る議論は混乱している。推進派は「自由貿易だから良い」と主張し、反対派は「自由貿易だから悪い」と批判する。どちらも正しくない。TPPは官民癒着の管理貿易で、だから国民の利益にならない。

本書も混乱している。せっかく経済学者スティグリッツの「TPPは自由貿易協定ではない……管理貿易協定だ」という的を射た発言を紹介しながら、あちこちで自由貿易そのものに対する反対論を繰り広げ、経済への無理解を露呈する。

5キロ1000円前後の安いベトナム産コシヒカリがスーパーで売られたら日本でコメを作る農家はなくなるとして、著者は輸入に反対する。高いコメを買わされる消費者の不利益には触れない。これで貧困層の生活苦を嘆くのはおかしい。

一方、TPPの問題点を正しく指摘する箇所もある。ジェネリック医薬品が特許権を侵害しないか確認できる新制度により、特許権が切れても安価なジェネリックの販売が長期間認められない恐れがある。米製薬大手の圧力が背景にある。

TPPでは著作権や商標の権利期間が50年から70年に延長され、法定賠償制度で侵害時に賠償額が巨額になる恐れもある。そのうえ非親告罪となり、被害者が訴えなくても警察が乗り出す。自由な創作や著作、報道が萎縮しかねない。

政府はTPP加盟国域内での貿易量が増えると強調するが、米タフツ大学の指摘によれば、域外との貿易減少のマイナス面が考慮されていないという。本書は自由貿易に対する誤った反対論が目立つものの、管理貿易の正体を知るうえで有益な情報も多く、一読の価値がある。

2016-11-04

千年前のイノベーター

Jeffrey Tucker, The Greatest Invention of One Thousand Years Ago(千年前の最も偉大な発明)より抜粋。

11世紀初め、カトリックのベネディクト会修道士、グイド・ダレッツォ(Guido d’Arezzo)は楽譜と音階を考案し、音楽の教育と記述を可能にした。グイドの貢献がなければ、現在スマートフォンやユーチューブで聴く音楽は存在しなかっただろう。

昔から音楽教育を担っていたのは、一握りの教師らの傲慢なカルテルだった。音楽教師になるには、このうち誰かの弟子になり、承認(blessing)を得なければならない。教師は同業者の数を増やしたがらないから、おべっかも必要だった。

グイドの発明はカルテルをぶち壊した。グイドが一番やりたかったのはグレゴリオ聖歌(Gregorian chant)を楽譜に記すことである。聖歌がカルテルの口伝によってしか伝えられないことに不満を抱いていたからだ。歌が失われてしまわないか心配だった。

グイドはあらゆる偉大な革新者(great innovator)と同じことをやってのけた。資源を他の用途に解き放ち、しかも生活を向上させた。修道士を一人の音楽教師の下で強いられる果てしない学習から解放し、より純粋な精神生活に時間を割けるようにした。

修道院は発明を祝うどころか、グイドを雪の中に放り出した。権力を失いたくない音楽教師らがそう要求したのである。グイドは発明に感心したローマ教皇(Pope)の紹介でアレッツォの司教を訪ね、そこで仕事を続けることができた。

2016-11-03

ロビンズ『経済学の本質と意義』

経済学の本質と意義 (近代社会思想コレクション)
経済学の本質と意義 (近代社会思想コレクション)

「経済人」の神話

経済学は金儲けと利己心のみに関心がある「経済人」の世界を仮定しているが、それは現実離れしている。人間は金儲けや利己心以外の動機でも動くのだから――。一部の知識人はしばしば、経済学をこう非難する。この非難は正しくない。

本書で著者が説くとおり、経済学が仮定する人間は利己主義者とは限らない。「純粋に利己主義者、純粋に利他主義者、純粋に禁欲主義者、純粋に官能主義者にもなりえて、もっとありそうなことだが、こうした衝動の混合体にもなりえる」(p.88-89)

人はパンを買うとき、損得だけでなく、パン屋の幸福も考えるかもしれない。賃金の多寡よりは、やり甲斐で仕事を選ぶかもしれない。金を貸すとき、名誉や美徳を考慮するかもしれない(p.89)。それでもこれらの行動は経済学の対象になりうる。

かりに人間の大半が聖職者のような利他主義者、禁欲主義者になっても、経済学は不要にならない。ワインを作る葡萄園の地代が下がり、聖職者の石造建築に使う石切場の地代が上がる(p.27)。この現象は、経済学を知らなければ理解できない。

経済学は金儲けが唯一の行動要因とは考えない。そもそも金儲けそのものは目的にならない。目的は儲けた金で何かを買うことである。だから金銭そのものに執着する守銭奴を例外として、金儲けは目的にはならず、単に手段でしかない(p.32)。

2016-11-02

金約款の復活を

Jp Cortez, Bring Back the "Gold-Clause Contracts"(金約款契約を復活せよ)より抜粋。

金約款契約(gold-clause contract)とは、支払いを金や銀で行う旨を明示し、それ以外での支払いを認めない契約である。かつて米国ではよくある契約だった。それがフランクリン・ルーズベルト大統領(任期1933~1945年)の時代に禁止された。

ルーズベルトは大恐慌(Great Depression)から抜け出すため大量の資金を必要としたが、当時政府は紙幣の裏付けとして発行額の40%分の金を保有するよう義務づけられていた。そこでルーズベルトは解決策を講じた。国民から金を没収するのである。

政府が国民の金を手に入れれば、より多くの紙幣を刷ることができる。1933年、ルーズベルトは大統領令6102号を発し、5オンス超の金保有を違法とした。議会は両院合同決議(joint resolution)で、連邦裁判所が金約款を遵守させる権限をなくした。

この非道な大統領令(executive order)は1974年まで有効だった。同年、フォード大統領が署名した法律により、金保有は再び合法になり、連邦裁が金約款契約を遵守させることも認められた。

金約款契約はある意味で、法定通貨(legal tender)の鎖から人々を解き放つ。支払い手段を明示すれば、貸したカネを返してもらう際、(インフレで価値の落ちた)米ドル紙幣で受け取りを強いられずに済む。合衆国法典により、金約款は完全に合法である。

2016-11-01

ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』

資本主義が嫌いな人のための経済学
資本主義が嫌いな人のための経済学

恐慌の犯人は資本主義か

自由放任的な資本主義を批判する知識人はしばしば、それがうまく機能しない「証拠」として金融恐慌をあげ、恐慌を防ぐには政府の介入が必要だと論じる。その議論は正しくない。そもそも金融恐慌をもたらすのは政府の介入だからである。

本書もその誤りを犯す。著者は自由放任を唱えるリバタリアンを批判し、政府の介入が限られた19世紀の資本主義は「ろくに機能しなかった」(p.46)という。たとえば1870〜1900年に米国経済は景気循環を繰り返し、多数の銀行取り付けと5回の金融危機があったと述べる。

そのうえで著者は、米政府が「資本主義制度の大幅な改造」(同)に取り組んだとして、1914年の連邦準備制度創設、1933年の連邦預金保険公社設立を例にあげる。その結果「昔ながらの取り付け騒ぎはほぼなくなった」(同)と高く評価する。

しかしまず、景気循環の主因は政府自身にある。南北戦争(1861~65年)の戦費調達で米政府は1861年に金本位制を停止。バブル景気の反動で1873年恐慌をもたらす。それでも政府の介入が少ないおかげで、回復は早かった。

次に、著者が称える連邦準備制度は1920年代に過剰なマネーを供給し、史上最悪の大恐慌の端緒を開いた。同じく預金保険は銀行のモラルハザード(自己規律の喪失)を誘発し、放漫経営を助長した。その結果が1980~90年代の貯蓄金融機関(S&L)破綻である。救済のコストは納税者がかぶった。

左派の平等主義に対する批判など賛成できる主張はあるものの、上記のようにリバタリアンに対する批判は的外れなものである。著者は哲学者だそうだが、この程度の議論で「政府の介入は絶対に必要」(p.50)などと断言するのは、いささか不用意に思える。

2016-10-31

人口爆発は怖くない

Jonathan Newman, Inferno and the Overpopulation Myth(映画『インフェルノ』と人口過剰の神話)より抜粋。

18世紀英国の経済学者マルサス(Thomas Malthus)は、人口が急成長する可能性を問題視した。もし人口が生存の手段より速く増加したら、貧困や悪をもたらすのは必死と考えたのである。しかし恐れる必要はない。

地球上には人の住んでいない土地がたくさんある。マルサスは先入観(biased perspective)から、大都市の過密地域ばかり見ていたに違いない。

人口増加が意味するのは、物を食べる人が増えることだけではない。考え、働き、物をつくる人が増えることでもある。人口が増えれば増えるほど、さまざまな技能(variety of skills)が発達し、より効率よく生産できるようになる。

マルサスの時代、人間は生きるのがやっとだった。しかし21世紀の現在、世界人口の増加にもかかわらず、極度の貧困(extreme poverty)は減少している。一人あたりGDPは産業革命以降、劇的に増大している。

今では世界中のコンピューターがインターネットで結ばれ、ポケットに収まるほど小型化した。人間の生産性(human productivity)は五十年前でさえ想像できなかったほど向上している。マルサスが現在の世界を見たら、自説を放棄するに違いない。

2016-10-30

コイル『GDP』

GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史
GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

大きな政府のイデオロギー

GDP(国民総生産)の数字がわずかに増えたり減ったりするだけで、政治家や評論家は一喜一憂してみせる。あまり真に受けないほうがいい。本書を読めばわかるように、GDPは国民の経済的な豊かさを必ずしも示さないからである。

GDPは1920〜30年代の英米で生まれた。米国では経済学者クズネッツが政府の依頼を受け作成する(この業績によりのちにノーベル経済学賞を受賞)。大恐慌で国民所得が半減したという衝撃的な報告をまとめ、ルーズベルト政権が経済対策を推し進めるうえで大きな力となった(p.19)。

ただし、クズネッツと政府には意見の対立があった。クズネッツは国民の経済的な豊かさを測定するには軍事費を差し引くべきだと主張した。政府はこれに反対した。「政府の軍事支出が国の経済を縮小させてしまっては都合が悪いからだ」(p.20)

結局クズネッツは政治的争いに敗北し、政府が勝利した。クズネッツは政府のやり方を「政府支出が経済成長の数字を増大させることを同語反復的に認めているにすぎず、人々の豊かさが向上するかどうかは考慮されていない」(p.22)と批判した。

現在、GDPは軍事費に限らず、社会保障などあらゆる政府支出を価値あるものとみなして加算する。だから政府支出を増やせば、仕組み上、経済成長率は高まる。それは政治家には好都合でも、人々の経済的な豊かさを示すとは限らない。

著者はGDPを必ずしも否定するわけではない。それでも本書は、中立公正であるかのように見えるGDPが、実は大きな政府を肯定し、促進する政治イデオロギーと密接に結びついている事実に気づかせてくれる。

2016-10-29

貿易協定は自由貿易にあらず

Carmen Elena Dorobăț, Trade Agreements or Political Independence: A False Choice(貿易協定か政治的独立か――偽りの選択)より抜粋。

政府間の貿易協定(trade agreements)は、自由貿易と同じではない。それどころかその意図は、貿易をやりにくくしてコストを上げ、消費者を犠牲にして特定の親密な利益団体を厚遇することにある。

だから貿易協定の交渉や批准には長い時間がかかる。政治工作(political maneuvering)や妥協によって、異なる産業・農業団体の相反する利益を満足させなければならないからだ。それでいて政府は自由貿易の理念を守ったと得意顔になる。

自由貿易が広まり、持続するのは、大衆の求めによって下から起こったときだけだ。政府の上からの(top down)介入は、たとえ「善意」からであろうと、自由貿易を広める助けにはならない。

それどころか貿易協定を押しつけ、国民に抵抗された場合、自由貿易の目的に大きな悪影響を及ぼす。自発性を損なうし、経済にひずみが生じ、それは関税や規制(tariffs and regulations)をなくしたせいだと非難される。

政府は貿易交渉にかかわらないのが産業と消費者(industry and consumers)のためだ。政府が消費者と企業の代わりに契約したり、消費者と企業の契約に加わったりすると、将来必ず、無数の介入を許すことになる。

2016-10-28

水野和夫『過剰な資本の末路と、大転換の未来』


それは資本主義の害悪か

資本主義を批判し、その終焉を望む言論が流行している。しかし、そうした言論の多くに共通した誤りがある。政府の政策や規制がもたらす害悪を資本主義の弊害だと取り違え、資本主義を非難することだ。本書もその誤りを犯している。

著者は米金融市場における派生商品取引の膨張を取り上げ、資本主義を批判する。しかしそもそも派生商品取引が広まったのは、著者自身が記すとおり、政府が金とドルの交換を停止した結果、ドルの下落をヘッジする必要が生じたからだ。

福島原発事故が大惨事となったのは、「より合理的に」という発想から無駄なコストを削り、津波対策を怠ったからだと著者はいう。だがそれは政府とその影響下にある東京電力の近視眼的判断であり、資本主義の合理精神にむしろ反する。

著者は、資本主義は過剰や過多をもたらすとして、空き家の増加を例にあげる。しかし空き家問題の主因は「更地にすると固定資産税の負担が増す」「建築基準法の規制で建て替えが認められない」といった事態を招く政府の税制や法制だ。

一方で著者は、資本主義は必要なところに物やサービスを届けられないとして、世界における栄養不足問題を例にあげる。だがアフリカなどの飢餓の多くは、政治的混乱のせいで食料のサプライチェーンが整備されないため起きている。

原発事故を繰り返してはならない、世界から飢えをなくしたいという著者の願いには共感する。しかしもし資本主義を終わらせれば、その願いがかなえられることは決してないだろう。経済的な資源を本当の意味で効率よく使い、社会を豊かにするのは自由な資本主義であり、政治家や官僚ではないからだ。

2016-10-27

民泊に牙むく縁故資本主義

*Brittany Hunter, New York Declares War on Homesharing(ニューヨーク、民泊に宣戦布告)より抜粋。

ニューヨーク州のクオモ知事(Governor Cuomo)は老舗ホテル業界に屈伏し、米国で最も厳しい民泊規制法案に署名した。ニューヨーク市内での民泊は事実上禁止される。

ニューヨーク市のホテル業界はここ数年、記録的な落ち込みを見せてきた。これはAirbnb(エアビーアンドビー)のような民泊サイトの人気と直接関係がある。……業界は経営革新に奮起するのでなく、縁故主義(cronyism)に走り、知事に圧力をかけ競争を制限させた。

ニューヨーク市ではすでに、集合住宅の住民が30日未満の短期滞在のために部屋を貸し出すことを禁止している。今回の新規制では、住民が自分の住居を民泊サイト(homesharing websites)に載せるだけで、1000~7500ドルの罰金の対象となる。

ホテル業界(hotel industry)は新規制成立を競争相手に対する勝利とみなすかもしれないが、本当の犠牲者はニューヨーク市の住民だ。米国一物価の高い街に住んでいるのに、民泊で収入をカバーできなくなるのは非常に痛い。

専門家はこうコメントする。「州当局はAirbnbを叩きつぶしてホテルの労働組合(hotel unions)を喜ばせようと、死に物狂いだ。おかげで20億ドル分もの経済活動が失われた。それは生活費の捻出に必死な市民に恩恵をもたらすのに」

2016-10-26

長沼伸一郎『経済数学の直観的方法』

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)
経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)

現代経済学は裸の王様

現代の経済学は数学を多用する。記号や数式で埋め尽くされた論文を見ると、まるで物理学のように高度な科学だと思うかもしれない。だが本書を読むと、必ずしも著者の意図ではないものの、きらびやかに飾り立てた「社会科学の女王」が裸の王様にすぎないことがわかる。

著者が指摘するとおり、経済数学は「物理や天体力学の世界で成功した数学技法で使えそうなものを寄せ集めて作られた」。だから宇宙の神秘を背後に感じさせる物理数学と違い、全体を見ても「何か明確なストーリーが見えてこない」。

19世紀後半、ワルラスやパレートは経済学に微積分を応用し、「ニュートンの業績に比すべきもの」と称賛された。だが著者によれば、同意する理系研究者は少ない。オリジナリティが感じられないうえ、肝心の微分方程式をほとんど駆使できていないからだ。

天体力学には天体が3個以上になると問題が解けなくなる弱点があり、「太陽と地球」「太陽と木星」のように2個ずつの問題に分けて近似値を求めた。太陽の引力だけが桁外れに大きい特殊要因のおかげで、惑星間の引力を無視できた。

しかし経済学の場合、個々の現象をつなげた誤差は巨大になりかねない。このためケインズは数学の使用に否定的だった。「彼の方が遥かに数学に熟達していて、問題の本質を見抜いていた」と著者は書く。ケインズは数学科出身だった。

著者は経済数学を否定しているわけではない。肯定したうえでその攻略法を説いている。しかし物理学の学識を生かし、経済学と距離を置いた立場で自由に書いているために、飾りにすぎない数式を身にまとった現代経済学のお粗末な正体をはしなくも暴いた。一種の奇書といえる。

2016-10-25

ゼロ金利政策の病理

*Emile Woolf, Six Things to Consider About Inflation(インフレについて考えるべき6つの事柄)より抜粋。

中央銀行は、金利を押さえ込めば生産活動が活発になると期待する。しかしそれはセイの法則(Say’s Law)を無視している。セイの法則が示すとおり、消費するためにはまず生産しなければならない。

セイの法則の反対は、ばかげた「需要管理」(demand management)である。需要を刺激すれば、その需要を満たす生産を魔法のように生み出すという。もしそれが正しければ、今ごろベネズエラやジンバブエは世界一豊かな国として羨望の的だろう。

金利を押さえ込むと、長期のインフラ投資計画(infrastructure investment plans)が手控えられる。民間のインフラ関連企業はコストの見通しが立たなければ、事業に踏み出せないからだ。金利がいつ上昇するかなどが不透明だと、動きが取れない。

資金配分を誤るリスクは、民間建設会社には大きすぎる。公共工事の混乱ぶり(cock-ups)を見るがいい。飛行機が着陸しないスペインの空港。車の走らないポルトガルの高速道路。英国で計画中の新高速鉄道(HS2)……。

ゼロ金利政策で促進されるのは、最小限の資本で済む短期の生産計画だ。安い製品ならリスクを小さくできる。だからみすぼらしいアウトレット店が郊外の目抜き通り(high street)に立ち並ぶ。するとインフレなど起こっていないように見えるのだ。

2016-10-24

ウルフ『シフト&ショック』


清算主義は悪か

「清算主義」は、「自由放任」と同じく、経済学者やジャーナリストの多くが非難する言葉の一つである。しかし清算主義とは、不況で非効率な企業が淘汰されれば、経済全体がより健全になるという常識にすぎない。それを否定しては資本主義は成り立たない。

本書も清算主義を批判する。著者によると大恐慌時、フーバー政権のメロン財務長官が清算主義を提言したが選挙で支持されず、代わって自由放任主義を否定するルーズベルトが大統領に選ばれたという。だがこの説は事実に反する。

メロンは清算主義を主張したが、フーバー大統領はこれを無視し、公共事業や金融緩和など介入政策を盛んに行った。しかし経済はむしろ悪化。ルーズベルトはこの政策を「もっとも向う見ずで放蕩に満ちたもの」と批判し、当選したのだ(マーフィー『学校で教えない大恐慌・ニューディール』)。

著者は「過食で心臓発作を起こした患者の治療を拒否して、ダイエットをするように勧める医者はいない」と述べ、政府の景気対策を擁護する。だが景気対策は税金が原資だから、実際は治療と称して患者から血液を搾り取るようなものだ。

著者は「民主主義の下では、政府は国民の基本的な安全を守らなければならない」という。しかし経済危機は政府自身の介入がもたらす人災だ。著者が主張する公共投資や公的融資の拡大はむしろ経済を不健全にし、国民の安全を脅かす。

2016-10-23

大企業は規制がお好き

Peter G. Klein, How Regulation Protects Established Firms(規制が既存企業を守る仕組み)より抜粋。

既存の大企業(established companies)はしばしば規制の強化を求める。ロビー活動を行い、与野党双方の政治家にたっぷり献金する。政府が経済で大きな役割を果たしてくれると、好都合なのだ。

規制(Regulation)があると、企業の多くは必要以上に規模が大きくなり、官僚化する。

規制は政府にコネのある大企業の助けになる。興味深いことに、それを当事者が堂々と語っている。政府と密接につながり、第四の権力と呼ばれるゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)のトップがである。

ゴールドマンのブランクファイン(Lloyd Blankfein)最高経営責任者(CEO)は語る。「金融業界は新規参入で既存企業に割り込むのがとても難しい。理由は簡単、規制が多いからだ。…規制は厄介だけれど、堀の役目を果たしてくれることがある」

規制は新規参入に対し効果抜群のバリア(very effective barrier)になりうる。複雑きわまる規制が理解できない? 政府にしかるべきコネがない? 暗黙のルールを知らない? お気の毒さま、あなたはその業界に向いていない。

2016-10-22

松戸清裕『ソ連史』


他山の石としてのソ連

もしあなたが「ソ連は社会主義だから滅びた。資本主義の日本には関係ない」と考えているとしたら、それは誤りだ。ソ連が滅びたのは、本書が描くように、政府が市場経済の原理に無知だったからである。日本に無縁の話ではない。

最高指導者フルシチョフは、食肉・牛肉・バターの生産量で米国に追いつき、追い越せと号令した。これは「非現実的」だった。畜産物の政府買付価格は安くて生産コストに満たず、農民が生産増大に積極的に取り組もうとしないからだ。

農民の生産意欲を高めるには買付価格の引き上げが必要である。それまで何度も引き下げた小売価格を上げざるをえない。平均30%引き上げたところ、国民は強く反発した。ある州では数千人が抗議し、軍の発砲で数十人が死傷した。

またフルシチョフは、安価で供給されるパンを餌に家畜を飼う都市住民が少なくないことが、パン不足を招いているとみて、都市住民による家畜の飼育を禁止した。この結果、都市は食肉不足に陥る。農家の付属地削減で野菜も不足した。

環境破壊は「資本主義の病」という神話に反し、社会主義のソ連で環境は大規模に汚染されていた。利潤の最大化への無関心が逆に罰金や悪評を厭わぬ態度につながったとも、生産計画達成のため環境対策を後回しにしたともいわれる。

今日、貧困や格差を解決するため、資本主義に代わる「対抗文明」を訴える人々もいる。しかし著者はソ連の歴史を踏まえ、「善き意図が善き結果につながるとは限らず、『対抗文明』のほうが優れたもの、善きものとなるとは限らない」と慎重に述べる。ソ連史を他山の石として学ぶ意義は大きい。

2016-10-21

政府は貨幣に手を出すな

*Larry White, Classical Liberalism's 700-Year Fight Against Monetary Oppression(貨幣の弾圧に対する七百年にわたる古典的自由主義の戦い)より抜粋。

1978年のモンペルラン協会会合でミルトン・フリードマン(Milton Friedman’)は、貨幣に政府の介入は避けられず、経済学者の正しい役割は賢明な介入を擁護することだと述べた。貨幣の脱国営化しか正解がないと信じれば「失敗は必至」だと強調した。

するとハイエク(F.A. Hayek)が立ち上がり、歴史上、金本位制だけが政府に対する唯一の抑制だったと発言。貨幣に関するあらゆる独占と政府支配に反対する持論を繰り返した。ハイエクによれば、貨幣発行の民営化こそ唯一の答えである。

フリードマンは1980年代、ハイエクの貨幣脱国営化論(denationalization)に近づく。1984年の記事で、中央銀行の金融負債凍結、金融政策委員会の廃止とともに、通貨発行への民間競争導入を提言し、国民の通貨需要の伸びに応えるよう求めた。

フリードマンが考えを改めたきっかけは、経済学者ロコフ(Hugh Rockoff)らの研究で、民間貨幣が詐欺に使われやすい事実はないとわかったことと、公共選択論が明らかにしたとおり、中央銀行はあらゆるルールをかいくぐろうとすると実感したことだ。

1986年、フリードマンはシュワルツ(Anna Schwartz)と共同執筆した記事で、タイトルにある問題を掲げ、より古典的自由主義に沿った回答を示そうとした。そのタイトルは「政府が貨幣に果たすべき役割はあるか」といった。